軽井沢のいろいろ~♪ 軽井沢で静かに暮らす 深山のイノシシ があれこれ見たこと聞いたこと

軽井沢に静かに暮らす深山のイノシシが 軽井沢の春夏秋冬 今昔、あれこれ・・ 見たまま聞いたまま書いてるよ

 軽井沢のいろいろ 軽井沢の片隅にひっそりと・・ 石仏・・

2018-10-16 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

 昨日はここで    軽井沢の江戸時代・・ どこへ行ったか 一里塚・・  

 なんて お話をしたけれど   その江戸時代の中山道だった道筋に

 

       

 

 かつての古道からは  少し高い場所の育ったカラマツ林の一隅に

  「 馬頭観音 」がいくつも ひっそりとたたずんでいる

 前にここで   大きく優美な江戸時代末期の 石造馬頭観音 が数奇な流転を繰り返した末に

 旧軽井沢ロータリーの   夏季臨時開設交番の裏に鎮座することになった顛末をお話したけれど

 これもまた   同じかそれ以前の頃に祀られた 馬頭観音

 明治11年になって   明治天皇の北陸東海御巡幸にあわせ 「 御巡幸道路 」と 呼ばれる道路が出来

 その後   国道18号線にあたる 「 碓氷新道 」 が開通し  

 この石仏の足元を通過する江戸時代の中山道は通る人が減ってすっかり寂れ  野道の様になり 

 今では    ここの存在を知っている人も僅かになった様子だね  

 もしも 何か話をしてくれるようになったら   これまでの栄枯盛衰や 人の姿や別荘地の移り変わりを

 沢山知っていることだろう    

    保存と言ってどこかへ移されるのと このまま悠久の時をここで静かに過ごすのと

 どちらがいいのか ボクには    わからないけれど いつまでも この場所で

 軽井沢を見守ってほしい気もするな・・・     

 

 

 

 

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 軽井沢のいろいろ 軽井沢宿の一里塚はどこに・・

2018-10-15 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

 東京の築地市場が   紆余曲折を経て    豊洲の新市場に引っ越して話題を集めているね・・

   連日、物見高い見学者が  押し寄せてすごい賑わいになっているようだね

 軽井沢にも   高級料亭の出張店などで 築地モノ が早くからうたわれている事があったけれど

 今度は    「 豊洲直送 」 になるんだろうか・・?     時代とともに変わって行くね・・

 軽井沢には   多くの観光客の中に    江戸時代の中山道を辿る人が少なくない

  軽井沢宿、 沓掛(今の中軽井沢)宿 追分宿と 中山道69次 といわれる宿場のうち 

 日本橋から数えて 18番、19番、20番目と    3つの宿場があったんだって

 各宿場に   問屋、問屋場 と呼ばれる リレーでいう バトンパスの場所があって 次への宿場へと

 江戸 と 京の都の間の 公の荷物や手紙などの   速やかな伝達輸送をつかさどっていた

 公人の 移動の宿泊の為には   本陣 や 脇本陣と呼ばれる宿泊施設が設けられ

 民間人の通行が盛んになるにつれて   旅籠(はたご)と言われるような 宿が設けられて増えていったらしい

 そんな  旅をして通行する人の道中の目安になるようにと ほぼ一里(約4km) 毎に 街道の両側に

 こんもりと 丸い築山のような 「塚」 を   設けて おおよその距離の目安としたそうなんだ

 設置当時のお達しには   塚の上に木を植樹して 目印にと

   日差しのきつい季節には 「 木陰でひと息 」   の 効果もあったらしい

 大雑把な 歳月の話だけれど   開設してから400年もの歳月が流れ 江戸時代だけでも250~60年

 設けられた   「 当時の姿のまま 残っている 」 と言われる一里塚は少なくなり

 江戸時代のうちに   自然災害や    経路変更でなくなったらしいものや 

   文明開化以後の変換時期に姿を消したり   移設されたものもあるようだ

 軽井沢宿の周辺にも   一里塚があったはずで 1806年頃描かれたという 「分間延絵図(ぶんけんのべえず)」

 という  当時の絵図には 宿場のど真ん中?に その姿が見えるようだけれど はて・・?

