こんばんは
エーコです。
本日14時ごろ、突然、ピー太郎が逝きました。
昨夜から小屋にも戻りたがらず、私の手のひらに潜り込んでいました。
今朝からは先輩の手のひらで気持ち良さそうに眠っていました。
それが9:30頃、突然嘔吐と下痢をし、慌てて動物病院へ駆けつけ薬を貰いました。
その時の先生のお話では「この鳥は普通は7年くらいが寿命だから、その倍も生きているので治療というより経過を観察するしかない。」と言われました。
その後、少し元気が出て先輩や私の肩に止まったり、少しですが羽ばたいて飛んでみたりしてました。
それでもすぐに私や先輩の手のひらに潜り込んで眠り始めるのです。
それからは鳴く事もなく、何度か起きては私たちの顔を見上げて声鳴き声で鳴く真似をしてみたりするばかり。
13:30を過ぎた頃から急にバタバタとしだし、首をグイッと伸ばし、大きく羽ばたくような動作をした直後、急に動くのを止めました。
目は見開いたままでしたので、逝ったのだと直感的に理解しました。
地震が続き、大雨が続く最中の不意の晴れ間、春うららかな昼下がりにピー太郎は私の手の中で息を引き取りました。
そのことをパソコン作業中の先輩に伝えました。
「ピー太郎が死んだ・・・」
先輩は意味が理解出来ずに笑っていたので
「本当の意味で『死んだ』んです。」
そこでようやく状況を把握した先輩は指で心臓をマッサージしながらボロボロと泣き始めました。
二人とも必死で死んだのを信じない素振りで、先輩はいつまでもマッサージを続けます。
5分後、ようやくどうにもならない事を理解した私たちは祈ることにしました。
ブルーボタンインコの名のとおり、『本当に沢山の幸福を運んでくれた鳥』でした。
そして幸福の青い鳥に相応しい『最高に幸福な最後』を遂げたのだと自分に言い聞かせました。
しばらくは二人とも何度もむせび泣き、その骸を交互に手のひらに乗せてお別れの言葉を言うことしか出来ませんでした。
一頻り泣いた後、死後硬直が溶けると鳥は体が腐り始めるため、私の家の庭に埋葬することにしたのです。
庭にはブルーベリーの木があります。
この木は毎年沢山の実を付けます。
その実を狙ってムクドリやスズメなどの野鳥が沢山集まるのです。
「ここなら寂しくないだろ・・・」
先輩の提案で深く深く土を掘り、ソッと埋めました。
他の動物から死体を掘り返されないように大きめの石を上に乗せ、墓石としました。
15年生きたのだからよくよく考えれば老衰だったのでしょう。
足が不自由になったのも老衰の始まりだったのだと思います。
私も先輩も飛んで来る弾丸を素手で掴むような忙しい日々。
そんな中にあって、大好きな私たちと一緒に最後の時間を過ごし、大好きな柑橘類も美味しそうに食べたのですから大往生と言っても良いかもしれません。
この投稿を書いてる今も涙が溢れて画面が読み取れなくなります。
いくつも偶然が重なり、こんなにも幸福な最後の時間を頂けた事に、誰彼構わず、感謝したいです。
長く退屈な駄文に最後までお付き合い頂き本当にありがとうございます。
ピー太郎 享年15歳、幸せな青い鳥でした。
合掌
エーコです。
本日14時ごろ、突然、ピー太郎が逝きました。
昨夜から小屋にも戻りたがらず、私の手のひらに潜り込んでいました。
今朝からは先輩の手のひらで気持ち良さそうに眠っていました。
それが9:30頃、突然嘔吐と下痢をし、慌てて動物病院へ駆けつけ薬を貰いました。
その時の先生のお話では「この鳥は普通は7年くらいが寿命だから、その倍も生きているので治療というより経過を観察するしかない。」と言われました。
その後、少し元気が出て先輩や私の肩に止まったり、少しですが羽ばたいて飛んでみたりしてました。
それでもすぐに私や先輩の手のひらに潜り込んで眠り始めるのです。
それからは鳴く事もなく、何度か起きては私たちの顔を見上げて声鳴き声で鳴く真似をしてみたりするばかり。
13:30を過ぎた頃から急にバタバタとしだし、首をグイッと伸ばし、大きく羽ばたくような動作をした直後、急に動くのを止めました。
目は見開いたままでしたので、逝ったのだと直感的に理解しました。
地震が続き、大雨が続く最中の不意の晴れ間、春うららかな昼下がりにピー太郎は私の手の中で息を引き取りました。
そのことをパソコン作業中の先輩に伝えました。
「ピー太郎が死んだ・・・」
先輩は意味が理解出来ずに笑っていたので
「本当の意味で『死んだ』んです。」
そこでようやく状況を把握した先輩は指で心臓をマッサージしながらボロボロと泣き始めました。
二人とも必死で死んだのを信じない素振りで、先輩はいつまでもマッサージを続けます。
5分後、ようやくどうにもならない事を理解した私たちは祈ることにしました。
ブルーボタンインコの名のとおり、『本当に沢山の幸福を運んでくれた鳥』でした。
そして幸福の青い鳥に相応しい『最高に幸福な最後』を遂げたのだと自分に言い聞かせました。
しばらくは二人とも何度もむせび泣き、その骸を交互に手のひらに乗せてお別れの言葉を言うことしか出来ませんでした。
一頻り泣いた後、死後硬直が溶けると鳥は体が腐り始めるため、私の家の庭に埋葬することにしたのです。
庭にはブルーベリーの木があります。
この木は毎年沢山の実を付けます。
その実を狙ってムクドリやスズメなどの野鳥が沢山集まるのです。
「ここなら寂しくないだろ・・・」
先輩の提案で深く深く土を掘り、ソッと埋めました。
他の動物から死体を掘り返されないように大きめの石を上に乗せ、墓石としました。
15年生きたのだからよくよく考えれば老衰だったのでしょう。
足が不自由になったのも老衰の始まりだったのだと思います。
私も先輩も飛んで来る弾丸を素手で掴むような忙しい日々。
そんな中にあって、大好きな私たちと一緒に最後の時間を過ごし、大好きな柑橘類も美味しそうに食べたのですから大往生と言っても良いかもしれません。
この投稿を書いてる今も涙が溢れて画面が読み取れなくなります。
いくつも偶然が重なり、こんなにも幸福な最後の時間を頂けた事に、誰彼構わず、感謝したいです。
長く退屈な駄文に最後までお付き合い頂き本当にありがとうございます。
ピー太郎 享年15歳、幸せな青い鳥でした。
合掌