miss pandora

ONE KIND OF LOVE

愛にはいろいろ種類があるの
全部集めて地球になるの

ランチ直後の歌

2021-08-03 13:36:01 | マミィズストーリィ
金キンの夏昼 ぉぉ何も見えないぞ
馴染みのニャンコは お出まさない
馴染みのワンコは ここにはいない
馴染んできた靴の リズムはハテナ

眩しくて眩しくて
暑くてカラッカラ
馴染ませようと励んでも
ほーら
トビトビに・・・コンビニで涼んで
3分で暑さを忘却さ
ポツラポツラと逗子銀座

海は、もっと暑いからね
焼け焼けの砂 痛いからね・・・
愛する海は 言葉にならない
熱々のここも・・・言葉が出ない

・・・・

model: 0.9世紀の私の母親
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インジンさん-(1939)

2019-08-22 14:58:16 | マミィズストーリィ
text:Clara Yoshiko Y. りつ子の「思い出ノート」から
-インジンさん-(1939)

りつ子も隣りのしづちゃんも、
「よーい、ドン!」
と大声で言って走るのが大好きで、キャッキャッ言いながら、後になったり先になったりしながら横の通りを走って行きました。
しづちゃんは、りつ子が
「ドン!」
と言った時も、自分で
「ドン!」
と言った時も、第一歩を出すのがちょっと遅いのです。でも走るのがりつ子よりちょっと早いから、ちょうどいい具合です。
しづちゃんとりつ子は、オカッパ頭をゆらしながら砂留町に出る坂を下りて行きました。
コスモスの花が咲き乱れている道路の右側の崖の下に線路があります。いつも踏み切りのあるところまで走って、帰りはゆっくり風に吹かれながら上って来ます。まわりに人がいない時は、崖の手前にある棚を越えて行き、草のぎっしりと生え揃った平らな所でお休みにします。しかし、その日は少し違いました。
道路の左側に、粗末な板を打ちつけた貧しい家がありました。突然、子供の泣き声が聞こえたと思ったら、赤ちゃんをおんぶしたお母さんが、大きなどなり声といっしょに、子供をかかえて飛び出して来ました。
「又こんなに服汚して……、そんなに外がいいなら入ってくるなっ!」
ほおり出されたのは、色が黒いやせっぽのチビでした。顔中を涙と鼻水だらけにして、足をバタバタさせながら、
「いやだいやだ。ごめんよー」
と言っているのですが、何だか力が足りません。お母さんが、はさみをバリカン代わりにして切ったらしい坊主頭に、泥がつまり、だぶだぶの半ズボンの裾は、ほころびて細い足が弱々しく出ています。
びっくりした二人は、道路脇に急停車しました。でも、その間は何秒くらいだったでしょうか。目と目が合った時、二人はすぐにお互いが何を考えていたか分りました。
「泣かないで、もう一度お母さんに謝りなさいね。」
といいながら、あとはもうだまって泥を払い、ちり紙を出して鼻のまわりや、涙を拭いてやりました。しづちゃんは、頭を撫でてやって、
「すぐお家に行きなさい。」
といいました。男の子は、大きな目に涙を一杯浮べて、じっと二人を見上げてから、疲れ果てたおじいさんのような足どりで、よろよろと二、三歩行き、家に入るのが悲しいみたいに、もう一度振り返りました。りつ子は、手で〈早く早く〉の会図をしてやりました。
しばらく二人は、だまって歩きましたが、しづちゃんは、
「お母さんに叩かれたら、あの子死んじゃうよ。」
と言い、りつ子も
「どうしょう、服汚したくらいで、あんなにお母さんおこって………。」
と話し始め、今まで楽しく走っていた事などすっかり忘れて、重い気持で家に帰りました。
それから四、五日も経ったでしょうか、タ方になって級の友達の家から帰ったりつ子は、のどが渇いたので、台所へ水を飲みにいきました。
「赤いくつ はいてーた女の子、インジンさんに連れらって、行ったったー。」