 宿場の場所が変わったのか?   中山道の当時の通りは 今の旧軽井沢銀座と呼ばれる通りじゃないのか

 はたまた 69次のうちには   道筋が変わって一里塚だけが開設当時の場所に姿だけ残っている場所もあるけれど

 絵図が描かれてから50年そこらで 明治維新・・   影も形もない 軽井沢の一里塚  

 今のどの     お家かお店かの下に 埋まっちゃっているのかな・・?

 誰か いきさつを知りませんか~~     

 

 

  

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 軽井沢のいろいろ 軽井沢の別荘地に建つ神社

2018-10-14 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

 今年はじめの   まだ寒い頃 ここでこの神社が こんな風にまわりが 別荘地    として開発されて

 お社も   それに合わせて新築になったけれど  なんだか、ぽっつ~~~ん と 佇んでいる姿を

 お話したけれど 覚えてますか ?    

 

      

 

 夏の    避暑シーズンを過ぎて まだ   この別荘分譲地に新しい別荘は建てられていないけれど

 今   秋が来て・・

 

      

 

 めぐる自然の力で   お宮の周りは こんな風になっていたよ    

 秋の祭礼があったばかりなのか   真新しいお飾りの「 紙垂 」がつけられて イロハモミジに映えて美しい

 この姿が 守られていくといいね・・        

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 軽井沢のいろいろ 軽井沢の碓氷峠を目指して散策・・

2018-10-13 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

 前にも何度か   軽井沢の旧軽井沢銀座通りなんて名づけられた   あの通りを

 東方向に上がって行って 急な坂道を登って行った頂上にある   碓氷峠の峠町

 長野県と群馬県にまたがる権現様があって・・  江戸時代の中山道で・・・ なんて いろいろお話したけれど

 紅葉シーズンを迎えた週末   その 中山道だったり ご巡幸道路とも呼ばれる舗装道路だったり

 遊覧歩道だったりと   それぞれの好みの峠道を上って行く人の姿が絶え間ない・・ 

 舗装道路の両脇の地面や   山道のそこここには ボクと同じ種類の足跡や餌を探した跡があって 

 あちこち掘り返した跡があるけれど・・・  ボクじゃないよ・・     

 

       

 

 もうひとつ この赤いバスに乗って   運転手さんのガイドを聞きながら 峠を目指すのもいいね 

 明日 10月15日は   熊野神社の秋のお祭で 今朝は準備に大忙しの人たちもいたんだよ

 伝統の    お神楽もあるんだよ

 歩いて バスで    マイカーで ・・・ 碓氷峠はいかが・・      

 

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 軽井沢のいろいろ 軽井沢の遺跡、遺構 考古学資料

2018-10-12 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

 久しぶりに   仲良しの爺ちゃんの家を訪ねると   日差しの当たって来た縁側で

 老眼鏡をかけたうえ   大きな天眼鏡を持ち出して、背中を丸め   大きく広げた本に熱中している

 縁側近くまで   近づいたボクには目もくれず ジッと本のページに見入って   何か ブツブツ言っているんだ

 そのうち ふっと   ボクに気づいたけれど  たいして驚きもしないで 座ったまま腕を延ばして

 蒸かしたお芋を ほいっと   ボクに投げてよこして 聞きもしないのに

    地蔵原の昔の話をし始めた  

 爺ちゃんは こどもだった頃    地蔵原( 爺ちゃんの言葉では じぞうっぱら ) を 通って

 馬越(まごえ) という   和見峠に行く途中の軽井沢の最後の集落 (現在は人家は無い)へ行く事があって

 途中に並んでいた 道端の石仏や石碑を   数えたり眺めたりしながら歩いて行ったんだって

 そこへ行く 途中だか 向こう側だかに    大昔に人が住んだ気配のあるところがあって

 そこの場所を    その本を見ながら 思い出しているらしい

 

           

 

 近頃 大判で印刷もきれいなこの報告書が出来上がって   これを 熱心に見ているらしい  

 なんでも   インターネットでも見られるらしいけれど   この本は 図書館にもまだ蔵書されていなくて 

 パソコンを使ったことがない爺ちゃんは   持っている人から最近やっと 借りて来たらしい

 興味が湧いた人は ネットで検索して 爺ちゃん見てるのと同じの 見てみたら?     

 

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