
演技派俳優だった故地井武男さん主演の反戦映画「海軍特別年少兵」(1972年東宝)、
監督は「青い山脈」「ひめゆりの塔」で知られる故今井正監督、
当時30歳の地井さんは、年少兵の指導を務める教班長(きょうはんちょう)を演じました。
第2次大戦末期、戦場の日本軍に多数の少年がいました。
彼らは「海軍特別年少兵(略して特年兵)」として志願し、
2年間の教育を受けた後、部隊に配備された、本物の軍人でした。
14歳で海兵団に入校した彼らは、
海兵としての厳しい訓練とともに、
将来は海軍兵学校に進めるようにと、旧制中学と同レベルの授業も受けていました。
しかし、戦争の激化とともに
彼らは戦場に送られ、壊滅する日本軍と運命を共にします。
彼らの教班長であった工藤上等兵曹もまた、硫黄島の戦闘で教え子らとともに戦死します。
特年兵として志願した少年は1万8千人、うち5千人が戦死したと言われています。

軍人としての技能は、教班長ら下士官が指導し、
英語や数学などの学科は、大学卒の士官が教えていました。
純粋に「早く立派な軍人になってお国のために戦いたい」と言う少年たちを見て、
「最前線からここ(海兵団)の勤務になって、本当に嬉しかった、
でも、あんな子どもたちを戦場に送るなんて、自分には耐えられない、
前線に戻ったほうがましだと思うようになったよ」
と苦悩する士官の姿も描かれています。
この映画では
16歳という若さで散っていった少年らを悼むだけではなく、
「誰が彼らを戦場に送り込んだのか」という、
当時の日本人すべての責任を問うものです。
生徒に「立派な軍人になれ」と言い続けた教師、
家の名誉を守るために、入隊を勧めた家族、
給料の出る特年兵を志願せずにはいられなかった、貧困という社会的原因、
これらを反省しなければ、真の平和はあり得ない、というメッセージが込められています。
現代でも「永遠のゼロ」のような戦争映画は作られていますが、
この70年代のような左翼系の反戦メッセージは
日本映画から消えてしまったように感じます。