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村上さんのブログでも取り上げられましたラグビーの応援歌
について関係者に近い立場から少し述べたいと思います。
まずは、歌詞ですが、2番まで書きます
ちなみに聞きたい方はこちらにアクセス下さい
http://ewish.jp/member/rugbymusic/
”We love Rugby ~いつも心にラグビーを~”
情熱は易く語るな 男なら瞳を燃やせ
苦悩の日をその瞼の奥に 青春の日をその熱き胸に
栄光は夢に見るな 男ならその手で掴め
孤独な道 今は闇でも・・・あと一歩
ラグビーの知よ 勇者の志よ 響け我らの孤高の空
ラグビーの知よ 勇者の志よ 叶えよ祈り15の戦士
情熱の炎を燃やせ We love Rugby
情熱を易く見せるな 女なら黙して尽くせ
平穏な日をその優しさゆえに 闇を照らす星になれ
栄光の大きな大地 女とは勝利の神
信ずること例え遠くても・・・届くはず
ラガーの地よ 勇者の支よ 孤独な男の大地であれ
ラガーの地よ 勇者の支よ 疲れた羽を 癒し包め
少年の夢を祈れ We love Rugby
昨年の春、一人の方の手によって”WC2011招致”のコミュニティが
作られました。残念ながら願いは叶いませんでしたが、集いしメンバーの
ジャパンにかける思いはより強固になり”いつかはラグビーW杯を日本で!”
として新たに活動をはじめました。昨年からの代表戦の赤い軍団の中心が
その人達です。そして、みんなの意見が集り「みんなで歌える応援歌を」の
想いが今回の応援歌として結実しました。
コミュニティに参加されているみなさん、制作に努力されたみなさん
ご苦労様でした。その想いはラグビー界を動かす風となり吹きはじめました
いつの日か、観衆で溢れるの代表戦の前にみなさんで口ずさむ日を夢見て
これからも活動を続けます。
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第2章「伊勢原」よりの抜粋です
1986年 専修大学入学
「ウチに来ちゃったか」草ケ江ヤングラガーズ、東福岡を通じての先輩で
あった野口氏はそう思った。歓迎しそうなものであるが彼の思いは少し
違っていた。フィジカル面で体を激しくぶつけ合う大学リーグで通用するか
心配が先にたったようです。専大は有名無名を問わず才能に溢れた選手
の揃うチームだったからです
しかし村田本人から見た景色は違っていた。身長を伸ばすことを優先し
あえて筋肉トレーニングを先延ばしにしていたことによって、これからの
自分のポテンシャルがあると考えていた。だから大学1,2年は体作りに
専念し自分の長所である「素早いパス捌き」伸ばそうと考えていた
1987年 堀越正巳氏の登場
村田が大学2年生で体作りに励んでいた時、一人のスクラムハーフが国内
ラグビー界を席捲していた。高校日本代表で鳴り物入りで早稲田に入学
した堀越選手である
当時大学選手権に向けて行われていた対抗戦とリーグ戦の交流戦で
はじめて顔を合わせるが村田はリザーブであり、戦略的な交替がなかった
当時は試合に出ることはなかった。
1988年 大学3年になってはじめて背番号9を着て出場した。
当時の主将野口氏は、村田の能力は高く買っていたが、それに伴うリスク
も見えていた。村田に見える相手のディフェンスの穴が、周りのフォワードに
理解できないまま、サポートが遅れることであるところが夏合宿でレギュラー
の選手が骨折の怪我を負いいよいよデビューとなった
デビューすると野口氏の予想はいい意味で裏切られ、専大は連勝街道を
走ることになり、リーグ戦2位となり再び早稲田と交流戦で当たった。
リーグ戦2位として対抗戦3位の早稲田と当たったわけですが、15:27で
敗れた
1989年 村田は主将となった
この年は、専大と関東学院は全勝対決を迎えた、春口氏のSH村田対策に
苦戦し前半で0:19の差がついたが、冷静に戻った村田のリードで後半に
逆転し、リーグ戦の優勝を飾った
交流戦は、古豪明治。両チーム譲らず13:13で引き分け。選手権への道は
抽選となり、「当たりくじ」は明治に渡り、村田の大学ラグビーは終わった