N響定期
9日の神奈川フィルは仕事で行けない。その日のN響なら、何とか行けそうだと
思ったが、案の定雪が予想されていた。実際は、全く問題なかったが、
終演から帰ること考えると、気持ちが萎えてしまった。自宅のfmで聴取
しよう。
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ヴァイオリン:アリョーナ・バーエワ
R.シュトラウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品8
使用楽器1738年製 ガルネリ・エクスプロール
アンコール イザイ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番ト長調 第一楽章
Rシュトラウスというとあまり器楽の作品がないのではないかと思ったり
した。この作品は18歳頃のものだけれど、10代でこんな作品が書けるなんて、
やはり天賦の才があったのだろう。技巧的にも難しそうだし、歌心もそこに
入っていて、ある種のまとまりもある。
予習を兼ねて幾度かサラ・チャンのヴァイオリンでサヴァリッシュの指揮の
物を聴いていた。
今日のバーエワさんも、見事だったし、技巧としてはたいしたものだと思う。
あまり口説く様な感じではなかったが、ロマン派的な協奏曲の様なイメージの曲。
アンコールはイザイの無伴奏。華を添えた。
楽器自体がそれほどきらきらする音色で無かったのも、曲にあっていたのかも
しれない。
後半はハンス・ロット22歳の時の作品。この方は短命だったけれど、作品は
残った。ブルックナーに学び、後輩にはマーラーがいて、当時の楽壇の
権威であったブラ―ムスからは疎まれていて、貧しい生活を強いられていたが、
作品は書き上げられた。初演は作曲されてから100年くらい後になる。
生活とは別に音楽に対する向き合い方は一途なものがあったのかもしれない。
曲が進むにつれて、だんだん塊のように表現したいものがあふれ出る様な
感じがして、終楽章などは音の洪水に近い。表現に対するエネルギーは満ちて
いたのかもしれない。
もしも存命でその後も活動していたら、どのような作曲家になっていたのか。
シュトラウスもロットも青春時代の曲。若書きの作品を2つ並べて奏でて見せた。
ヤルヴィー氏はこの曲のアルバムも出している。それだけ曲に対する向き合い方が
出来ていると思われ、手の内というか破綻なく演奏されていたと思う。
出来れば生で聴きたかったな。
9日の神奈川フィルは仕事で行けない。その日のN響なら、何とか行けそうだと
思ったが、案の定雪が予想されていた。実際は、全く問題なかったが、
終演から帰ること考えると、気持ちが萎えてしまった。自宅のfmで聴取
しよう。
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ヴァイオリン:アリョーナ・バーエワ
R.シュトラウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品8
使用楽器1738年製 ガルネリ・エクスプロール
アンコール イザイ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番ト長調 第一楽章
Rシュトラウスというとあまり器楽の作品がないのではないかと思ったり
した。この作品は18歳頃のものだけれど、10代でこんな作品が書けるなんて、
やはり天賦の才があったのだろう。技巧的にも難しそうだし、歌心もそこに
入っていて、ある種のまとまりもある。
予習を兼ねて幾度かサラ・チャンのヴァイオリンでサヴァリッシュの指揮の
物を聴いていた。
今日のバーエワさんも、見事だったし、技巧としてはたいしたものだと思う。
あまり口説く様な感じではなかったが、ロマン派的な協奏曲の様なイメージの曲。
アンコールはイザイの無伴奏。華を添えた。
楽器自体がそれほどきらきらする音色で無かったのも、曲にあっていたのかも
しれない。
後半はハンス・ロット22歳の時の作品。この方は短命だったけれど、作品は
残った。ブルックナーに学び、後輩にはマーラーがいて、当時の楽壇の
権威であったブラ―ムスからは疎まれていて、貧しい生活を強いられていたが、
作品は書き上げられた。初演は作曲されてから100年くらい後になる。
生活とは別に音楽に対する向き合い方は一途なものがあったのかもしれない。
曲が進むにつれて、だんだん塊のように表現したいものがあふれ出る様な
感じがして、終楽章などは音の洪水に近い。表現に対するエネルギーは満ちて
いたのかもしれない。
もしも存命でその後も活動していたら、どのような作曲家になっていたのか。
シュトラウスもロットも青春時代の曲。若書きの作品を2つ並べて奏でて見せた。
ヤルヴィー氏はこの曲のアルバムも出している。それだけ曲に対する向き合い方が
出来ていると思われ、手の内というか破綻なく演奏されていたと思う。
出来れば生で聴きたかったな。