少し開けてある窓から聞えてくる幼い子供の歌声。パチパチと拍手の音。子供が何人か集っているみたいです。りつ子は、おばあさんの下駄をはいて裏口から出て行きました。
通りの上にある広場で何かやっているようです。近づくにつれて、歌う声が大きくなります。しかし、それが誰かわかった時、りつ子には実に大きなショックでした。
歌っていたのは、お母さんに、ほうり出されて泣いていた、あのチビの男の子だったのです。
材木を積んだ上に、素足のまま靴もはかず大きな目に涙を一杯浮べて、細いのどに筋を立て、(気を付けっ)の姿勢で精一杯に歌っているのでした。足がふるえています。いじめっ子が何人かで、材木の上から下りないように見張っていて、
「もう一回!」
と、どなっていました。
「赤いくつ、はーいてた おんなの子、インジンさんに連れらって……連れられて行っちゃった。横浜のハトマから……行っちゃった」
涙が夕日に光ります。
材木の肌が赤みを帯び、下草が黒々と静まり返っています。
おそい秋の冷えた空気が、たそがれを知らせます。
半分馬鹿にしながらの拍手。子供達は、しゃがんだまま動こうとしません。見物している中に、しづちゃんがいました。
りつ子は、鼻緒の伸びたおばあさんの下駄を、あやつりながらはいて来た事も忘れて、大きな拍手をして前に行き、
「はい、お上手でした。おなたのお名前は何といいますか?」
と聞きました。胸の中が熱くなっていました。
「何だ何だ、りつ子、何だ」
いじめっ子三人が、りつ子の方に寄って来ました。ほかの子供達も立ち上がりました。
りつ子は、
「早くお家に帰りなさい、もういいからね」
と小さな声でいいながら、材木の上でふるえている男の子を下ろしてやりました。男の子は、
「インジンさんに……インジンさんに連れ……連れらって…」
と歌いながら、遠くに投げられていた穴のあいた運動靴を拾いに行き、ゆっくり足を入れています。りつ子は思わず
「いそぎなさい!」
と叫びました。
「おい、りつ子。いい気になるなや、こいつは、ここが(頭を指でさしながら)弱いんだ。だから、みんなで歌を聞いてやったんだ。」
「なんで無理矢理歌わせるの……。泣きながら歌ってたでしょう。」
りつ子は、涙が出そうになるのと、六年生の男の子が恐ろしいのを、キッとなって我慢しました。自分が三年生だった事などすっかり忘れていました。
「ばーか!、……いいんだ。」
もう一人が、
「今日は、これで解散!」
皆は、りつ子をまったく無視して帰って行きました。しづちゃんも、どうしたんでしょう、声もかけてくれませんでした。もっともしづちゃんに、あの時何か言われたら、りつ子はひどい事を言ってしまって、それっきりになっていたかも知れないと思っています。
ずっと後になって、あの男の子ーつまり、りつ子が言っていたインジンさんは、雪が根雪になる前に、風邪をこじらせて死んでしまったのを知りました。
りつ子は、お母さんのエプロンに顔を押しつけて、いつまでも泣き続けました。そして、ほんとうの悲しみは、何か言葉では表すことが出来ないものなのだという事が少し分かった様に思われるのでした。
秋の夕暮、「赤い靴」をたどたどしく歌っていたインジンさん。インジンさんは、いじめっ子に歌わされてこわかったけれど、拍手があったりして、少し嬉しかったかも知れません。
子供達は、インジンさんの悲しげな様子、あの声、あのさびしさを、もしかしたら、わかっていたのではないでしょうか。
子供達は、それが好きだったのではないでしょうか。
りつ子は、「赤い靴」を歌いません。
それにしても、インジンさんは、いつ、どうやって「赤い靴」を覚えたのでしょう。
「赤い靴」だけを……。
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8/16 1987年 りつ子の「思い出ノート」から

2019-08-22 14:46:50 | マミィズストーリィ
text:Clara Yoshiko Y.1987年 りつ子の「思い出ノート」から
-おにさん だいすき-

