こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は奈良県生駒市西畑町と大阪府東大阪市東豊浦町との境にある
暗峠(くらがりとうげ)を取り上げてみたいと思います
暗峠(くらがりとうげ)は、奈良県生駒市西畑町と
大阪府東大阪市東豊浦町との境にある国道308号及び
大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線(重複)の峠
古くは闇峠とも書かれた 標高455m
暗峠を通る暗越奈良街道は「日本の道100選」に選定されており、
峠頂部の石畳の道端には、日本の道100選の顕彰碑が置かれている
国道308号線として現役の道路
石畳の峠頂上にある標識 奈良県生駒市側
奈良県側から暗峠へ向かうと車幅1.8m、ロングボディーの車
通行不可と掲示
狭いシェードをくぐり暗峠へ
上部の車道は大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線
上記車道から車で下りることは出来ません
暗峠頂上にある標識 大阪府東大阪市
頂上付近は国道には珍しい石畳道路
峠の頂上には小さな集落があり、現在でも営業している茶店もある
この付近の路面は江戸時代に郡山藩により敷設された石畳となっている
この50mほどあるコンクリート舗装の石畳のそばに
大神宮灯篭や往年の道標などが見られる
この石畳は、暗峠が急坂であることから、
参勤交代で殿様が乗った籠が滑らないようにするために
敷かれたものである
これは現在においても健在であり、
石畳の道路が国道に指定されている道は極めて稀である
暗峠頂上の景観
1694年10月27日(元禄7年9月9日)、
松尾芭蕉が奈良から大坂へ向かう途中
この峠を通ったこのときに「
菊の香に くらがり越ゆる 節句かな」という
重陽の節句にちなんだ句が詠まれたといわれる
暗峠(くらがりとうげ)
「暗がり」の名称の起源は、樹木が鬱蒼と覆い繁り、
昼間も暗い山越えの道であった説や、
「椋嶺峠」が転じた説、「鞍借り」、「鞍換へ」が訛って
「暗がり」となったとする異説もある
上方落語伊勢参宮神乃賑の枕では、
「あまりに険しいので馬の鞍がひっくり返りそうになることから、
鞍返り峠と言われるようになった」と語られている
暗峠から奈良県生駒市方面の景観
峠の頂上には小さな集落があり、現在でも営業している茶店もある
上部の車道は大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線
車で峠に下りることはできませんが、ガードレール下に
人がやっと歩ける細い小道有り
暗峠を奈良県生駒市に下りてくると集落があります
暗峠付近より眺める奈良県生駒市の景観
最後まで御覧頂きありがとうございます
奈良県ビジネスホテルに宿泊し翌日早朝、関ヶ原古戦場へ向かいました
次の投稿までご機嫌よう
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は奈良県生駒市西畑町と大阪府東大阪市東豊浦町との境にある
暗峠(くらがりとうげ)を取り上げてみたいと思います
暗峠(くらがりとうげ)は、奈良県生駒市西畑町と
大阪府東大阪市東豊浦町との境にある国道308号及び
大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線(重複)の峠
古くは闇峠とも書かれた 標高455m
暗峠を通る暗越奈良街道は「日本の道100選」に選定されており、
峠頂部の石畳の道端には、日本の道100選の顕彰碑が置かれている
国道308号線として現役の道路
石畳の峠頂上にある標識 奈良県生駒市側
奈良県側から暗峠へ向かうと車幅1.8m、ロングボディーの車
通行不可と掲示
狭いシェードをくぐり暗峠へ
上部の車道は大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線
上記車道から車で下りることは出来ません
暗峠頂上にある標識 大阪府東大阪市
頂上付近は国道には珍しい石畳道路
峠の頂上には小さな集落があり、現在でも営業している茶店もある
この付近の路面は江戸時代に郡山藩により敷設された石畳となっている
この50mほどあるコンクリート舗装の石畳のそばに
大神宮灯篭や往年の道標などが見られる
この石畳は、暗峠が急坂であることから、
参勤交代で殿様が乗った籠が滑らないようにするために
敷かれたものである
これは現在においても健在であり、
石畳の道路が国道に指定されている道は極めて稀である
暗峠頂上の景観
1694年10月27日(元禄7年9月9日)、
松尾芭蕉が奈良から大坂へ向かう途中
この峠を通ったこのときに「
菊の香に くらがり越ゆる 節句かな」という
重陽の節句にちなんだ句が詠まれたといわれる
暗峠(くらがりとうげ)
「暗がり」の名称の起源は、樹木が鬱蒼と覆い繁り、
昼間も暗い山越えの道であった説や、
「椋嶺峠」が転じた説、「鞍借り」、「鞍換へ」が訛って
「暗がり」となったとする異説もある
上方落語伊勢参宮神乃賑の枕では、
「あまりに険しいので馬の鞍がひっくり返りそうになることから、
鞍返り峠と言われるようになった」と語られている
暗峠から奈良県生駒市方面の景観
峠の頂上には小さな集落があり、現在でも営業している茶店もある
上部の車道は大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線
車で峠に下りることはできませんが、ガードレール下に
人がやっと歩ける細い小道有り
暗峠を奈良県生駒市に下りてくると集落があります
暗峠付近より眺める奈良県生駒市の景観
最後まで御覧頂きありがとうございます
奈良県ビジネスホテルに宿泊し翌日早朝、関ヶ原古戦場へ向かいました
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