1)3月27日~28日 石和温泉へ 2日間
2)5月7日~10日 陸中・宮古へ 4日間
3)5月30日~6月1日 小布施・草津へ 3日日間
4)7月8日~10日 田沢湖・乳頭温泉へ 3日間
5)8月29日~9月1日 富山へ 3日間
6)9月12日~14日 南伊豆へ 3日間
7)9月23~26日 信州博・乗鞍高原へ 4日間
8)10月10日 秩父鉄道SLに乗ろう 1日
9)11月1日~3日 日本菊人形・那須温泉 3日間(小計 27日間)
これ以外にも旅仲間との食事会・オペラ・美術館・学校の旅行等15日程有り、合計42日間
父が2月に亡くなり、この年は喪中で旅行も控えめにしました。
◆1993年2月 大好きなお祖父ちゃんが亡くなって悲しい・・。
僕の大好きなお祖父ちゃんが2月16日に亡くなりました。(享年83歳)
昨年11月に一緒に石和温泉へ旅行したのが最後になりました。
昨年具合が悪くなってから、毎週君津へお見舞に出掛けていました、一時元気になってほっとしたのですが、
癌が転移してもう手術するだけの体力も無くなっていました。
いつも僕に声をかけて下さり有難う・・、お陰で多くの体験や経験をして楽しい想い出を作る事が出来ました。
何も出来ない僕ですが、いつも優しく見守って下さり感謝です。
僕は生れて直ぐに核黄疸になり、脳幹を黄染され中枢神経が侵されて、脳性小児麻痺になってしまいました。
身体障害者手帳 1種1級 「脳性麻痺による*両上肢機能障害((著しい困難)*移動機能障害(著しい困難)
僕は首も座らず、喋る事も、食べる事も、手足を動かす事も・寝返りする事も出来ません。
そんな僕ですが家族や親戚の人達はいつも優しく「ア~ヤ君元気」と声掛けして下さり、笑顔で手足バタバタと大喜びします。
お祖父ちゃんが入院中もお見舞に行き、車いすを押して貰いエレベーターでお祖父ちゃんの部屋へ「アヤくん来たね」と僕と握手してくれます。
病院内の探検も好きでお父さんと探検に出掛け、看護婦さん声掛けられ大喜びし、秘密の通路を差がいてニコニコです。
でも親子3人になると疲れてぐったりとなり、呼吸困難になり、お母さんに呼吸を整えて貰ったりと、大変な僕です。
92年10月から入退院を「繰り返し、僕たちもお見舞に通いましたが、93年2月18日午前4時20分に永眠ました。
僕は最期には立ち会えませんでしたが、お祖母ちゃん・お父さんや息子達に看取られ幸せな生涯だったと思います。
お祖父ちゃんの希望で「延命処置をしないで欲しい」と言われていたので、安らかに息を引き取った様です。
僕もお葬式に参列し、お祖父ちゃんを見送りました。
家ではお祖父ちゃんの手を握りその手の冷たさにビックリし、お寺でおとうさん・お母さんに抱かれて最期のお別れをしました。
どうぞ安らかにお眠り下さい・・ さ ・ よ ・ な ・ ら 黙礼
君津の新居に引っ越したのが1988年、新居では僅か5年程しか過ごしていません。
父は父なりの人生を歩み、息子達(4人)には多くの財産を残さずに逝きました。
遺産相続でもめる事もなく、その後母一人で生きていけるだけの環境を作りました。
あれからもう20年の月日が流れてしまいました・・。
今度は自分達の番、身辺整理をしておかないと・・?
写真は祖父・祖母の家(2013年4月に売買する)
息子の大好きなSLです。
2)5月7日~10日 陸中・宮古へ 4日間
3)5月30日~6月1日 小布施・草津へ 3日日間
4)7月8日~10日 田沢湖・乳頭温泉へ 3日間
5)8月29日~9月1日 富山へ 3日間
6)9月12日~14日 南伊豆へ 3日間
7)9月23~26日 信州博・乗鞍高原へ 4日間
8)10月10日 秩父鉄道SLに乗ろう 1日
9)11月1日~3日 日本菊人形・那須温泉 3日間(小計 27日間)
これ以外にも旅仲間との食事会・オペラ・美術館・学校の旅行等15日程有り、合計42日間
父が2月に亡くなり、この年は喪中で旅行も控えめにしました。
◆1993年2月 大好きなお祖父ちゃんが亡くなって悲しい・・。
僕の大好きなお祖父ちゃんが2月16日に亡くなりました。(享年83歳)
昨年11月に一緒に石和温泉へ旅行したのが最後になりました。
昨年具合が悪くなってから、毎週君津へお見舞に出掛けていました、一時元気になってほっとしたのですが、
癌が転移してもう手術するだけの体力も無くなっていました。
いつも僕に声をかけて下さり有難う・・、お陰で多くの体験や経験をして楽しい想い出を作る事が出来ました。
何も出来ない僕ですが、いつも優しく見守って下さり感謝です。
僕は生れて直ぐに核黄疸になり、脳幹を黄染され中枢神経が侵されて、脳性小児麻痺になってしまいました。
身体障害者手帳 1種1級 「脳性麻痺による*両上肢機能障害((著しい困難)*移動機能障害(著しい困難)
僕は首も座らず、喋る事も、食べる事も、手足を動かす事も・寝返りする事も出来ません。
そんな僕ですが家族や親戚の人達はいつも優しく「ア~ヤ君元気」と声掛けして下さり、笑顔で手足バタバタと大喜びします。
お祖父ちゃんが入院中もお見舞に行き、車いすを押して貰いエレベーターでお祖父ちゃんの部屋へ「アヤくん来たね」と僕と握手してくれます。
病院内の探検も好きでお父さんと探検に出掛け、看護婦さん声掛けられ大喜びし、秘密の通路を差がいてニコニコです。
でも親子3人になると疲れてぐったりとなり、呼吸困難になり、お母さんに呼吸を整えて貰ったりと、大変な僕です。
92年10月から入退院を「繰り返し、僕たちもお見舞に通いましたが、93年2月18日午前4時20分に永眠ました。
僕は最期には立ち会えませんでしたが、お祖母ちゃん・お父さんや息子達に看取られ幸せな生涯だったと思います。
お祖父ちゃんの希望で「延命処置をしないで欲しい」と言われていたので、安らかに息を引き取った様です。
僕もお葬式に参列し、お祖父ちゃんを見送りました。
家ではお祖父ちゃんの手を握りその手の冷たさにビックリし、お寺でおとうさん・お母さんに抱かれて最期のお別れをしました。
どうぞ安らかにお眠り下さい・・ さ ・ よ ・ な ・ ら 黙礼
君津の新居に引っ越したのが1988年、新居では僅か5年程しか過ごしていません。
父は父なりの人生を歩み、息子達(4人)には多くの財産を残さずに逝きました。
遺産相続でもめる事もなく、その後母一人で生きていけるだけの環境を作りました。
あれからもう20年の月日が流れてしまいました・・。
今度は自分達の番、身辺整理をしておかないと・・?
写真は祖父・祖母の家(2013年4月に売買する)
息子の大好きなSLです。