お母さんが、今日の郵便や、新聞を整理していました。
「りこちゃん、お願いね」
「はいはい!」
りつ子は、時折間違って配達される、上の道路のもっと上の佐川さんのお手紙を、届けてあげる役目もしていました。上の佐川さんでは、可愛い男の子がお手紙を持って来てくれていました。
佐川さんの小路を出ると向かいが高沢さんの家です。黒いがっしりした塀に囲まれた少し古い感じの家で、門から玄関までの間は、四角い石が形よく並べられており、片側に立派な松の木があって、いつも青々と手入れが行き届き、きれいでした。
佐川さんに手紙を届けたりつ子は、シーンと静まり返っている高沢さんの家の前を通ると、去年のことを思い出しました。
……………
雪のすっかり融けた五月の日曜日、ポカポカと気持ちよい日差しにさそわれて家から飛び出した子供達は、いつの間にか、あちこちで縄跳びや、石けり、かくれんぼなどをしておりました。
りつ子は、上のお姉さんにもらった大きな石筆で、何とかベッティさん(*1)の顔をうまく書こうと頑張っていました。目もいいし、顔の形もいいのだけれど、髪の形がうまく描けません。三つも四つも描いて、それでもうまくゆかず、ため息をついていたら、坂の下から角帽に詰襟の学生服を着た、背の高い素敵なお兄さんが上がって来ました。にこにこしながら、りつ子に近づいて、黙ってりつ子の石筆をとり、するすると、たちまち完全だと思われる様なベッティさんを描いてしまったのです。目も生き生きしています。髪など、風に吹かれているみたいに形がいいのです。
びっくりしているりつ子の手に、大学生のお兄さんは、やさしく石筆を返しながら
「りつ子ちゃんも、うまいよ」
と、言って大股に坂を上って行きました。
固く引きしまった黒い土の道路に、くっきりと描かれたお兄さんのベッティさんは、いたずらっぽく、とても可愛い。そして何か上品な雰囲気がありました。
このお兄さんが、高沢さんの家の人でした。
りつ子は、走って家に帰り、二番目のお姉さんに知らせ、年がすぐ上のミキちゃんを呼び、三人で、
「すごい、すごい!」
と、言いながら、ベッティさんを眺めました。
絵の上手な二番目のお姉さんは、黙ってしゃがんだかと思うと、りつ子の石筆で、そのベッティさんの隣にう、もう一人のベッティさんを描きました。横向きです。まるでお兄さんのベッティさんとお話をしている様な楽しいお顔です。ポチッとつけた鼻が、ふっくらしているほっぺたを目立たせ、何とも言えない可愛らしさです。ベッティさんの横向きは見た事がないから、お姉さんが考え出した描き方です。正面しか見ていないのに、横向きが描けるお姉さんは、何てすばらしいのでしょう。りつ子は、すっかり感心してしまいました。〈わたしも女学校に入ったら上手になるかしら〉と胸が熱くなりました。
いつの間にか三人は、りつ子の石筆を割って描きはじめ、かなり広い道路を、すっかりベッティさんだらけにしてしまいました。けれど、やはり高沢さんのお兄さんの描いたベッティさんは最高でした。
りつ子は、お姉さん達に、あのお兄さんがりつ子の名前を知っていた事は言いませんでした。静かにしていると、
「りつ子ちゃんもうまいよ」
と、言ってくれたお兄さんの顔が見え、声が聞こえてきます。その度にりつ子は、うれしくて心がはずみました。そして、お母さんがよく言っている〈素直な子〉っていうのは、いつもこんな気分の子供なのではないかと思いました。何でも
「いや」と、言いたくないのです。
しばらくして、佐川さんのお手紙を届ける用事が出来ました。りつ子は、その帰りに、高沢さんの門の前のコンクリートに、
おにいさん だいすき
と、石筆で小さく書きました。
書いたら、急に恥ずかしくなって逃げたけれど、〈お兄さんが、きっと見てくれる。〉と、それだけを考えようと思いました。
次の日の午後は雨。外に出られないので、海の見える縁側で、ミキちゃんと、縄跳びやゴムとびをして遊んでいました。
「あのね、ミキちゃん、わたし高沢さんのお兄さんと結婚…」
りつ子の言葉が終わらない内に、縄跳びの数も終わらないのに、ミキちゃんは、パシッと音を立てて止めて、
「リコ、今、なんて言ったの」
と大真面目になりました。りつ子は、
「わたしね、高沢さんのお兄さんと結婚するから。大好きなの」
と、言いました。
「えーっ、わたしが結婚するのに。わたしは、お兄さんと仲良しなの。算数教えてもらったり、この間なんか、五目並べしてきたの。リコちゃんは、高沢さんの家に入った事ないでしょ?結婚するのは、わたしなの!」
「わたしが結婚するの!」
「りつ子のバカ、わたしが結婚するんだ!」
とうとう二人は、すごい喧嘩になりました。ミキちゃんは叩こうとしたりつ子の手を払って突き飛ばしました。よろけたりつ子は、足も滑って、縁側の敷居に頭をぶつけて、
「ワァーン!ワァーン!。」
くやしさも手伝って、大声で泣きました。りつ子の声があまり大きいので、お母さんが、
「大丈夫?」
