miss pandora

ONE KIND OF LOVE

愛にはいろいろ種類があるの
全部集めて地球になるの

5年まえの空つくりごと

2023-02-13 13:36:04 | エッセイ
That sky High
This sky Empty
That boy Winter coat
Thinking That sky
This sky Gave face

"Each sky making ..." Ari Nakamura2018

(A●●-PUNK/today)

あの空 高く
この空 うなだれてる
その子 まるくて、冬毛のムクムク
その空 思って
この空 顔あげた

「空つくりごと...」画像・詩/ナカムラアリ

せっせと雪が降っている。
眺めるだけの雪は、美しい。
雪花びらの一つ一つ、その結晶の形を想像するのも楽しい けれど・・・

車庫を掘り出さなくちゃ・・・
スキー用のオーバーオール、「作業着の店」で買った手袋をして外に出る。玄関先から、すごい雪で、中々階段にもつかない。そして、階段は、「罠のような氷のギャップ坂」になっていた。(もう、これでもいいや、つかまるフェンスさえあれば・・・階段のことは、忘れる)

車庫にたどりついた。
車は・・・車庫の中で白い雪山になっていた。
呆然自失・・・
になりかけた時、猫が出てきた。冬毛のモコモコに太った猫が。
彼は、何を根拠に、そんな偉そうな態度をしているのかわからないけれど、耳の先だけハチミツ色で鼻がピンクで、あとはモコモコの白で、立派だった。彼は、ゆっくりと、車庫内の雪山頂上から下山して・・・隣のおうちの車庫へと歩いて行った。来週末には、私の白くてフアフアの子が帰って来るのを思い出した。あの子も冬毛かなぁ・・・そんなことを考えながら、雪山を道路の真ん中まで・・・一生懸命ずらした。それでおわり。あとは・・・騎士の役目だからだ。

こんこんと雪が降っている。
眺めるだけの雪は、とても美しい。
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とても難しい?こと

2022-07-21 16:21:59 | エッセイ
色々説明すると物凄く長くなり、それをすることが私個人の精神衛生上よいとは思えない。
けれど…書かずにはいられないことがある。
どんなに説明不足でも 希望が見えなくても…

………………………

カトリックと死者とか・・・

そもそもは、カトリックのドクマ(教理)においては、本来は死者は神に委ねられている。これは1962年〜の第二バチカン公会議でも確かめられたことである。生者の「天国に行きますように・或いは一刻も早く煉獄の苦しみから救って下さい。生者の祈りを聴きたまえ・・・」という土着?の信仰から「墓」があり、主にドイツのしきたりから普遍的信仰?の元に各国各地の土着信仰に基づいて解放されている箇所だと、私は理解していた。(ちなみに、ドイツでは未だ政府管轄のキリスト教税が、クリスチャンによって納税されている。聖職者による長年の性的虐待について聖座がモニャモニャしているうちに、特に子どもを育てている世代の信者が教会籍を抜いているそうだ。)

さて、日本において超高齢化と司祭職の不足によりカトリック各小教区における「墓地委員会」の活動が詰まって来た感じがしたのは、10年以上前からだ。鎌倉の『雪の下』には、信者から土地を寄付された素晴らしいカトリック墓地があるが、それは札幌教区管轄の墓地の歴史には及ばない。カトリック墓地は、私にとって第三の家のようなものだ。安らぎの根底には、墓石に表される名前があり、10基に一つは、私と同じテレジアかテレサが彫られているの。それがここ5年くらいの間に弄るしく荒れてきた。超高齢者か、墓参マナーがわからない人なのか、お花を回収しない(カトリック的に献花といえるのか、私には解らない)花台には腐った花が臭いを発し、雨水がトロッと粘度をまし・・・北海道のように雪の降らない墓地は、枯葉や蜜柑のクズや伸びすぎた竹や諸々の汚れでいっぱいだ。5段くらいに整備されている頂上には、マリア像があり昔の「めでたし聖籠満ち見てる・・・」から始まる文語体の聖母マリアへの祷碑文があり、像の足元には泉(ちょっとルルドを模して)っぽい池を作り、水を溜めていた。その池はボコボコと汚い雑巾のような臭いをして緑に濁り15㎝から18㎝ほどのオレンジと白が混じったような溶岩っぽい石が一個も見えない状態だったけれど、墓守が居た。多分60歳を超えている、悲しげな目のハーフ(アジアン×コーソカイド)のおじさんが掃いたり拭いたり、とてもマメに働いてくれていたんだ。
彼は、死んでしまったのか? 彼が居なくなってから、草木のゴミは何袋も溜まり,墓石の花は黴が生えドロトロに腐る。母の住所にも、何度か悲鳴をあげた墓地委員会から手紙が来ていた。

