ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

「失敗から学ぶ」と言うけれど、それは「失敗」ですか?

2020-06-22 23:57:01 | 思うこと
昨日から少し涼しい日が続いています。
寒がりの私はしっかり着込んでいます
ケン太は昨日も今日も半袖ですけどね。

ケン太は、日々、気温が何度とか、天気がどうのとか、まるでチェックしていません。
外に出て「雨だ~」とその時にわかるという。
多分、今朝、出ていく時に雨は降っていなかったと思いますが、5分も経たないうちに、
ざ~っときたので、濡れたんじゃないかと。
帰ってきて聞いてみたら、やっぱりそうだったとのこと。
「濡れてやばかったよ」と。


皆さんは、雨が降りそうな時、お子さんに何か声掛けされていますか?

「今日は雨の予報だよ」
「傘、持っていった方がいいよ」

後から降り出したら、学校が近くだったら傘を届けたり?

声かけくらいなら~と思われるかもしれません。
でも、子どもの自立を願うのならば、これらはアウトですよね

傘を忘れて、濡れて、もう嫌だ~となったら?

自分で天気予報を確認するようになるかもしれません。
カバンに折りたたみ傘を入れておくかも?

どうしたらいいかを自分で考えるチャンスです。
その貴重な経験を親が奪ってしまうのは残念です。

風邪でもひいたら大変?

確かにそうですが、

「風邪でもひいたら大変」といつも親が先回りして声掛けして
指示待ち人間になってしまう方がずっとかわいそうじゃないでしょうかね。

学校は、そこまで面倒を見てくれるわけではありません。
先生方は、ひとりふたりを相手にしているわけではなく、
クラスの子全員をみているので。

学校と家とのギャップはなるべく少ない方がいいです。
どんな場面でも、自分で考えて行動できるようにならないと
本人も辛いと思います。

傘ぐらいと思われるかもしれませんが、傘がそうなら、他のことも・・・では?
わりとそういうところにこそ、問題が見え隠れしていると思います。

「先生は何もしてくれなかった」
「先生は何も言ってくれなかった」

確かに問題のある先生はいますよ。
でも、クラスの子が全員そう思うのでしょうか?いつも親に声掛けしてもらっている子ほど、その傾向が強いように思います。

先生に望む前に、まずは自分で考えてみる。

先生が言わないとしたら、こちらから聞く、確認する。
せめて「どうしたらいいですか?」
自分で考えてみて「こうしてもいいですか?」ならもっといいですよね

子どもから発信できるようになってほしいです。
それには、親からの発信をなるべく控えることだと思います。


ケン太は、「濡れてやばかった」と言ってましたが、
明日以降、天気予報を確認したり、傘の心配をしたり?果たして、変化が起きるでしょうか?
まあ、変わらないでしょうね
だって、そのようなこと、これまでもありましたから。

つまり「失敗」だと思っていないのです。

ケン太は、小さい頃、雨の日は面白がって、傘を持っていても差さずに、わざと濡れたり、
友達が遊びに来たら、ふざけて、水をかけあったり、そんな経験が数多くあるので、
濡れることなんて、たいしたことではないのです。

「失敗」だと思ってないので、親の期待する「失敗から学ぶ」こともできないということです。

つまり「失敗」にも個々の基準があるのです。

「まったくもう~どうして何時までも学ばないのだろう」と思うとしたら、
親の「失敗」の基準と子どもの「失敗」の基準が違うかも?
親が勝手に「失敗」と決めつけているのかもしれませんね。

「この子は失敗から学べない子」と否定的な目でみるのではなく、
この子にとって「失敗」ではないんだなと思ってあげるといいんじゃないかと思います。


私からしたら、ケン太が「失敗」だと思わないのは凄いと思いますよ(笑)

その濡れた話を聞いて
「朝、出た時、雨降ると思わなかったの?」
「昨日の夜、降ってたからさ、雨って、そんなに1日中、降るものじゃないじゃない?
もう今日はそんなに降らないなと思ってさ」
「それってケン太の予想?」
「そうだよ。俺の記憶と体験に基づく考察ってやつね」

考察ですか(笑)

そうやって言い切れるなんて、逆に羨ましいです





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