先日、友人に会いに新潟へ行った時のことだった。
二人でウオーターシャトルに乗って「ふるさと村」へ行ったが
帰りの時間が2時間後だったので、帰りはバスにしようとバス停を探した。
ウロウロしてやっと右手の奥の方にバス停を見つけ、場所を確認して中に入った。
途中で「時の旅人館」というのがあったので中に入ると観光案内所だった。
バスの行き先を係りの人に聞くと、全部新潟駅に停るというので
安心して時刻表をもらって別の施設へ入った。
帰りの時間になったのでバス停へ向かって、来たバスに乗り込んだ。
後払いの後車入口バスで、案内所で貰った紙には料金が¥440と書いてあった。
途中通るバス停の名前が「大通り黄金‥」「塩俵‥」と面白いなと景色を楽しんでいたが
¥440ではなくて¥450と料金表示に出てて「(・・∂) アレ?」と思った。
でも消費税の問題か何かで変わったのかなと思った。
後ろに座った友人に話そうと振り向いたら、彼女は疲れて寝ていた。
「のと」というバス停で、何かが気になった。
降りるバス停を新潟駅から万代シテイに変更しようと、停車するかを確認しようと思った。
運転手は見習いみたいで、その指導係みたいな人が後ろの席で見ていたので
その人に聞こうと後ろまで移動して聞いたら、指導係りの人が驚いて
「このバスは反対方面の白根に向かっているから新潟駅には行かないよ」と言われた。
ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!!
どうりで料金が違っていたんだ!
話を聞くと、ふるさと村のバス停は道路を挟んで反対側にあって
新潟駅方面はそっちに乗らなくてはいけなかったらしい。
寝ていた友人も起きて一緒に話を聞いていたが
ここで降りて、反対側のバス停で戻ったらいいと教えてくれたので折り返す事にした。
そのバス停で、時間を確認していたら近くにいた熟年女性が
「ちょうど遅れているバスがすぐに来るから」と教えてくれた。
ここで降りて、良かった。(;^_^A ・・・
今回の失敗談は、バス停が周りになかったので一つだと思い込んだこと。
案内所での話を鵜呑みにして、バス停の方角まで確認しなかったこと。
実は貰った紙にちゃんと乗り場が書いてあったのだ。
かなり大雑把だったけどね。
でもそれさえも見てなかった。
「あそこで待っていれば、新潟駅のバスに乗れる」と思い込んでいた。
思い込み、怖いねー。
さらに料金が違うと思ったのに、おかしいと確認しなかった。
だいぶ経ってから、ようやく動いた。
それも行き先確認というよりは、降り場変更の確認だった。
もしかしたら、降りたバス停で話しかけてくれた熟年女性は
過去生で何かご縁があったのかもしれないと思った。
「あんたら、ここで降りなきゃダメだよ」って、無意識で語りかけてくれたのかも。。。
何かが気になったのも、そういう事なのかな。
ここで降りなかったら、帰るのに物凄く時間がかかっただろうなと思えた。
この思い出を振り返って考えていたら、なんとなく自分の生まれた日付の理由が解った。
多分、私のやるべき仕事はそれと関係しているのかもしれない。
自分で考えて動くことで、それが仕事になる。
それが理解できた。
新潟の友人と私の繋がりも理解出来た。
私は目、友人は耳に因縁があると思った。
自分の中で「いっぱいいっぱい」で境界線を作って分けた因縁があるのだと思う。
だから二人共、自分で作った境界線を取り除く事が因縁の消化になると感じた。
それには容量を増やす必要がある。
自分の中の許容量を少しずつ増やして判断することで、消化出来ると思えた。