慈しめない墓地に、お墓を建てるべきではない。

娘は、雨の中墓石を掃除して祖父の名前を腐ったタワシでこする。
蒸した墓地に、スコールが降る。
こすった名前が、白くくっきりと浮かんだ。
彼女は、祖父の名前だけをこすって・・・終わった。

日本の墓地のいわゆるマナーを・・・守ってほしい。
「墓地」を建てたなら、雪の下教会からは車で5分のこの墓地を・・・きれいに清潔にしてほしい。全てを覆う「雪」が降らない土地なのだから。そして、墓地を持ってる誰もから羨ましがられる立地なのだから・・・ねぇ。

コロナ元年から、小樽の家の近所の仏教墓地や神社の 清潔を保つ祷に魅せられる。こんな年こそ日本人は祈り、鳥居の塗り替えをし、花を育てる。そんな中、粗末にされた日本の一等地が悲しく侘しかった。

そして、日常のルーティンを全てこなす母は・・・昔の昔からお墓参りに興味がなく・・・私は、まるごと、本当に諦めるしかないのだろう。。。

「永久にしろしめしたもう、全能の天主
数々のおんめぐみを感謝したてまつる
願わくば、死せる信者の霊魂
天主の御あわれみにより
安らかに憩わんことを アーメン」

小樽に居ると、近道に仏教のお墓の中を歩くことがある。その時に必ず、なんとなく口ずさむ祈りがある。

これは、食後の古いお祈りだ。

お祈りの言葉(ラテン語をやめたカトリックは、文語だったり口語だったり、果ては翻訳を変えたりさ💦)は、母の子供④にも孫にも引き継がれず、引き継ぎようがない。でも、私は、好きな祈りなんだ。

慈しめない墓地に、今お墓を建てるべきではない。

充分な年金を貰って今回の選挙に投票した母達(家の仏教から改宗した一世)は、祈る以上に考える責任があると思う。

日本で酷い暗殺が起こった。犯人は、母親を信じたい2世だった。はっきり言って、2世には信仰の自由はない。信じ方の自由もない。
カトリックにも、カルトがあり、全財産寄付するネオカテクメナートも認められている。そして、ネオは青年の集い(カトリックユースデー)を取り仕切り、そのカルトで集団見合いを決行し、●一協会のように叙階なしで家族宣教をしている。グアムの日系のホテルは、彼らが買い上げて拠点の一つにしている。買い上げられるだけの予算は、全財産を寄付する新参信者の姿勢があるからだ。

残念なことに・・・寄付額は数字として、評価され、ごく一部の上納金のようなものは、貧しい人々に振り分けられている・・・と、せめて信じたい。

バチカン銀行が執行停止に陥ったのは、マネーロンダリングに加担していたからだ。それ以外にもクレージーだったのだろうけど。改革を仰せつかった司教様は、改革途上で本人の希望を無視してアメリカに飛ばされそこから司祭の性的虐待裁判のスッタモンダの渦中に投入されて、諸諸についてパパ様に抗議文を送っている。辛かっただろう、辛いだろうと、感じる。

遠い遠い距離の話は・・・私にはとても近いことだけれど、考えないように決めなきゃならない。
せめて・・・彼らが「寄付」によって確保した墓地が・・・大切にされているように見せてほしい。安らかなることとは、そういう事だと思うんだ。

