先日見た光景は「目と音」に関係していた。
ライブのアリーナ席で埋もれていて、前が人の頭しか見えない状態。
その光景を後で思い出していたら、気付いた事があった。
音って見えないけど確かに「そこに在る」ものなんだ。
あの時、確かに上から降って来ていた音たち。
歌声、鳴らす楽器。
その姿は見えないけど、そこにあった。
テレビモニターで見える映像が、時々「リアルタイム?」って違和感を感じてて
今そこで演奏しているの?と何故か不思議だった。
映像を通すと、生じゃない感じがしていた。
まったく見えないよりは、モニターでも見えた方が嬉しい。
それは有難いのだけど、なんとなく時間差を感じていた。
姿が見えないからなんだ。
見えないから、本当に?と疑ってしまう私の癖。
でも見えないから、別の事が解った。
誰かに設定させられた場所(くじ引きみたいな)での光景は、
自分ではどうすることも出来ない。
僅かな隙間から見える「モニター映像」も、人の頭が動くことで否応なしに遮断される。
今まで見えていたものが突然見えなくなったり、
逆にずっと見えなかったのに急に見えて視界が広がったり。
それは相手の頭が動く事で起きる現象で、目は「相手次第」が大きく影響してるなと思った。
でも目を閉じても変わらずに音は聴こる。
自分で耳を塞がない限り音は誰でもどこにいても聞こえる平等なものなんだなと思った。
セットが星空みたいで、上を見上げていたら音が上から降って来ているような感じだった。
そうなんだ。
音って、見えないけどいつも降ってきているのかもしれないなと思った。
聞こえない宇宙の音だって、降って体が感知しているのかもしれない。
自分では今は解らないけど、そのうち自分で解かるようになるから
体が感知しておくからねって自分の中に振り積もっている。
因縁と似ているのかな。
見えないけど、ちゃんとそこに在るもの。
誰かが声を発するから、誰かが楽器を鳴らすから、音が出ているのだけど
それを目にしてなくても聴くことは出来るんだ。
CDとかがそれなんだけど、出てくる音って形が見えないよね。
でも当たり前に、不思議だとも思わずに、それを聴いている。
見えないものを自然に自分の中に受け入れている。
だけど「見えないものは信じられない」と思う自分の気持ちもあって
それとこれとは別の話だと、自分の中で分けていた。
分ける必要なんてないんだよね。
見えないものは確実に存在していて、日常にもたくさん転がっている。
見えないものに大差なんてなくて、それをどう感じるかが大事なんだなと思った。
多分、目だって「相手次第」なんだけど、本当は自分次第なんだと思える。
お金を払って来たのに何も見えないから
(この場所は嫌だって相手のせいにして)怒って帰るか、
見えないけど逆に別のものが見えた(この場所に来なければ気付かなかった)と
新しい発見があるか、それは自分次第って事なんだね。
ライブって面白い。
友人が同じライブを何度も見に行ってて、同じものを繰り返して飽きないの?と
当時はそれが理解できなかったけど、CDとは違うんだ。
作られた完璧な音を聴きたいのならCDを聴けばいい。
ライブは生だからいろんな事が起きるけど、雑音もたくさん入るけど
ひっくるめて「同じものは一つとしてない」面白さ。
その時々の発見を体で感じたいならライブに行けばいい。
ライブで目を閉じて聴くという勿体無い(笑)体験も出来る。
でも降り注ぐ音を体で感じることが出来た。
多分、人が動いているからいろんな事が起きるのだけど
だからこそ見えるものもあるんだ。
それはCDでは見えてこないんだ。
それがライブの良さなんだなと実感した。
動かないと見えない。
動くから見える。
それを感じることが出来たライブだった。
そうか!
ライブって、人の人生と似ている。
「生」だからね。
ライブとライフ。
だから、動くことが面白いと感じたのかな。
そう感じる私は、確かに今を生き始めているのだと思う。
やっと意識が生還したような、生まれたての赤ちゃんに変わった感じがしている。
行き帰りの飛行機で「赤ちゃん」とか子供が周りにいたのも頷けたよ!(笑)
この意識を大事に育てて行こう!