しばらくお話に登場しなかったかな・・? 仲良しの ボクの森の下に住む奥さん・・
時々 ご馳走してくれたり ボクの姿が見えないと 何かあったかと心配してくれたり いろいろお話してくれたり・・
とても ありがたい存在なんだ
お友達が 軽井沢に遊びに来たとかで 久しぶりに旧軽井沢銀座通りをひととおり 案内 散策したんだって
奥さんが こどもの頃に並んでいたような お店はほとんど見かけなくなって 代わりに チャーチ・ストリートの様に
裏通りまでひと続きになるような 建物が出来て・・ 歩いている人たちも 多種多様になったって
テニスコートから 万平ホテルに向かう道あたりでは 脇道から出て来てすれ違う車の種類や
ナンバープレートの地域名に お友達が感心していたそうだよ
ジャガーにアウディ BMW・・ 品川 練馬 湘南 神戸・・ 赤いバスが 長野・・
奥さんが こどもの頃に旧軽井沢に住んでいるお年寄りに聞いた お話では
昔の軽井沢の別荘には 広い敷地の中に別荘と別に年間を通してその別荘の管理、手入れをする「別荘番」と呼ばれる
管理人さん用の建物があって 実際にオーナーが訪れるのは 真夏のひと月か 数日ほど
そんな 別荘滞在者やリゾートホテルに滞在する人たちが消費するお金で
地元の関係業者は年間収入のほとんどを得るほどだったんだって
中には 「女中さん」と呼ばれる お手伝いさんを何人も連れた奥様がいるお家もあって
そういう別荘の奥様は 家事なんてほとんどなさらず お金もご自身で支払いなどされない
夏の滞在の間 御用聞きさんの相手をするのは 「女中頭さん」と呼ばれる一番上に位置する「女中さん」で
季節の終わりに 引き上げる時に「大福帳」に記入されたひと夏の納品に目を通して 支払いを済ませたものだったんだって
いつの時代も 別荘を持つようなお金持ちは庶民から見れば抜き出た存在なんだろうけれど そういう逸話を聞くと
その頃の 避暑客って 経歴も財力も・・・ 今の世相とはまた一段とかけ離れた存在だったんだろうね・・・
地元のこどもたちも夏休みになって 軽井沢は今日も賑わっているかな・・?