そして、それだっけを守れば・・・戦争が70年以上ない日本なら続くような気がする。
雰囲気のことだけれどね・・・

頂上のマリア像は、黴と苔に覆われて、彫り込まれた瞼は陰を増しギクっとするほどウツロだ
足元の池に水は無く、ゴロゴロと選ばれし石に雨がはねる
束子で洗おうにも 黒雲濃くなり山の豪雨が来た
何段の墓地の頂上から ずぶ濡れになりながら門付近まで降りる
門付近には、納骨堂と言われている空かずの倉庫がある
朽ちた隙間から覗くと…なにひとつ装飾なく名前もなく壁一面に蓋つきの納骨棚が見えた
その建物を作った時、100は確実に数えられる棚がすぐに埋まったという………
扉を挟んで、少なくとも屋内には
枯葉も黴も見当たらなかった
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ピンクのサンジャク

2022-07-15 17:04:37 | エッセイ
ぴんくのサンジャク

居られれば、小樽祭りだ。

任侠系の屋台やその年限定のザお祭りらしい風景が連なっているだろうな。あまりにも寒くて浴衣の下にトレーナー2枚重ねで繰り出したこともありました。くじ引きや東京カステラ、ラムネ、サビオ(バンドエイド系の絆創膏を私は今でもサビオと言ってしまう😁)をはりめぐらした素足に下駄を履いて、神社の階段を登ったり、いちいち拝礼のお行儀がわからなくて寒いのに汗かいたりさ。教会の門前にもびっしりと出店があって、防犯やトイレサービスの意味で庭でバーベキューをしながら下界のお祭りを楽しんでいた。ちびっ子達がくじ引きで勝ち取ったキラキラのネックレスを見せてくれたりさ。お祭りのお小遣いで初めてみたいに現金を手にした娘が、私のため指輪を買いたがったり、東京カステラのお兄さんに私が「いっぱい入れてね♪」って言って、「困ったママですね・・・」って言いながら、袋から溢れるほど鈴カステラを盛ってくれて、ズルした母親に愛想をつかして娘がいなくなったり・・・💦

私のうんと小さい頃は、父方の本家(と、言ってた。立派な提灯を玄関に吊るしてねぇ)では、伯母様が春に採ったわらびや蕗が入った美味しいお煮しめとお赤飯があった。私は、今考えると超絶美味しいお煮しめも甘納豆入りの北海道のお赤飯も苦手だったので、特別に海老グラタンとか作ってもらってた。かわいいポチ袋にお祭りのお小遣いをもらって、5個入ってる綿飴と金魚掬いをするんだ。赤い金魚は、私の私だけの初めてのペットだった。ヨーヨーは、選びに選んで2個買った。疲れたら伯父さんの肩車でお店を巡る。伯父さんはみんなに挨拶して、みんななんか私にくれるのよ。今にして思うと、不思議な光景だ。ちょろりと、伯父さんはテキ屋なのかなぁとか思っちゃった。

夕暮れから、ピンクと白の縞々の提灯の灯りが目立つようになる。緩やかな坂に並んだ夜店にさ、夏虫が集るように人々が止まって、そしてゆるやかに流れるのね。途中で知り合いに会って、地上170㎝くらいで少し喋ったり挨拶したりさ。夜には段ボール箱いっぱいの花火をするんだ。幻覚みたいだなぁ。。。
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待降節3 ロラテチェリ♪

2021-12-11 19:25:01 | エッセイ
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ふたつとして無い秋に- JR北海道・車窓から

2021-11-08 14:27:23 | エッセイ
山の別荘地に行くのは四半世紀ぶりだった。
電車で空港とは逆方面へ行くのも遠い昔以来だった。
小樽駅から倶知安方面へ2両しかない電車は、低速でガタゴト走る。北風まじりの小雨は冷たくて紅葉の先端をロマンチックに光らせた。薄く黄砂がへばりついた車窓外側には、大きくふくらんだ雨粒と内側には、結露粒。ガラスを挟んで同じリズムで揺れたり垂れ落ちたりしている。

