富士山
このところ夏山で富士山の話がよくテレビやネットを賑わせている。
個人的には4度ほど登山したことがあった。40代までで、4回。
それ以降は御殿場の新五合目の登山口まで車で行き、頂上を
仰ぎ見ることに集約している。
初めて登った時は、富士講の関係者の計らいでの登山だった。
40年以上前の話だ。
小人数で登ったものの、体力アリの体育会系の方たちだったので、
こちらがいくら若いといっても面食らった。ペースが違うので、
少し落として登った。20才の時だった。
それ以降は20代30代40代と1回ずつ。ルートをかえ、最後は
御殿場ルートで〆た。富士登山の前は、職場の先輩に連れられて
県内の山をいくつか低山ハイクの様な形で登り下ろしていた。
その程度での富士登山。
20才の時は講の方のバックアップもあったので、何も知らなくても
何とかなった。
しかしながら2回目以降は、小グループか単独行だった。
それ以降は、ネットの情報を集めながら登山日を待ったりした。
登山用具も今ほど便利ではないが、少しづつ集めて、登山にも
耐えられるような物をそろえた。
3回目からは単独行だったので、登る前は少しは歳も食ってたので、
トレーニングしてから仕事の合間に歩くことをしながら備えたりした。
富士山は直登なので、ただただ登っていく感じが強い。気象の変化も
大きい。ベテランだろうが初心者だろうが容赦ないのは変わりない。
信仰の山だったということがよく実感できるのがまた魅力だったりする。
山小屋で高齢の方が年に一度は登るという話を聞いたときに、この方は
1年中富士登山なのだと思った。それくらい密接にならないとここまで
こられないのではないかとその時思った。
レジャーで登れる山ではない。しっかり準備していても山頂にたどり
着けない事もあるし、遭難に巻き込まれることすらあるのだ。撤退も勇気。
それだけリスクのある山ということを念頭に置いて考えないと、
それだけリスクのある山ということを念頭に置いて考えないと、
この山は優しくない。修行の山だったりもする。
決してレジャーの山ではないと今でも思う。
「弾丸登山」という言葉を耳にする。近年語られるようになったが、
以前はなかった。山小屋が取れないから、夜から登り始めてご来光を
明けがた頂上で見て下山するというルートらしいが、リスクは高い。
自己責任なのだけれど、何かトラブルになれば人の手を煩わせる。
高度順応も充分でなく、夜の寒さ、気候変動についていけない
(そのために山小屋で終息し、高度順応を図るという目的がある)。
そのようなリスクを冒しても、頂上を目指したいのか・・・。
富士山を守る神々はそのようなものまで面倒は見ない。
何のための登山なのか、己自身に問いかけてくる。
そのような心構えでは山に来てはならぬと言わんばかりの
対応の時もニュース等見て思うことがある。
登山はしないが、富士講のある浅間神社に行き、できる時は
登山者の無事を祈るために行き手を合わせる。
私は富士講をしているわけではないけれど、
余りにも富士山が安易に利用されているのを心配している。
入山規制とか、利用料をとるとか、山小屋を予約していないと
登山不可とか、入山許可証制にするとか、規制をかけないと
このままでは、計り知れない事故が起こったりする可能性も
高い。無知・無理の登山は幸せをもたらさない。
この山は修行の山で神々の山だった。
決して人のものではない。
至近のニュースを見ると、そのようなことがないがしろにされて
いることが、往々にしてあり、心配の種が尽きない。
「御山は晴天、六根清浄」の時期は短い。
山の神々に「よく来たね」と言われるか「帰りなさい」と言われるか・・・。
それはあなたの精進によると思われる。
「弾丸登山」という言葉を耳にする。近年語られるようになったが、
以前はなかった。山小屋が取れないから、夜から登り始めてご来光を
明けがた頂上で見て下山するというルートらしいが、リスクは高い。
自己責任なのだけれど、何かトラブルになれば人の手を煩わせる。
高度順応も充分でなく、夜の寒さ、気候変動についていけない
(そのために山小屋で終息し、高度順応を図るという目的がある)。
そのようなリスクを冒しても、頂上を目指したいのか・・・。
富士山を守る神々はそのようなものまで面倒は見ない。
何のための登山なのか、己自身に問いかけてくる。
そのような心構えでは山に来てはならぬと言わんばかりの
対応の時もニュース等見て思うことがある。
登山はしないが、富士講のある浅間神社に行き、できる時は
登山者の無事を祈るために行き手を合わせる。
私は富士講をしているわけではないけれど、
余りにも富士山が安易に利用されているのを心配している。
入山規制とか、利用料をとるとか、山小屋を予約していないと
登山不可とか、入山許可証制にするとか、規制をかけないと
このままでは、計り知れない事故が起こったりする可能性も
高い。無知・無理の登山は幸せをもたらさない。
この山は修行の山で神々の山だった。
決して人のものではない。
至近のニュースを見ると、そのようなことがないがしろにされて
いることが、往々にしてあり、心配の種が尽きない。
「御山は晴天、六根清浄」の時期は短い。
山の神々に「よく来たね」と言われるか「帰りなさい」と言われるか・・・。
それはあなたの精進によると思われる。
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