亀山市関町に伝わる昔話です。
東海道関宿は、鈴鹿峠を伊勢国側に下ったところにありました。
関宿からは鈴鹿峠が見えていました(上の画像)。
鈴鹿峠はとても険しく、
東海道の難所のひとつとされていました。
峠道は高い樹木に覆われ、昼でも暗く、
旅人は心細い気持ちになったものでした。
その鈴鹿峠に、恐ろしい山賊が出没して旅人を襲うようになりました。
地元の役人が山に入って、山賊を捜索しましたが、
山の中を身軽に移動するため、捕まえることができませんでした。
ある日のこと、一人の旅の僧が峠を歩いていたところ、
山賊が僧の前に現れました。
「金を出せ、着ている着物も寄こせ。
そして俺の顔を見られたからにはお前の命もいただくぞ」
と言って僧を脅します。
「何と恐ろしいことを言うのじゃ。
其方も元はこのような悪人ではなかったろうに」
と僧が言うと、
「俺様は生まれながらの悪人だ」
と山賊が言います。
「そのような事はない。
犯した罪を悔いて、仏様に念じれば、
地獄に落ちることなく、浄土へ行けるのだ」
「念じる、とは何だ。どうすれば良いのだ」
「仏様に届くように、経文を教えるので、
これから、朝と夕方に大きな声で、
山の上から東に向かって三回ずつ唱えるのだ」
それを教えられた後、山賊は僧を殺して山の中へ消えていきました。
その翌日から、男は山の上から大きな声で叫びました。
男の声は関宿にも届きました。
「れいろくさんのそんりくは ちやうやでんのそんりく」
毎日、朝と夕方に声が聞こえてきますが、
言葉の意味がわかりません。
一体、誰が何のために叫んでいるのか、
宿場の人達は不思議に思いました。
数日後、宿場の子どもがあることに気付いて父親に知らせました。
「れいろくさん」というのは「鈴鹿山」のことではないか。
その子どもは、ちょうど寺子屋で
「鈴」は「れい」とも読むと教わったばかりでした。
「れいろくさん」が「鈴鹿山」ならば
「ちやうやでん」とは何か。
皆で思案した結果、
「長野殿」つまり安濃郡の領主の長野氏ではないかと気付きました。
そこで、宿場の役人が長野氏の館へ出向き、
事の次第を申し述べました。
すると長野の殿様は
「家中の下人に孫六という男がいたが、
大変な乱暴者なので、数か月前に追放したのだ。
おそらく、鈴鹿峠の山賊とは孫六のことだろう」
と言って、早速将兵を鈴鹿峠に差し向け、
孫六を捕らえて処刑したそうです。
「鈴鹿山の孫六は 長野殿の孫六」
殺された僧は、宿場の人々に山賊の正体を教えようとしたのでした。
自分か殺さるかもしれないという恐怖があったでしょうに、
このような知恵を働かせたとは立派です。
画像の関宿の町並みは、江戸時代に成立したと言われています。
東海道関宿を歩いてみた(亀山市関町)