林檎や葡萄で有名なフルーツ街道は仁木まで続くね。1世紀以上前から続いている果樹園が線路直近まで営まれていて、その頃の原風景からそれずにいるのだろうか。明治16年開拓使から配布されたりんごの苗木は1817年にアメリカで発見された古い品種だと言う。ホームに横倒しに曲がった林檎の木が見えた。姫林檎と紅玉の間くらいの 粉を吹いた赤いあかい丸いまるい林檎。細い枝先にしがみついたり、落ちるというよりこぼれたイメージで幹の殆どが林檎で埋まってるんだ。一本だけの駅の林檎の木。寒色系の赤が幻のように可愛くて、冷たいんだ。開かずの車窓から、あの清潔で美しい林檎の芳香をくっきりと思い浮かべる。15分間隔くらいでこの電車が往来するのなら、降りたかったねぇ。
車外は一年で最も寒い。ぱらぱらと降り続く雨が多湿を呼んで踵や耳が冷え切る。風邪をひいたらつまらないから、私は内側から開かずの車窓にへばりつく。
向こうの向こうの山の手前まで黄色茶色赤黒緑・・・時折それに小さな四角い青のトタン屋根が混じる。荒々しい無垢の自然美よりも「秋」だ。小さな駅にも電車は止まる。ぁぁ、駅の電信柱は「木」だった。一車両に6つある扉は前方車両1箇所だけの開閉だった。
 
 仁木町を過ぎると何駅か後、鉄道林の中を電車は走った。くねった川や濡れた落ち葉溜まり、真っ赤に紅葉した蔓草に先端まで絡まれたドイツトウヒの一軍が飾り立てのクリスマスツリーみたいだった。この蔓草は風に乗ってターゲットに触手のような先っぽを絡めることから確か「泥棒」って言ってた。鮮やかな赤なのよ。どうしてそんな色になる必要があるのだろうか?
所々に群生する白樺の肌が光沢を帯びて妖艶に見えるし、スギは最も向こう側に堂々とまっすぐ高くたかく等間隔に居る。関東のクレスト系の街路樹がお行儀のいい羊だとすると、ここのスギは立派な角を持つエゾシカの群れだ。鉄道林は絶妙に間引かれて丸太が黒く四角く積み上げられているの。晩秋に全力で花をつける野草越しに見えて、数える間もなく見えなくなる。それほど近い交々。(おお、この雨がもし雪だったら、私の電車はここで止まってしまうかもしれないや)

 飛び込んでくる一瞬の北の秋を手繰りきれず、目が回ってきた。
しばし目を閉じて鉄道のガタゴト音にドキドキを合わせる。内には、出面さんの打ち合わせをしているお婆さん二人、学生風二人、新幹線がらみの地質調査員風一人、暖かな毛糸の帽子を被ったお爺さんの単体が三。少し劣化したビニールと塩素が混じった匂いがした。
きっと窓の向こうは、発酵した針葉や冬眠するのをやめたエゾリス君たちが集めたドングリや松毬や 来春に芽を出してみたいからたっぷりの落葉に紛れた鬼胡桃のあの青臭くてオイリーな香・・・そして何十年も食べていない落葉キノコのお味噌汁の大根おろしをお箸で崩して啜る時の・・・ほのほのと遠い遠い漆の匂い・・・穏やかなふっくらとした山の山の小川と森と鉄道と・・・

 目を開いたら、貸切電車になっていた。。。
車外風景からも(人)の気配が消えて、靄かかる森に殆ど飲み込まれたような不安を覚える。トンネルは狭い穴だった。
・・・終着駅のアナウンスが流れ、ポロンポロンと建物が見えた。停車と同時に私は電車扉の開閉ボタンを押して、ホームに飛び出た。久しぶりに、ボタンを押してご機嫌さ。ホーム階段に書かれた矢印は、とても大きく愉快なペンキ描き。私は、その矢印を踏みながら階段を登り階段を降りた。マスクを二重にしていても、スッーと息がし易くて肺が軽くなっていく。