と茶の間から、急いで来ました。
「だって、ミキちゃんが、高沢さんのお兄さんと結婚するって言うんだもの」
「あんたはダメ、わたしなの!」
ミキちゃんは、すごい顔をして立っています。お母さんは、そんなことどうでも良いみたいに、りつ子の髪を手でかき分けて、血が出ていないか、痛いところは、どの辺りかを確かめました。
「喧嘩は、もうやめなさい。外は雨だし、仲良くしなさい。二人でお嫁さんに行くって?困ったねえ、お兄さんは一人たしね!」
お母さんは、ケロッとして、こんな事を言います。りつ子は、お母さんが、--じゃんけんやしなさい--と言ったら、絶対いやだと言おうと思いました。お母さんは、フフ…と笑いながら、
「二人とも、きれいなお姉さんになった頃、お兄さんは、おじさんになっているのよ。子供は、一生懸命、子供をやりなさい。それが一番!」
お母さんの言葉は、決して味方ではありませんでした。--子供をやりなさいって--って?…、りつ子とミキちゃんは、思わず顔を見合わせそうになり、あわてて目を外らしました。
その週の土曜日、りつ子はう、やっと走りながらの縄跳びが出来るようになったので、高沢さんの家の前を通り、三角山の入口で引き返しました。だんだん足の運びと縄跳びが上手く合うようになって、うれしくてなりません。縄跳びをあやつりながら船見坂を下りて行くと、高沢さんのお兄さんが、鉄道橋を渡って上がって来ました。
一人ではありませんでした。
ふわふわのピンクのショールを肩にかけ、黒い髪を後ろで束ねた美しい人と一緒でした。二人は、言葉少なに話しながら、しかし、とても楽しそうです。
「高沢さんのお兄さん!」と、声を掛けようとしたけれど、声にならなかったし、まわりに何があっても気付かない様子なのでやめました。
りつ子の前を通り、後ろも振り返らずに、ゆっくりゆっくり
上がって行ったお兄さんは、丸井さん*2のショーウインドーに飾られているマネキンの様に、違った感じでした。
---お兄さんは、あの人と結婚する---]
誰も教えてくれたわけではないのに、りつ子には解りました。
ミキちゃんがおばあさんと市場から帰ってきたので教えてあげたら、あまりびっくりもせず、
「そうなの」
と、あっさりしていましたが、---そのお姉さんを見に行く---と言って、おばあさんに叱られました。
夕ご飯の時、お母さんが、
「高沢さんのお兄さんは、こちらで結婚式を挙げたら、神戸ですって。仕事も決まったそうよ」と、お父さんに話しました。又
「素敵な人だったから、がっかりする人がたくさんいるでしょうね」
お母さんは、チラチラ子供達に目を移しながら言いました。ミキちゃんは、りつ子をにらみました。りつ子は、ミキちゃんが少しかわいそうになりました。ミキちゃんは、
「お兄さんが大好きだった小さい子供もいるよ。高沢さんの門の前に、'おにさん
だいすき'って書いてあったの。あれはきっと、''おにいさん だいすき''って書いたつもりじゃないかな…」
「えっ、''おにさん だいすき''だった?」
びっくりしてあわてたりつ子は、思わず声に出してしまいました。ミキちゃんは、
「ひゃっ、やっぱりリコちゃんかぁ!何よ、1年生のくせに、あんな間違いして…」
夕ご飯のテーブルは、皆、口々に
「おにさん だいすき」
「おにさん だいすき」
と、言って笑い、すっかりさわがしくなってしまいました。今度は、りつ子がミキちゃんをにらみました。
それにしても、何という失敗でしょう。くやしいのと恥ずかしいのとで、顔が真っ赤になりどうして良いか分からないのに、なぜかおかしくて、笑いがこみ上げて来るのです。
とうとうふたりは、バクハツしました。お茶碗もお箸もテーブルに置いて、涙が出るほど笑いました。''おにさん だいすき''だって。
桜も散り、花々が次々と夏に向かう頃、二番目のお姉さんが時々じっとしているのに気がつきました。
机の上に広げてられているスケッチブックには、ヴィーナスにまじって、顔のない角帽の大学生が描いてありました。別のページには、ベッティさんの落書きもあり、その中に、やはり横向きのがありました。
りつ子は、二番目のお姉さんが描いた横向きのベッティの意味が解りました。
ミキちゃんにも言わない、お母さんにも言わない。ひみつのひみつ。二番目のお姉さんは、高沢さんのお兄さんを好きだったのです。
''おにさん だいすき''を、高沢さんのお兄さんが見て、--りつ子ちゃんだな--、と思ってくれた方が良かったか、思わないでくれた方が良かったか、今のりつ子には、わからなくなっています。でも神戸にいるお兄さんが、お父さんやお母さんのいる北海道を思った時、小樽を思った時、その心の絵の中に、〈わたしがどんなに小さくてもいいから描かれていればいいな!〉と思いながら、りつ子は帰り道を急ぎました。
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8/14 太陽燈の謎2

2019-08-22 14:40:57 | マミィズストーリィ
母に描いてもらった太陽燈図。
色々調べていくうちに大正時代に家庭用に島津製作所が作っていて、魅力的なポスターで販促をしていた。
1937年以降、旧陸軍の攘夷軍人への社会復帰対策の(昭和十年代の臨時陸軍病院におけるリハビリテーション ―傷痍軍人の就労への道―上 田 早記子)中で【後療法】として、太陽燈の名前が出てくる。
後療法は、機能障害を取り除くとともに残存能力の増進を図り、必要に応じて義肢の装着や 医学的加療を行うものである。後療法を行う場所は機械療法室や超短波療法室、空気イオン療 法室、太陽燈室、赤外線療法室、紫外線浴療法室、平流感伝電気療法室などが設けられており、 多様な後療法が行われた-上田氏の論文より
https://www.lib.pref.yamanashi.jp/cgi-bin/refjirei/refs.cgi…
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/…/3…/1/hemmi_hokekan54.pdf

逸見勝亮氏によると、

ところで、僕が1950年に入学した室蘭市立 天沢小学校保健室には太陽燈があった。保健室 は2階北側の角で校長室の真上にあたっており、 皐体検査・ BCG接種を行う「恐ろしい」揚所 に 近 づ く 理 由 は な か っ た が 、 大 き な 円 球 状 の 太 陽燈は眼を引いた。太陽燈は、結核性疾患(小 児結核)の温床とされていた虚弱兜に紫外線を 照射して健康増進を図ろうと、 1930年代以降 各地の小学校に広まった。天j尺小学校の太陽燈 は校舎改築に伴って処理されており 、由来を示 す資料ち得られないので…
とあった。
http://showamodern.blog.fc2.com/blog-entry-1060.html
島津製作所の家庭用太陽燈




http://www.ogasawara.oswb.net/archives/28080
小樽市稲穂女子尋常高等小学校に母は在籍していた。母が太陽燈にあたったのは、1937年(昭和12)当時6才から8才までのことだったらしい。

記事の中の「織姫」の踊りに関しては紅白のテープではなく、群青色と薄い空色の2色で、「織姫」は5、6年生にならなければ踊れず、低学年生は「早く織姫が踊りたいな」と言っていたそうだ。
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8/12 太陽燈の謎1/母の昔話

2019-08-22 14:35:50 | マミィズストーリィ
昭和6年生まれの母の小さい頃や戦中戦後の話を聞くのが、いつも楽しみだ。
 そのなかで尋常小学校の頃の体質改善の「太陽燈」に入っていた話は、謎だ。彼女がいうには、銀色の宇宙船のようなものに、専用のサングラスをかけて白いノースリーブの上着を着て太陽燈の内部に入り、中央の燈を囲んで壁側についた手すりの棒に、お行儀よく20分くらい掴まっていたとのことなのだけど...内部も銀色で、本当に小さな宇宙船のようだったそうだ。調べると、旧陸軍の攘夷軍人のためのリハビリや体質改善のために研究されていたことの延長に、学校保健として太陽燈や肝油を与えるなどがあったらしい。でも、宇宙船のような画像は出てこないのよね。画像右下の水中メガネをかけている図は、まさにこのサングラスで、大正時代に一時家庭用の太陽燈も出回っていたこともあるらしい。
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