気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

川古の大楠

2023-11-05 10:56:55 | 日記
昨日書いた「自分の音・自分の中心」ですが、これはあくまでも心の中心軸という意味です。
行動で誰かの側に行くのは全然大丈夫なんですが、その時にどういう心の状態でいるかで自分の向かう方向が全然違ってくるというのはあると思います。
その時の「心のあり方」みたいなもので状況が変わる。
先日このパターンで面白い体験をしました。
高速道路で目的地へ向かう最中の、インター出口での料金清算時の事でした。
左の出口案内へ向かったら清算出口が二つありました。
でもETC清算表示がどちらもなかったのです。
ETCで入ったからETCで出ないとマズイでしょ?
そう思って右隣のETC清算口へ移動して出たら、なんとまだ高速道路の続きだったのです。
降り口は左の二つだけで、ETCカードでの窓口清算をするしかなかったのでした。
そういえば、前にもカードを抜いて清算して出たような記憶が微かにある・・・
その時右の出口を選んだ私の心の中は。。。
ETC窓口でないとマズイと思ったのと同時に、窓口清算は面倒くさいという思いがありました。
要するに「楽をしたい」という思いで、出口を選んでました。
その結果、次の降り口まで走りたくないのに走らされるような、出たいのに出れないみたいな、そんな状況で遠回りして目的地のホテルに着きました。

行きたかった場所には時間的に余裕がなくなったので、その日は急遽変更して別の場所へ向かいました。
夕方で暗くなる少し前だから、行けたら行ってみようかなくらいの気持ちでドライブしました。
川古の大楠という全国で5番目に大きい巨木がある場所です。
ナビを設定して行ったら、目的地付近で物凄く細い道に入れと指示されました。
えー!!?ここを通るの???
大きな木も見えないし、なんとなく不安。
と思ったら通り過ぎてしまい、車を止めてナビの地図を見るがよく解らない。
細い道は嫌だから別でも行けるんじゃない?
大きな巨木のある公園だから多分道も整備された道だよ、きっと。
この先にあるんじゃないかな??と前の広い道を進んだら、そのままバイパスに続いていて、またまた降りたいけど降りれない状態😅
遠回りして戻って、今度は指示通り狭い道を進んでみた。
すると道路の右側をカートを推してこちらに向かって歩いてくる年配の女性が見えた。
狭い道で対向車に気をつけなきゃいけない上に、年配のカートを押す女性にも意識を向けなきゃいけない!!!
焦っていたらナビが目的地付近ですというメッセージが流れた。
え!!???それらしき木は見えないし、どこ???
結局見つからないまま帰ることに。。。😭
ナビをホテルへ設定し直して数メートル走ったら「川古の大楠公園」という看板が目の前にあったので、その近くの駐車場へ停めて近くを歩くが見つからない。。。
曲がった道路の先にありそうな気もするが、夕方で暗くなって怖い感じもする。
そのままホテルへ戻って、ネットで地図を確認したら方向的にはあの近くでした。
やはり曲がった道路の先にあって、狭い道で年配女性が歩いていた道路の反対側にあったのです。
あの時の私は、運転中に前と右しか見ていなかった(車と歩行者に気を取られていたので)
「行けたら行こう」で余裕がない状況では、やはり辿り着けないなと反省しました。
次の日の午前中に再度挑戦しました。
今度は頭の中に地図も描けているので、ナビが狭い道を再度指定するが今度は自分で道を選んで公園の広い駐車場に停めてました。
そして前日に断念した道の曲がり角を曲がると、やっと川古の大楠に出会えました😆 



水車と鯉も泳いでました。


今回の旅で感じたこと。。。
目的地へ辿り着くには「必ず行く!という強い意思と、頭の中に地図を描ける心の余裕が必要」ということでした。
そして楽な道の方を選びそうな時は、再度心に聞き直そう!
本当にそれでいいの?本当の目的は何?どこへ行きたいの?
そう思い直したら、自分が行くべき道が見えてくるのだろうなと感じました。
今度は似たような選択で、それをやれるようになりたいな!
それが出来るようになったら、この経験が生きてくるのです。
だからどんな経験も間違いではないと思えます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

純粋な音

2023-11-04 13:34:09 | 日記
私が考えてる「自分軸」を解り易く説明できる「例え」があった。
音符です。
ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド
それぞれの音は皆違います。
それが私たち、個人だとします。
個人に優劣はなく、違う個性が存在しているだけ。
だけど単独の音が別の音に出会うとハーモニーが生まれます。
単音では表現出来なかった、別の音が生まれます。
でも単音の音がズレていると、ハーモニーもズレます。
1番最初にやるのは、それぞれの音をズレのない純粋な音にする事です。
音を調律する。
例えばドの音がミの音と共感してミの近くに行きたいと思った。
ドは半音上がったようなズレた音になります。
自分の場所からミの方向へ少し移動したからです。
もっと近くに行きたいとレを通り越してミの隣に行ったとします。
ドの音はかなりズレた音となってしまいました。
ドはドの位置に居てこそ、純粋な音を奏でられるのです。
その位置でミと和合するから綺麗な音のハーモニーが響くのです。
自分の位置のど真ん中に居る。
何事にも左右されないブレない自分の中心軸。
それが自分軸みたいなものかなーと思いました。
その境地に達する為に、人生でいろんなドラマを設定してくる。
誰かに恋したり、誰かを嫌ったり、誰かを羨んだり、誰かを軽蔑したり。。。
皆「誰か」の方に寄っていくから生まれてくる感情なんですよね。
誰かに嫌われたらとか、誰かの目線で自分を見てしまいがちになる。
でも自分の中心に居て「誰か」を見たら、別の見え方も生まれてくる。
皆、素敵な個性を持っているし、自分にもそれがある。
ドレミファソラシド。みんなそれぞれが主役で、みんな居て素晴らしい(笑)
その音たちが奏でるハーモニーは、きっと素晴らしいものだと思える。
誰かに焦点を当てるのではなくて、ブレない自分に焦点を当てて相手を見る。
そんな感じが「自分軸」なのではないかなーと今は感じてます。