(キツネとネコのような)僕らは、会うことできた。
ふたつとして無い秋の木曜日。
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煙とともに忘れるような

2021-10-11 09:21:53 | エッセイ
分解が、楽しい時代があった
組立直せないままに… 工事中
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バナナスフレとスマイルてきな…

2021-10-11 08:53:55 | エッセイ
お料理の秋かいな・・・

冷蔵庫整理のためのお料理や漬物って・・・二人暮らしにはあんまり楽しくない。(一回の食事でなくならないもの💦)生協が届く水曜は、特に追い立てられるように、見切り品に見切りをつけて冷蔵庫を空ける。今日は、開封して3日で食べましょう♪というホムスと瓶詰めソーセージの汁でゴロンと2週間くらい前からあるキャベツ半玉のスープを作った。キャベツのスープは大好物の一つなのだけど、何度か味見しながら煮込んでいると、これまた食欲が無くなる。

何故か、、、ほーらら、私は、お蕎麦が食べたいからだよ🤣

それでも私は、母の野菜室の大量のバナナと卵を料理しました。
オーブンが無いので、フライパンでバナナスフレ…😉

バナナ5本・シナモン・ショ糖大さじ2・小麦粉大さじ2・レモン汁小さじ1を全部フードプロセッサに入れてブィーン♪ 卵5個割って、黄身と白身に分けて、黄身は「田舎みそ+みりん」のジップロックへ行ってもらって、久しぶりに泡立て器でシャカシャカメレンゲを作った。角が立つほどアワアワになったメレンゲとバナナクリームを混ぜて・・・キッチンペーパーを引いたフライパンに流したら、とってもきれいなフアフアの氷山になって、ぁっ、オーブンだったら、ここにウッスラ焦げが出てシナモンバナナの風味を卵白の網で仕留めるような・・・そんな手前っぽくないドラマがあるのね。フライパンってやつは、特に電気調理器上のプライパンってやつは、なぜかうーんと「手前寄り」なの。まあ、鍋むっちゃ見張りながら、冒険みたいに当てずっぽでケーキを焼いてるし、裏返す時は、2個目のフライパンで受けるみたいに思ってて、すこぶる順調だった。けれど、ひっくり返した瞬間にスフレはしぼんじゃうし,焼き上がりを六等分にカットして焦げた生地をナイフで削ったら、パンケーキより薄くなっちゃって・・・バターとイチゴシロップをたらして、紅茶と浅漬け野菜とママンに出した。

「まぁ、これは、なあに❓」
「ママが大好きなバナナのスフレっていうかシフォンっていうか・・・(あなたがたんまりと溜めこんだ・・・バナナ〜ず)😆熱いうちに、召し上がれ♪」
「ふんふん」
「あら・・・とっても美味しいわ。シフォンケーキがママはケーキの中で一番好きなんだけど、バナナのシフォンは苦手。なんか、バナナがせっかくのフアフアシフォンを重く押さえつけてるイメージ。でも、この食べ物❓は、とっても軽くて美味しいわ・・・ぇっ、漬物と・・・合うねパリポリ♪」
「うふふ。美味しくてよかった。。。」

スフレの出来上がりは、味見してないけれど・・・失敗じゃなかった段階で、、、なーんか食欲が無くなるのよね。※まだバナナ一房在庫あり

・・・・それは、何故かと言いますと、、、私は、だいたいお蕎麦が食べたいからなのですねぇ😆😎
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ペットボトルリサイクルの日

2021-07-01 17:09:15 | エッセイ
ペットボトルの日だった😉/ バタバタ中
リサイクルを約束されてる網にかかったペットボトル
雨の日も風の日ももちろんギラギラ天気でも外灯下でも
好きな光景よ…

自分の持物がわからなくなったあの子や
自分の持物を抱え切れなくなったアタシや
自分のものと人のものってルールが
いつまでも飲み込めない君を思い出した

捉えるブツを見失ったら
捕えられる情景がいい。。。パブリックにリサイクルしてくれるってさぁ

text : 30.June 2019 Ari Nakamura

I broke my foot at a pedestrian crossing and was about to curse the uneven cobblestones.
Platform heels, such as the Sabot is of even terrible step on the pebbles.
You are walking with barefoot and good at Reebok sandals.
"I can run, perfect!" you said.

