10代の頃、トイガンが好きでした。最初の出会いは、父親が買ってきたMGCのコルトテデクティブだったと思う。規制前だったので、黒い小さな塊は重たくて魅力的だった。これは、父親が私の為に買ってきたものではなく、自分が欲しくて買ってきたものだった。その後も、鉄パイプにウッドストックのライフルで、夜店などで見かけるコルクを飛ばすエアガンなんかも、買って来ていた。その影響かどうかはわからないが、少ないお小遣いでLSというメーカーのプラモデルのモデルガンを、いくつも作っていた。
友達と二人で自分の住んでいるマンションの屋上でモデルガンをバンバン鳴らして遊んでいた時だった。(友達は、金属のワルサーPPKだったと記憶している)私の住んでいたマンションは、学校の隣なのだが、住人が屋上で遊んでる私たちを学校に通報したのだ。二人で遊んでいると、屋上の出入り口が開き、体育の先生がいきなり入ってきて、「なにをしている!」と言うなりビンタを浴びせた。職員室で説教をされ、帰宅。それを親に報告した。私の父親はどこが悪いのだといって、逆に職員室に乗り込んで行った。私としてもなぜ怒られたのか理解できなかった。やはり、当時からモデルガンというのは悪者だったのだ。こういった出来事のせいだろうか、親に対してあまり反抗期というのを抱いたことはない。
3年ほど前かだったか、実家に帰省した際に父親が嬉しそうに私に、最近買ったエアガンを出してきた。それが、10歳以上用の電動ブローバックガンのセンチメーターマスターだった。70近くにもなって、こんな物を買った来て遊んでいる自分の父親に、なんだかとても複雑な気分になった。しかし、私が最後に手にしていたエアガンはとてもチープですぐに壊れてしまった。センチメーターのそのシャープな仕上がりとシルバーがとても新鮮だった。その修理を頼まれたのが、エアガン趣味の再発のきっかけとなったのだ。結局、私もいい年をして今も「おもちゃの鉄砲」で遊んでいる。
父親が昔のモデルガンのように油を指したのが、故障の原因だった。ギアが割れ、ホップパッキンは犯されよれよれになっていて、修理できなかった。
そして、私のエングレの練習代になってしまった。思ったよりよく彫れたのでいっそ仕上げなおそうかとも思ったりしている。