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幼稚園の自由時間は、きまっておひめさまごっこをしていました。
集団でやっと少しだけ遊べるようになり五人くらいのお友達でやっていま
した。今の幼稚園では、テレビアニメや戦隊系のまねをするそうですが、
私たちには、絵本しかなくしたがって台本らしきものがなかったので、西
洋東洋全部合わせたような漠然としたものでした。
必ず主人公のおひめさまとおうじさまとお付きの小姓か侍女がいて、誰も
男の子にはなりたがらなかったのでおうじさまがいることは、めったにあ
りませんでした。
おひめさまになるには必ず髪の毛が長くなれけばならないというきまりと、
びっくりするとパタリと倒れるその倒れ方が上手じゃなければいけません。
毎日おひめさまの倒れ方を練習したものです。
見本は、森のなかにおきざりにされた白雪姫でした。
私は、そのころ親の趣味やおひめさまごっこのために髪の毛をのばしてい
ました。父がかわいい六角形のビニールがかかったボックスをくれました。
このボックスには、たしか亜土ちゃんの絵がついていたはずで、幅の細いも
のから太いものまでいろいろな髪のリボンが入っていました。
朝、母親に髪をとかしてもらって三つ編みにしてもらい毎日、あみだまの数
を数えてもらっていました。
何週間に一回は、その三つ編みの数が増えました。
二つに分けた三つ編みの先にリボンを結び、頭の上で交差させてピンで留め
ていました。
お友達みんながおひめさまの役になりたがっていました。
「おひめさまになれるのは、一番髪の長い人よ。」
私たちは、そういって髪をほどいては、みんな一歩もゆずらずに長さ比べを
していたのです。
お迎えにきた母が驚いて、長い髪は危ないので今度髪をほどいたら切ってし
まうと言いました。
私は、絶対にほどくまいとは、思ったもののおひめさま役のけんかになると
気がついたら髪をほど
いていました。約束だからといって母は、家に帰ると家庭用の散髪道具を用
意して私を椅子に座らせました。私は、命の次に大切な髪だったので、おい
おい泣きました。
鏡の中には泣き顔のおかっぱ頭の私がいます。机の上には、今まで頭にくっ
ついていたきれいな髪がならんでいました。母が、後始末をしている間その
切った髪の毛をさわっていました。かたずけの終わった母は、その髪の毛で
ヘアーバンドを作ろうと思っていたらしいのですが気がつくと私がもうぐちゃ
ぐちゃにしてしまっていたそうです。
髪を切られてから私は、おひめさまごっこに参加しなくなりました。
父にもらったボックスもなんだか虚しく思えました。ボックスの中には、
まだしていないリボンがありました。いつものグログランのではない、薄
いクリーム色の幅広のサテンリボンは、お姉さんみたいに後ろでひとつに
結ぶとき用だったのでとても悲しく感じました。
この後、また、髪をのばしてみますがリボンが結べるようになったときは
もうボックスにお気に入りのリボンはありませんでした。
文*エッセイ「ママといっしょにいたかった」より
画像*「あこがれの献金係り」版画