美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

れいろくさんのそんりく/東海道関宿の昔話

2024-12-20 21:15:31 | 三重のこと


亀山市関町に伝わる昔話です。

東海道関宿は、鈴鹿峠を伊勢国側に下ったところにありました。
関宿からは鈴鹿峠が見えていました(上の画像)。

鈴鹿峠はとても険しく、
東海道の難所のひとつとされていました。
峠道は高い樹木に覆われ、昼でも暗く、
旅人は心細い気持ちになったものでした。
その鈴鹿峠に、恐ろしい山賊が出没して旅人を襲うようになりました。
地元の役人が山に入って、山賊を捜索しましたが、
山の中を身軽に移動するため、捕まえることができませんでした。

ある日のこと、一人の旅の僧が峠を歩いていたところ、
山賊が僧の前に現れました。
「金を出せ、着ている着物も寄こせ。
 そして俺の顔を見られたからにはお前の命もいただくぞ」
と言って僧を脅します。
「何と恐ろしいことを言うのじゃ。
 其方も元はこのような悪人ではなかったろうに」
と僧が言うと、
「俺様は生まれながらの悪人だ」
と山賊が言います。
「そのような事はない。
 犯した罪を悔いて、仏様に念じれば、
 地獄に落ちることなく、浄土へ行けるのだ」
「念じる、とは何だ。どうすれば良いのだ」
「仏様に届くように、経文を教えるので、
 これから、朝と夕方に大きな声で、
 山の上から東に向かって三回ずつ唱えるのだ」
それを教えられた後、山賊は僧を殺して山の中へ消えていきました。



その翌日から、男は山の上から大きな声で叫びました。
男の声は関宿にも届きました。
「れいろくさんのそんりくは ちやうやでんのそんりく」
毎日、朝と夕方に声が聞こえてきますが、
言葉の意味がわかりません。
一体、誰が何のために叫んでいるのか、
宿場の人達は不思議に思いました。
数日後、宿場の子どもがあることに気付いて父親に知らせました。
「れいろくさん」というのは「鈴鹿山」のことではないか。
その子どもは、ちょうど寺子屋で
「鈴」は「れい」とも読むと教わったばかりでした。

「れいろくさん」が「鈴鹿山」ならば
「ちやうやでん」とは何か。
皆で思案した結果、
「長野殿」つまり安濃郡の領主の長野氏ではないかと気付きました。
そこで、宿場の役人が長野氏の館へ出向き、
事の次第を申し述べました。
すると長野の殿様は
「家中の下人に孫六という男がいたが、
 大変な乱暴者なので、数か月前に追放したのだ。
 おそらく、鈴鹿峠の山賊とは孫六のことだろう」
と言って、早速将兵を鈴鹿峠に差し向け、
孫六を捕らえて処刑したそうです。

「鈴鹿山の孫六は 長野殿の孫六」
殺された僧は、宿場の人々に山賊の正体を教えようとしたのでした。
自分か殺さるかもしれないという恐怖があったでしょうに、
このような知恵を働かせたとは立派です。

画像の関宿の町並みは、江戸時代に成立したと言われています。

東海道関宿を歩いてみた(亀山市関町)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする