先週、小鳥の巣と昭和初期の子供の絵日記などを買った。
『勿忘草』(アンティークショップ)には、以前から気になっていた古い日記も売っていて、今回私にとって「当たり」と思われる買物をしてしまったんだねぇ。
購入した83年前の365日の日記は、近衛工兵2年兵のもので第二次上海事変で右肺右肩銃弾貫通して負傷した22才の兵士が、昭和13年上海から病院船ぱしふっく号で広島から東京第一陸軍病院へ護送される様子からはじまる。時は、私の母が7才で小樽市稲穂女子尋常高等小学校2年生だった。彼の日記は、右腕負傷のため利き手ではない左手で書かれ、また昔の字や当時の言い回しなど・・・つまり、とても読み辛いのだけど、解らない字や単語を{そのまま風}にノートに書き写して、母と謎解きするのは面白いし、今月末90才の誕生日を迎える母の記憶を手繰るのも私にとって意味深い。
今日やっとその日記の4月を書き起こすに至った。(ちょっと、彼の日記調子😁)
『勿忘草』(アンティークショップ)には、以前から気になっていた古い日記も売っていて、今回私にとって「当たり」と思われる買物をしてしまったんだねぇ。
購入した83年前の365日の日記は、近衛工兵2年兵のもので第二次上海事変で右肺右肩銃弾貫通して負傷した22才の兵士が、昭和13年上海から病院船ぱしふっく号で広島から東京第一陸軍病院へ護送される様子からはじまる。時は、私の母が7才で小樽市稲穂女子尋常高等小学校2年生だった。彼の日記は、右腕負傷のため利き手ではない左手で書かれ、また昔の字や当時の言い回しなど・・・つまり、とても読み辛いのだけど、解らない字や単語を{そのまま風}にノートに書き写して、母と謎解きするのは面白いし、今月末90才の誕生日を迎える母の記憶を手繰るのも私にとって意味深い。
今日やっとその日記の4月を書き起こすに至った。(ちょっと、彼の日記調子😁)