美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

津市八幡町 旧伊勢街道を歩いてみた(その2)

2015-06-04 21:15:44 | 津のこと


津市八幡町 旧伊勢街道を歩いてみた(その1)
の続きです。

江戸時代、お伊勢参りの旅人で賑わった伊勢街道、
津市八幡町に、昔の街並みが残っているところがあると聞いて
歩いてみました。



八幡町という町名は、伊勢街道から東にある「津八幡宮」に由来します。
江戸時代初期の、津藩2代藩主・藤堂高次公の時代、
狩りの最中に垂水の山の中にあった小さな社で雨宿りした高次公が、
「八幡様と言えば源氏の氏神、その社がこのような山の中で埋もれているのはしのびない」と
1632年、現在地に神社を移し、神社西の伊勢街道沿いを八幡町と命名、
町衆には煙草の専売権を与えて、八幡様を祀るように命じた、
というのが八幡町の始まりです。

神社を移転させるだけでなく、
氏子として末永く祭祀を行っていくように、
民衆が住む町まで造ってしまった、ということです。


(旧伊勢街道)


(エンマ堂前から約200m)
ヤマニ醸造の黒壁が並ぶ一角があります。



上のヤマニ醸造と同じ場所にある民家、
間口は狭いけれど、奥行きがある様子が分かります。
道路に面した部分(画像右)が2階建てで、商家の場合は2階に品物を保管していたのでしょうね。
その奥が中2階の建物で、おそらくは家人が住む座敷があったのでしょう。
そして、その奥が庭となっています。


(エンマ堂前から約280m)
伊藤産業(製麺所)の交差点です。
この交差点の西に橋南中学校があります。

ここから先(南)は、あまり古い建物が残っていないので、
歩くのが好きでない方は、ここで折り返しても良いと思います。

津市八幡町 旧伊勢街道を歩いてみた(その3)
コメント
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