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初めは全体的に見て、
「葉だな」「花だな」「茎だな」、
植物なんだな、としか思えなかったのです。
朝に夕に見続けていると、
それが細かな変化に気づくようになるのは不思議なものです。
植物の、
あまり生命というものに意識したことがなかった私。
充分に立派に生きている、
それもその生命力というものはたくましいもので。
つくづく、私って軟弱だよなって思わされるこの頃です。
今まで多芸大食、器用貧乏を誇ってきた私。
決して胸を張れることでもないのですが。
大食と貧乏は、あらためることはできないのですが、
多芸を無芸との間、
せめて二芸か三芸くらいにして専念してみようかなと考えています。
ちょっと園の芸道は、
これ一時的な興味だけで終われそうになくなってきました。
今もホームセンターのチラシを見比べて、
培養土が安いからコメリに買い出しに行かないと!!と言ったら。
母R子に、アホ扱いされました。
そのくせ、
「シクラメンの鉢を植え替えておいて」と。
私が初めてポケットマネーで買ったカランコエ(画像参照)の”白銀の舞”。
小さな花が二つ咲いたときも、それなりの感動だったのですが。
よくよくみると葉の間から新芽が、
それも小さなお手々を両手合わせたようにして出てきて。
だんだん、その手が開いていくのが見えたときは、
それはもう可愛らしくて。
しばし、ずーっとしゃがんで見ていたものでした。
育てる楽しみというのは、
こういうところにあるものなんだなと。
祖母が生前、
たいそう花を大事に育てていて。
花は裏切らなくていい、と言っているのを聞いて。
子供心には、さっぱりその意味がわからなかったのですが。
今なら、
ちょっぴりその祖母の気持ちがわかるような気がします。
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日記のタイトルを、
「モノスヤの、てるてる育てる記。」に変えました。
自分の心も、一緒に育てていけたらいいなと思います。
実は自分が育つことかもしれない
子育てしながら親が育っているんだよね
照る照るなのか
輝輝なのか
℡℡なのか(違)
明るく照らせたらいいかなと・・・
なんとなく晴れ間が続いているので戻しました>イス
日記のタイトルは何となくね(笑)
画像は自己満足だけど
携帯カメラよりはキレイに写るみたい(カメラの力)
思い出してくださってありがとう
多肉ちゃんも陽の目を見て喜んでいることでしょう♪
一緒に育っていく、いろんな意味で大事なことですものね。
写真の画像まではっきりくっきりと。
それにしても「カランコエ」ちゃんの新芽の可愛らしいこと(^-^)
私、最近街中で多肉ちゃん見かけると「モノスヤさん元気かな?」って思うようになりましたよ。
変わってますか?そうかな??(笑)
黙って踊ってろってね(苦笑い)
欲張り過ぎの肉頬張りすぎみたいな!?
散らすわけにもいかなくなってきたので
育てることに決めました
肉付きよく
人間味も円やかになれればいいなと思います♪
育むことは自分を育てることなのかも・・・
大輪なんて
野に咲く花のようと言って(え?無理??)
踊るだけじゃ飽き足らず、育てて、咲かせて、愛でて・・・って。
欲張りすぎだよっ~!?
多肉だけに肉付きよくってことかな。
散らしちゃ、まずいよね。やっぱ。
このまま育んでいけば、いずれモノスヤさんも大輪の華を咲かせますね~。きっと!(^^)