こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は木曽谷と伊那谷との交通の要衝であった 権兵衛峠を
掲載してみたいと思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f4/d29a8a0fa4d680302b464058fad36d78.jpg)
伊那盆地北部と木曾谷北部を結ぶ権兵衛街道の権兵衛峠
権兵衛峠は経ヶ岳と駒ヶ岳連峰の鞍部に開かれた標高1,522mの峠
中仙道が通り宿場の多い木曽は、稲作 に適さない地形のため米が不足していた
そこで木曽の牛方・古畑権兵衛が宿場側の意を受け、
伊那谷より米 の移入をスムーズにするため木曽谷と伊那谷との
交通路として改修した 難工事の末、1696(元禄9)年に開通
財政難の高遠藩が借財のために領内の年貢米を木曽に
送り出したという背景もあった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/7a/14090cc5bfcdbc9118ddfdc985897299.jpg)
米の道権兵衛峠へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/de/02de9e853a14b153d65c70245d4e99c8.jpg)
米の道権兵衛峠頂上 経ヶ岳登山口への道標
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/c1/f3e365b791d3998c1af5ae116d8fc68a.jpg)
米の道権兵衛峠頂上に建ち並ぶ石碑
雪災餓死等」碑(1803(享和3)年)とある
権兵衛街道は、宮ノ越(木曽町日義)から
姥神峠(1277メートル)を越えて川入の谷を抜け、
権兵衛峠(1523メートル)を越えて伊那市坂下にたっする約36キロメートルの山道である
現在の権兵衛峠を越える道は、奈良井川から羽淵までの
県道川入東線と羽淵から国道361号に変わっており、
旧道を通る人はまれになってしまった
鉄道開通以前は、伊那の米を米穀の乏しい木曽に運ぶ幹線として、
重要な機能を果たしていた
姥神峠から権兵衛峠に通ずる山道は、古くからあったが、
それはわずかに人だけが通う険しい踏立道であった
ある者が転倒し、鍋を欠いたという話しから「鍋懸峠」とも呼ばれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/48/cd26e6caddb455e114acd493c96c84ad.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/5d/ca7d4a71946be0aa627bde71671374d3.jpg)
石碑には刻まれている権兵衛峠茶屋
まんが日本昔ばなし No.0806ごんべえとうげ 権兵衛峠には
力持ち権兵衛という木こりが住んでいた
この権兵衛という男、そば2升をたいらげ、
その力は10人力とも12人力とも言われ、
木曽では名の知れた男だった.....という件から始まる昔ばなし
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/ff/e922e3418a1a91e8dabb7b93b2afaa21.jpg)
米の道 権兵衛峠頂上の石碑に刻まれた碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/dc/adb719aa9e5eeeba8854407ccc865d25.jpg)
権兵衛峠頂上付近にあった古びた南アルプス展望案内図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/1d/1b9bca9dc7fe266951b288b0f6abe6c0.jpg)
権兵衛峠頂上付近より望む南アルプス山並と伊那谷
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/7b/bd1b67df527232a67aa4bec296fa83b6.jpg)
この先は行き止まり(経ヶ岳登山口駐車場)
権兵衛トンネル開通以降ほとんど通る車は無かったが、
さらに土砂崩落による無期限の通行止を経て、
現在 権兵衛峠から伊那側の区間は事実上の廃道となっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/7c/23a38a51b545771c7ac782cec38c4bb2.jpg)
経ヶ岳登山口コース案内図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/37/e5e11aea077c25b7c7027a0821373256.jpg)
経ヶ岳登山口駐車場より塩尻市方面を眺める
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/5e/954d5a58e455a257054ce96ea353d18b.jpg)
権兵衛トンネル開通以前は木曾福島、奈良井への
交通の要衝であったと思われる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/38/c0a919fe80e47b4a610a13e3f4bd1f63.jpg)
長野県南西部,木曾山脈の北部を横断する峠 標高 1522m
伊那盆地北部と木曾谷北部を結ぶ権兵衛街道の峠で,
元禄9 (1696) 年に木曾谷の牛方であった古畑権兵衛が
中心となって改修したことが名称の由来
伊那側から米や干し柿,木曾側から漆器や曲げ物が輸送された
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/c4/a96b89e142733fe00571c548afe0909a.jpg)
伊那の飯田市駅側にある満津田食堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/06/2b16e1bfb7e3733b103e5f9b703ddfe4.jpg)
明治創業の老舗食事処
ネットで調べた満津田食堂で夕食
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/0c/05da988dc185a423f74e2bbe76a1ca03.jpg)
人気の一品 草鞋のようなソースカツどん
程よぃ厚さのジューシーなソースカツどん 次元を超えた美味しさでした
年内にはもう一度行ってみたい 老舗食事処でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d2/230dead247ddd58b6aef76131194a2e6.jpg)
店内には力士のポスター掲示
老舗食事処と同名のしこ名 満津田力士
おかみさんに聞いてみるとなんと息子さんでした
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は木曽谷と伊那谷との交通の要衝であった 権兵衛峠を
