曾祖父が俳句を添えた色紙 銘は「唯一」
確かこの前が「為一」 短冊に「百姓為一」と書かれている物もある
そして最後が「曾良庵」だと思います
この色紙どこか変わっていると思いませんか?
よくみると白樺の皮が張ってあります
達磨の絵を描いた方は解りません
どちらも 南アルプスを詠ったと思います
アルプスは 雪乃◎◎ 暑◎◎
白樺って解りますよ 一部 はがれています
色紙:竹村文海という人はいるが 同一人物かはわからない
曾祖父が俳句を添えた色紙 銘は「唯一」
確かこの前が「為一」 短冊に「百姓為一」と書かれている物もある
そして最後が「曾良庵」だと思います
この色紙どこか変わっていると思いませんか?
よくみると白樺の皮が張ってあります
達磨の絵を描いた方は解りません
どちらも 南アルプスを詠ったと思います
アルプスは 雪乃◎◎ 暑◎◎
白樺って解りますよ 一部 はがれています
色紙:竹村文海という人はいるが 同一人物かはわからない
今は 海・川・湖と魚釣りに行っていますが
小さい頃は 魚捕りでした
川に[そぅぅぅぅっ]と入って 川岸の草の中や 石の周りを下から手で探っていくと・・・
手のひらサイズの鮠などが取れました
手づかみ漁をしている間は
田圃に流れ込む堰に 拾ってきた ヤカンを仕掛けておきます
手とは違い 魚を捕まえるとき
ヤカンの口から水と一緒に出で来るので面白かったですね
取れた魚は 土手に生えてる長めの草を 鰓から口に通し もって帰りました
もって帰れば 母や祖母が 七輪で醤油をかけて焼いてくれましたね
最近は帰っても 釣りをしている子供が時々見かけるだけで
手づかみで捕っている子供は見たことがありません
手づかみを体験できるのは 魚園といった
バ-ベキュ-が出来るところしかないですね
子供が野生化していないのでしょうか?
少し 悲しい気もします・・・ 安全第一なんですkane・・・
前は5月ごろ帰省すると 鮎釣りの人が チャラセを竿を持って歩いていたり
投網をしている人がありました
これも 夏を迎える 風物詩だったと思います
1.ガンQ
よくよく考えたら 「眼球?」
「ウルトラマンガイア」に登場した怪獣 何となく
日本の妖怪「百目」を連想させました
幻影を相手に見させ心理攻撃で苦しめました
2.友好巨鳥 リドリアス
コスモスに登場した怪獣と ムサシとの関係の深い怪獣でよく一緒に遊んでいた
カオスヘッダーに乗っ取られ凶暴化するのですが コスモスの出現により無事もとの姿に戻ります
名前のように「友好巨鳥」です
3.no name
名前を忘れてしまいました 調べ方が悪いのかヒットもしません
ウルトラ怪獣じゃ ないのかな?
「色紙」
色紙には 絵画だけのもの 書がしたためてある物がある
絵画については 色が着いているものと 墨一色の2種類がある
銘が入っていても 読めない字もあり これは今後の調べとなる
「吉田秋光 」
右下の 名前・印から 秋光と判断できる
1887-1946大正-昭和時代の日画家。
明治20年4月5日生まれ。松岡映丘にまなぶ。大正6年文展に初入選
11年帝展で「秋のけはひ」が特選となる。昭和10年国画院にくわわり,
13年伊東深水らと日画院を結成した。
今にも 折れそうな枝にとまる鳥 寒々とした荒野が感じられる
「銘わからず 二点」
めだか。
銘はまだ判別できませんが 僕の好きな一点です
泳ぎ回りめだかを描いた作品です
めだか 日本めだかだと思っていますが 生き生きとして見えます
雀
今飛び立つ 雀・・・
今 思えば 日本筆で 色を使い分けていたのでしょう
おかいこさまあ000000= もすら~ャ 8I8 もすらぁぁぁ
出張先で 「桑の実」の話しをしていたら いつの間にか
蚕の話しになりました 一緒にいった社員が群馬県出身者で
小さい頃 蚕を納屋で飼っていたというのです
歳は1回り位違うのですが 共通の思い出が このくらいまではあると思いました
僕の生家は 養蚕はしていなかったのですが
友達の家などは 遊びに行くと二階が全てお蚕様の部屋になっていました
少し薄暗い 部屋の中で ゴソゴソ ゴソゴソ動く音が聞こえてきたし
葉っぱが何もしなくても動いていましたね
お蚕様は モスラの幼虫そのままでした というか モスラがまねたんでスネ
蚕の寝床 桑の葉をどのくらいのペ-スで取り替えていたかは解りませんが
畳一畳くらいある 竹の籠何十枚を取り替えるのは大変だったでしょうね
蚕は 繭玉になると 確かネットに入れて天日干しした記憶があります
そのままにしておくと蛾が出てくるからだと思います
隣の友達の家は 鯉の養殖もしていて お蚕様は糸を取った後
中を乾燥させて餌にしていたのを覚えています
調べてみたら 鯉の餌
やっぱり お蚕様のサナギを乾燥させたものを与えるようです
高たんぱくなので 与えると大きく育つそうです