......it is Just story...

あたしは 横断歩道で足をくじいて 凸凹の石畳を呪いそうになる。
サボのような厚底ヒールは 小石を踏むのすら恐ろしい。
あなたは、裸足にリーボックのサンダルで得意になって歩く。
走れるんだぜってさ。

あたしは 足が痛くなるヒールの高い靴が好き
纏足のようによろよろ歩いたあげく、
15分おきにカフェに入って靴の踵を外す
君とは、足のサイズが同じだから...
痛すぎて歩けなくなる寸前で
靴の交換をするんだ。
1人は 助かって 1人は犠牲になる

殆どの場合、交換後の服と靴はチグハグだ。

カフェに入ろう。
今日はパンケーキが食べ放題ですって。
特大のパンケーキには
クロテッドクリームといちごシロップが
「細い練乳のグリット模様の網」の中にいた。
一口目はガツンと甘くて嬉しかった。
甘すぎるパンケーキを
「甘いものは、うんと甘くなくっちゃねぇ」と食べるのだ。
机の下では、また、こっそりと裸足になって
ヒールでつりそうになってる(彼)をいたわる。
気分は、「ローマの休日」のあのシーンなんだ。
ツチフマズに、早めに激甘エネルギーが
作用しないかなぁとか思いながら、
無口になっていく。

パンケーキは、甘すぎるし大きすぎたね。
はりきって温めて食べた
「シナボンCinnamoroll=Cinnabon®」の記憶が蘇る。
「日本で、こんなに喜んで美味しくこれを食べられる人は、、、少ないよね。私たちって、Specialに幸福!!!」

そうよ。
そうなんだ・・・
僕らにとって、経験からの学びが尊いんだよね。

あたしは、君に・・・あの日「尊い」って漢字を教えたんだ
君は・・・もう覚えてないかもだけどさ
あたしが、全力であの瞬間に、
君に何かを伝えたかったってことは・・・
わかってるよね

愛・・・さ。

そうだといいな。
そうであるように・・・は、祈るしかないんだ。

ボクは・・・自分がが可哀そうになるほど・・・
全力投球なんだ
それは、100%君の為かって言うと
違うの
私を含む作品の為で・・・
ごめん、それは、日本語でいうと「性SAGA」なの。

あたしは、クリスチャンの家庭で育ったから
与えられた「タラント」の意識が・・・SAGAだと感じる

大いなるモノから、与えられたコトは、何か?
機関車トーマスのように、
誰もが実感できる「役に立つもの」にはなれなくっても
誰かや何かに・・・
感じること・考えること・喜びに・・・なりたい

憎しみや嫉妬は、スルーだよ。

彼が・・・
「いつも 喜んでいなさい」って言うからさ。

いつにも増して
「だけ=only」とは、言えないけれど
君のことは、特別に愛してます!

それは、伝わってるよね・・・
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かきかけBali

2021-06-29 16:36:20 | エッセイ
https://www.youtube.com/watch?v=HBHXJtAZDu8
80年代後半から、国内旅行があまりにも高価で・・・誕生日付近にバリ島に行くようになった。初めて行った時は、コンチネンタルミクロネシア航空。エコノミークラスでも「機内のバーラウンジ」が利用できる時だったし、シャンパンも飲めた。あんな飛行機今もあるのかな? 