掲載してみたいと思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f4/d29a8a0fa4d680302b464058fad36d78.jpg)
伊那盆地北部と木曾谷北部を結ぶ権兵衛街道の権兵衛峠
権兵衛峠は経ヶ岳と駒ヶ岳連峰の鞍部に開かれた標高1,522mの峠
中仙道が通り宿場の多い木曽は、稲作 に適さない地形のため米が不足していた
そこで木曽の牛方・古畑権兵衛が宿場側の意を受け、
伊那谷より米 の移入をスムーズにするため木曽谷と伊那谷との
交通路として改修した 難工事の末、1696(元禄9)年に開通
財政難の高遠藩が借財のために領内の年貢米を木曽に
送り出したという背景もあった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/7a/14090cc5bfcdbc9118ddfdc985897299.jpg)
米の道権兵衛峠へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/de/02de9e853a14b153d65c70245d4e99c8.jpg)
米の道権兵衛峠頂上 経ヶ岳登山口への道標
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/c1/f3e365b791d3998c1af5ae116d8fc68a.jpg)
米の道権兵衛峠頂上に建ち並ぶ石碑
雪災餓死等」碑(1803(享和3)年)とある
権兵衛街道は、宮ノ越(木曽町日義)から
姥神峠(1277メートル)を越えて川入の谷を抜け、
権兵衛峠(1523メートル)を越えて伊那市坂下にたっする約36キロメートルの山道である
現在の権兵衛峠を越える道は、奈良井川から羽淵までの
県道川入東線と羽淵から国道361号に変わっており、
旧道を通る人はまれになってしまった
鉄道開通以前は、伊那の米を米穀の乏しい木曽に運ぶ幹線として、
重要な機能を果たしていた
姥神峠から権兵衛峠に通ずる山道は、古くからあったが、
それはわずかに人だけが通う険しい踏立道であった
ある者が転倒し、鍋を欠いたという話しから「鍋懸峠」とも呼ばれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/48/cd26e6caddb455e114acd493c96c84ad.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/5d/ca7d4a71946be0aa627bde71671374d3.jpg)
石碑には刻まれている権兵衛峠茶屋
まんが日本昔ばなし No.0806ごんべえとうげ 権兵衛峠には
力持ち権兵衛という木こりが住んでいた
この権兵衛という男、そば2升をたいらげ、
その力は10人力とも12人力とも言われ、
木曽では名の知れた男だった.....という件から始まる昔ばなし
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/ff/e922e3418a1a91e8dabb7b93b2afaa21.jpg)
米の道 権兵衛峠頂上の石碑に刻まれた碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/dc/adb719aa9e5eeeba8854407ccc865d25.jpg)
権兵衛峠頂上付近にあった古びた南アルプス展望案内図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/1d/1b9bca9dc7fe266951b288b0f6abe6c0.jpg)
権兵衛峠頂上付近より望む南アルプス山並と伊那谷
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/7b/bd1b67df527232a67aa4bec296fa83b6.jpg)
この先は行き止まり(経ヶ岳登山口駐車場)
権兵衛トンネル開通以降ほとんど通る車は無かったが、
さらに土砂崩落による無期限の通行止を経て、
現在 権兵衛峠から伊那側の区間は事実上の廃道となっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/7c/23a38a51b545771c7ac782cec38c4bb2.jpg)
経ヶ岳登山口コース案内図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/37/e5e11aea077c25b7c7027a0821373256.jpg)
経ヶ岳登山口駐車場より塩尻市方面を眺める
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/5e/954d5a58e455a257054ce96ea353d18b.jpg)
権兵衛トンネル開通以前は木曾福島、奈良井への
交通の要衝であったと思われる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/38/c0a919fe80e47b4a610a13e3f4bd1f63.jpg)
長野県南西部,木曾山脈の北部を横断する峠 標高 1522m
伊那盆地北部と木曾谷北部を結ぶ権兵衛街道の峠で,
元禄9 (1696) 年に木曾谷の牛方であった古畑権兵衛が
中心となって改修したことが名称の由来
伊那側から米や干し柿,木曾側から漆器や曲げ物が輸送された
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/c4/a96b89e142733fe00571c548afe0909a.jpg)
伊那の飯田市駅側にある満津田食堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/06/2b16e1bfb7e3733b103e5f9b703ddfe4.jpg)
明治創業の老舗食事処
ネットで調べた満津田食堂で夕食
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/0c/05da988dc185a423f74e2bbe76a1ca03.jpg)
人気の一品 草鞋のようなソースカツどん
程よぃ厚さのジューシーなソースカツどん 次元を超えた美味しさでした
年内にはもう一度行ってみたい 老舗食事処でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d2/230dead247ddd58b6aef76131194a2e6.jpg)
店内には力士のポスター掲示
老舗食事処と同名のしこ名 満津田力士
おかみさんに聞いてみるとなんと息子さんでした
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
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