美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

藤堂藩、眠狂四郎と戦う!

2014-10-26 21:15:51 | 津のこと


以前に藤堂藩の江戸屋敷のことを調べていたら、
検索に引っかかってきたのがこのネタ、
映画「眠狂四郎」に津藤堂藩が登場していたのです。

映画のタイトルは「眠狂四郎炎情剣」、
シリーズ5作目で、大映京都が製作、1965年1月に公開されました。

あらすじ
 狂四郎(市川雷蔵)は、夫の仇討ちと称する武家の妻・檜垣ぬい(中村玉緒)に手を貸し、一人の浪人を斬った。ぬいは藤堂藩江戸家老が使う「女スパイ」で、その浪人を殺すために狂四郎を騙したのだった。
 藤堂家の江戸家老・跡部将監(阿部徹)は、鳴海屋(西村晃)を脅かして、幕府に献上すべき海賊の財宝を横領し、さらに財宝の秘密を握る海賊の末裔を一人残らず抹殺しようとしていた。その探索役がぬいであった。 
 この冷酷さを恐れた鳴海屋は、将藍と手を切りたいと狂四郎に助けを求めた。
 狂四郎は将藍が参列する藤堂家菩提寺の法要の席に乗りこみ、将藍の罪状を素っ破抜いた。狂四郎は必死にすがり寄るぬいをも斬り捨て、墓場と化した菩提寺を去っていった。

まあ、
藩祖・高虎公の時には、あちこちの水軍(海賊)と同盟関係があったようなので、
海賊の秘宝の情報を持っていたしても不思議では無いけれど、
2代藩主以降の藤堂藩の財政は火の車で、
もし本当に海賊の秘宝の情報を持っていたとしたら、
すぐさま幕府の許しを得て発掘して、日光東照宮の造営費用に充てただろう、と思います。

終盤に登場する藤堂家菩提寺とは、上野の寛永寺内の「寒松院」をイメージしますが、
この映画は京都で製作されたため、
ロケ地は、藤堂江戸屋敷が仁和寺、藤堂家菩提寺が永観堂だったそうです。

江戸、大阪、京都にあった藤堂藩の屋敷
コメント
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