FIXの値段もタクシーもなく、日の入りとともに店が閉まり、とても、素朴な時代だった。

ある日クタの道端で、同じ名前(アリ)のジャワ出身のサーファーに会い、その後は、旦那さんと彼と3人で遊ぶことが多かった。彼がポンコツ車を借りて遠出したり、そのポンコツ車が知らない村でオーバーヒート?してその修理中、私だけ知らない民家で休ませてもらったり。アイスティーをご馳走になりながら、その家でテレビを見ていたら「おしん」が流れてて・・・
多分、テレビがまだ普及しておらず村人や子どもがその家に集まって、「おしん」の国から来た私は歓迎された。ムスリムのアリとの旅は、言語は、日本語・関西弁・英語・インドネシア語だし、「早道だっ」と地図にもないような道を走ったり、宗教や習慣・バリヒンドゥや歴史…ロコ情報・・・色々聞けて本当に楽しかった。

https://www.youtube.com/watch?v=IW-QPw4-4cU
ホテルのスタッフに、「明日、誕生日なんだ」って自分で言いふらしてたのか、ニョマン君に大きな扇(半径1mくらい)とブーケをもらった。彼らの月収が5千円位なのを知っていた私たちは、ニョマン君が「扇屋の倅」だと思うことにした。
ダークチェリーがいっぱい入っているケーキ「ブラック・フォレスト」1ホールにキャンドルを灯してお祝いしてくれた。
後で、ニョマン君とエンジニアのマデ君とご飯を食べに行って、旦那さんが「ガムラン/ガンサ」を買いたいって言った。すると、マデ君の親戚がガムランゴングの工場をやってて、早速彼が休みの日に、知らない町まで行った。
その当時、これらの楽器はまだお土産物にはなっておらず、バリ島でも村単位が注文する高価なものだった。工場では6才くらいからの子どもたちが一生懸命働いていた。一個のガムランを買う交渉は私の係だったので、けっこう疲れた。いつも2週間くらいそのホテルに滞在していたのでか・・・ホテルのオーナーとディスコにいく羽目になりそうになったこともある(笑)

ちなみに、このジェゴクバトルは、ライブで見たことがない🤔

https://www.youtube.com/watch?v=djwYGFLxWyY
初めて行ったデンパサールのアートセンターで観たレゴンやケチャが、一番良かったな。
照明は、松明だけだった。開演前に、コロセイム状になった席を取ったら・・・旦那さんはビデオを撮るためにいなくなり、、、アリは女の子をナンパするためにいなくなった。それで・・・夕べのコーランが流れ♪私の周り中の多分バリ他出身のインドネシア人が祈り出した。えええっっっ! それがすんだら、やっとうちの男子たちが帰って来たのでした。
そして、開演中、暗がりの中で美しいレゴンダンサーを描くのは、至福だった。

入手したガムラン/ガンサは、当然出国審査で捕まった。。。(ぁぁぁ、これで旅行の注意本に書いてあった別室送りだなぁ)と思っていたら、審査員たちがワイワイニコニコキャーキャー騒いでて「これって、ガムランだよなぁ、凄いいいもの買ったね~♡」って喜んでセーフだった。

最後に行ったのは、2009年。
プライベートビーチのはずなのに砂浜が、殆どなくなり・・・観光客の国籍も様変わりした。タクシーもデパートもあって便利にはなったけれど。

カルチャーショックな、デンパサール市場・・・暑くてぐったりな犬は、トラ模様とかヒョウ柄。そんな模様の犬が生息しているのか何年か不思議だったけれど、ある日ムツゴロウさんがバリ島の犬を調べる番組があって、「これは、自然ではありませんね、描いたものですね♪」日向ぼっこのおじいちゃんに「描きましたね~?」と尋ねるとニヤッとして「うん」と答えていた。


「ワタシノ ナマエハ 味の素 デス」と話しかけてきた少年


ワンデーワンプレイス☆


娘が生まれてからは、キッズクラブが充実しているホテルに替えた。なんとキッズクラブは無料(プールは、「日よけ付き」でウォータースライダーあり。ちゃんとスーパーバイザーがいて、午前8時から午後6時まで預かってくれる。内容も、1時間おきにメニューが変わり、海岸でのゲームやお供えのような民芸品作りのワークショップ、小鳥の餌やり、ピザ作り・・・とにかく参加してみたいほど充実している。初期は、卓球台の横にサンドバッグもあった~、それはいつしか無くなっていた・・・注意:12才まで)
&専属のベビーシッターが一時間200円くらいで頼めて、至れり尽くせりでした。 (預けっぱなしにしては、いません)