ドとミは共感性があるけど、ドとレはどうかなー?って思ったとします。
でもドとレともう一つ違う音が集まったら、ハーモニーを奏でられるかもしれません。
そういう可能性みたいなものが音にはあると思います。
人間も同じだと思うのです。
そのハーモニーを創るために最初にやるのが、自分の純粋な音を創りあげる事。

一昨日見た夢が、そんな感じの内容でした。
なんか「のだめカンタービレ」みたいな夢だったのです。
私がのだめで、千秋先輩みたいな彼が知らない女性とコラボをやっていたのです。
どうもソンルイみたいな感覚(笑)
私は1人自分の部屋でその事を考えながら悶々としていました😅
でも彼は私の心の中で繋がっている。
それは感じられたのです。
私の中に安らぎを感じているような感覚。
でも私の部屋には私しか居ない。
私は1人で自分を深く見つめていました。

そんな私が気になったのかコラボした相手の女性が私を指導してくれる事になりました。
個人授業みたいな、レッスンみたいな感じ。
私はピアニストでした。
でもまだ自分のスタイルというか音を確立出来ていなかったのです。
そこで目が覚めました。
まるで「のだめ」じゃん!?そう思いました。笑
そうか、彼は指揮者だったのかー!
指揮者はそれぞれの個性の音を導き出しながら、一つの作品を創り出すような役目かな?
それぞれの音が創りだすハーモニー。
私は自分の純粋な音をまだ出せていなかったんだ。
だからのだめが苦手だった「自分の音楽と向き合う」という作業を、夢の中でやろうとしていた。
という事は、ソンルイとシュトレーゼマンは似ている?
そういえば2人とも「自由」がなくて、逃げ回っていたな。。。笑
そういう意味では、昔の私とも似ている。
夢は面白いね(笑)

話が逸れましたが、夢で理解したのは「自分の純粋な音を創り出して貫く」みたいな感覚でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

所有欲の手放し

2023-11-01 12:51:21 | 日記
今朝の夢
どこかの店で服を見ていた。
見覚えのあるパンツが売ってあり、自分の姿を見たら丈の短いワンピースだけだった。
下にスパッツみたいなパンツを履いてたような記憶があり、それが目の前のパンツだと思って持ち出し着替える場所を探していた。
正札も付いていたが、私が置き忘れていたので店の人が後から付けたのかと思った。
でも良く見たら、自分の服ではない気がしてきた。
黙ってこっそり店に返却していた。

以前も似たような夢を何度か見ています。
自分が書いたレポートを見つけて、ここに残したままではまずいと思って持ち出したり、そんな「自分のものだと思って持ち出す夢」。

そのあと、SNSで「自分が子供の為に買ったハロウィンの飾りを、他の人が盗んで持ち去った」という動画を目にした。
んん!!!
私の夢と似ている!?
でも逆パターン。
私はコソッとだけど返したよ(苦笑)
私の夢では、自分のものだから自分が所有しても良いという気持ちが強かった。
そこを見るべきなのだろうな。。。
SNSの飾りを取られた人の立場になって考えてみよう。
「子供の為に買ったのだから返してちょうだい」という気持ちかな。
でもさ、自分が謝ってどこかに置き忘れたり、間違って壊したりして無くしたらどうする?
新しいのを買うよね。
でも誰かが取ったら「私の物だから返して」となるよね。
同じ「自分のところに無い状態」だけど、180度違ってくる。
自分の責任か相手の責任かで対応が全然違ってくる。
自分の責任だったら無くした事にも納得がいく。
でも相手の責任だったら、納得がいかない。

この関係性を怒りではなくて、愛に変えるには?
相手は自分じゃないから、相手の感情や思考を変える事は出来なし、その部分は相手に任せるしかない。
自分に出来ることは、自分の感情や思考を愛に変化させること。
自分のものではなくて「借りている」と思ったらどうだろうか?
自分の元から消えたら「返した」と思えばいいのか。
そしてまた新しい物を「借りる」。
そしてまた返して、次の新しいものを借りる。
その繰り返し。
全然所有なんてしていなかったと気づく。
その流れが循環なんだね。
SNSで盗まれた飾りは「リース」だったんだ。
やっぱり、これも私に見せたられた「お話」だったね。
夢の話の続き。
所有欲を見直して手放す時期なんだね、きっと。

この世のものは全て「借り物」。
自分の学びの成長のための「借り物」。
そう思ったら、これまで迷ったり、どっちなんだろう?と悩んでいたことが吹き飛んだ。
愛も借り物だから、自分の成長の為にありがたく「お借り」したらいい。
そして自分の中の愛を大きく育てていく。
それは多分「借り物」じゃないと思うけど、でも結果的には一つとなっていく。
だからみんなのものでもあるんだ。
その大きな愛の中から、また借りてそれを育てて大きくして、また一つになって。
その繰り返しなのかもしれないなと思った。
だから本当は借り物でもないんだね。
自分の物であって、みんなのもの。
その意識を、この世界で広げていけたらなと思った。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする