叔母との LINEのやり取りで、これまで囚われていた自分の心が見えてきた。
「自分の幸せと相手の幸せの板挟みになって、どちらかを選択しなきゃいけない」と思っていた。
例えば、親の介護で戻ってきたことで、私自身の幸せが遠のいたと感じていた。
自分の幸せを考えたら親を見ることができないし、逆に親の介護を考えたら私の幸せを見ることができないという意識の囚われ。
一方が幸せになっても、もう一方が不幸せになるという囚われの心があった。
制限を自ら作って、その制限の中で苦しんでいる。
まさに自作自演のシナリオだった。
そう思えるのも、親の介護が終わり自分だけの自由な時間が出来ても、変わらずに自分の幸せを創り出せない自分がいたからです。
やりたいことはやって、いろんな所に出掛けて楽しんでも、日常が親がいた頃と変わりなく、私の周りも変化がなかった。
親の介護と私の幸せは全然別問題だということ。
私の幸せは私が創り出して行かなきゃ動かないという、自分に対しての責任。
ずっと何かに依存して生きていたから、それが判らなかった。
でもそれは分離の世界にどっぷり浸かっていたとも言えます。
環境を変えたいなら、望む環境を自らが描いて創り出していかなくては現実化しない。
親の介護という経験を通して、それを学んだ。
あの日々に感謝です。
1人でいた私に、人と関わるという事を1番に教えてくれた有難い日々でした。
どちらかを選ばなきゃ幸せになれないという、私の制限を外します。
自分の幸せと相手(周り)の幸せは別問題ではなくて、一緒に出来るんですね。
むしろ引き寄せるから、自分が幸せだったら周りにも幸せな人が寄ってくる。
そうやって環境が変わる。
今の現状は過去の囚われていた私の思考が引き寄せた現実だからだと納得できる。
そしてその現実を見て変えたいと願う未来があるなら、その未来を描き、動いて創造していく。
例えば「相手と幸せになる未来を叶えたい」と思ったとします。
でも相手は自分ではないので、相手に対してのコントロールになると理解しました。
相手がいないと同じ幸せを描けないというのも、実は囚われた制限の中にいます。
その制限を外して自分を自由にし、相手も自由にする。
自由の中で相手に愛を与えて、相手からの愛が来たら受け取る。
与えたから頂戴!とか、貰ったからあげるは、条件が付きます。
もう1段階成長して、相手をコントロールしないで愛を与え、相手を自由にする。
そして相手から愛をもらったら、感謝して受けとる。
そういう愛へと近づけて行きたい。
そういう愛を未来に創造したい。
その為に今私が出来る事は、自分を幸せにする事なんだなーと思いました。
自分の心から願っているものを知る。
まだ心との会話がよく解らないから、その為に自分の心と対話する時間を増やす。
自分の魂、ハイヤーセルフ、源へと返って行く。
それが甦り?
その流れをこれから体験しようとしている気がする。
自分の心を満たすと、愛が溢れ出し周りへも流れていきます。
その溢れた愛が周りと共鳴する。
これはメトロノームの共鳴実験動画で見たことがあります。
最初はそれぞれ違うリズムが出ていたけど、そのうち同じリズムへと同期し行く。
ある一定のリズムを刻む現象を「リズム現象」、リズム現象同士が影響を与え合うことでリズムが揃ってくる現象を「同期現象」というそうです。
これまでの分離の支配も同じ同期現象を利用して広がって行った。
でも自分の心、魂、源に繋がる統合の愛も同じように広がって行くんですね。
もう支配は経験尽くしたから、今度は愛を十分に経験しようというサイクルに入った。
またダブル共振振り子の実験動画でも面白い結果を見ました。
同じ条件の物質(双子)を同時に揺らしたら、同じ周期で揺れる。
でも片方だけを揺らしたら、止まってた片方が揺れ始めると同時に片方は揺れが小さくなって止まる。その繰り返し。
互いを打ち消してしまうそうです。
同じに揺れないと同調しない。
片方だけだと、相手を打ち消してしまう。
面白いなと思いました。
まずは「自分の中で統合する」
それをこれからイメージして、実践して行きたいと思ってます。