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6月に帰れたら、浴衣を持ってこよう…

2021-06-14 09:15:51 | エッセイ
6月に帰れたら、浴衣を持ってこよう 

小樽の家のクローゼットに浴衣と帯が3セット入っている。

リラ冷え底冷えに開花で湧く野も山も息を潜めながら風でたまった花びら道に 潮見ヶ丘神社祭の幟が立ち出すと、浴衣期(とき)のスタートだ。気が向いた夕方から私は浴衣を着た。晩春のお祭りをぶらつくには、浴衣の下に2枚もトレーナーを着てスパッツもはいてね。そこここで貰って貯まった団扇置き場から気分の団扇を選んでね。悩んだ挙句、いつも結局擦り切れたニッセイのミニーちゃんの団扇を連れ出して、1,500円くらい帯の袋に入れてから下駄をパスして感じ悪くないと思えるサンダルを履く。下駄は特注じゃないから、20歩くらいしか歩けないのよ。何時ぞやの下駄履きの日は、鼻緒で足が切れる予防にたくさんサビオを貼ったのに、ダメだったから・・・色々全部。スタスタとカラランと下駄を履きこなす人が羨ましいな。ペタペタとビーサンで歩く人すら羨ましいよ。

遠回りに下山して馴染みの万屋(よろずや)に寄る。そこは清潔なコンビニでモッキリも出来る。元気な酒好きのお婆さんが葉物や夕飯のおかずを買ってから、ワンカップの蓋を店番さんに開けてもらって、トクトクとほぼ一気に立ち飲みするんだねぇ。私は、ソフトクリームを作ってもらって店のお母さんと話す。親しみのこもった優しい声と空色のアイラインで、歌うように気配りしながら7種類くらいの事務や仕入れや配達の指示をして、7種類以上のありがとうバリエーションを使いこなしていた。彼女のコンビニエントな城は店というよりも彼女らの日常の7割の姿であって、その勤めがそのまま生業で・・・サラリーマン家庭で育った私にはキラキラと「充分に生きるための人との結びつき」に映った。。。
「あらっ? 今週は、どこのお祭りだったかしらね」
「どこも・・・夏だから浴衣着てるの・・・えへへ」
「まあまあ、そうだったのね。私も昔はねぇ、ちょうど今時分に呉服屋さんで浴衣の反物を選びに行くのよ。ほら私は実家で初めての女の子だったから、今思うと甘やかされていてね。縫えないから仕立てもお願いしてね・・・新調の浴衣が届くのが楽しみで・・・。お祭りの時は、おばあさんが少し白粉をはたいてくれて、お母さんの貝殻に入った口紅をほんの少し小指で塗ってくれたりしたわ」
「反物をくるくる解いて、右肩にかけて鏡を見るのよねぇ。私は一回しか浴衣を作ったことないから、それは特別中の特別なことだけど・・・おばさんの娘時代は豪華だなあ」
「・・・戦後で物がない時代よ。残りご飯を煮直して浴衣の糊を作るのだって、贅沢なことなはずだったわね。でも子供たちは家にも町にもたっくさんいて、大人たちはやっぱり張合があったのよね。そういえば浴衣の反物は呉服屋さんじゃなくて見慣れない行商の人から分けてもらったこともありましたわ・・・」
「ぁっ、そういうのに掘出し物もあったんじゃない?」
「いえいえ、今のお洋服と同じでね、柄も色も流行りがあるから浴衣も新柄の新物が欲しかったのよ。わがままねぇ・・・ほほほほ・・・」
「アイスご馳走さま、150円ここに置いとくね」
「はーい、まいどさん。ありがとうございました。坂道気をつけて帰ってね」

・・・
私は「焼き尽くす捧げ祭」みたいな関東の真夏を忘れていたけれど、服装自由な逗子で柄の大きさを気にせずに、お祭りでも花火大会でもない何でもない週末付近夕方。糊をきかせた浴衣を着て、スズキヤでスイカの切身を買うだろう。

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