こんばんは!
今回の掲載記事は湯道を見守る「百体観音」と題しまして
長野県東御市新張から群馬県鹿沢温泉までの約12キロの区間に立つ石仏
110mごとに道路脇の生い茂る草木の中にぽつんと立っている姿を
キャンプに出かける際、キャンプ帰りに何気なく目に留まっておりました
何の為に石仏が立っていたのか調べてみました
鹿沢温泉の一軒宿「紅葉館」のそばに立つ百番観音
約110mごとに並ぶ石仏観音
長野県の東御市から鹿沢温泉までの峠の道筋に、
村人が1番から100番まで百体の観音像を安置し、
旅の安全を祈り道しるべとしたそうです
東御市新張に立つ一番 如意輪観音
百体観音は、東御市新張から鹿沢温泉までの約12キロの区間に立つ
1~81番は東御市、82~100番は嬬恋村にある
道路脇の生い茂る草木の中にぽつんと立っているもの、
高さ2メートル超ののり面の上にひっそりと立っているもの
表情や大きさ、位置もさまざま
長野県東御市から鹿沢温泉までの約12キロの間に並ぶ
「百体観音」の一番観音
湯ノ丸高原地蔵峠手前道路脇に立つ第七十番馬頭観音
江戸時代末期より、難所の峠道のかたわらで
湯治に訪れた人々を見守る観音様
湯ノ丸高原地蔵峠付近に設置されていた第七十八番 聖観音
第七十八番 聖観音 脇に掲げられている木曾義仲の駒返し(1181年)
猛吹雪に阻まれて兵を進めることが出来ず駒を返したとあります
湯ノ丸高原地蔵峠にあるお地蔵様
嬬恋郷土資料館(嬬恋村)によると、
江戸時代末期から明治時代初期にかけ、
鹿沢温泉と旧新張村の住民の発願によって造られた
旧東部町(現在の東御市)の町誌によると、
鹿沢温泉は明治時代以前、信濃国(現在の長野県)だったという
当時の観音信仰の流行を背景に、道標としての役割もあったとのことです
湯ノ丸高原地蔵峠に立つ 第八十番 十一面観音
湯ノ丸高原地蔵峠
湯ノ丸高原地蔵峠から嬬恋村の鹿沢温泉方面を眺める
湯ノ丸高原地蔵峠を嬬恋村へくだった道路脇の石仏
第八十七番 千手観音
難所の峠道のかたわらで湯治に訪れた人々を見守る観音様
嬬恋郷土資料館(嬬恋村)によると、
江戸時代末期から明治時代初期にかけ、
鹿沢温泉と旧新張村の住民の発願によって造られた
旧東部町(現在の東御市)の町誌によると、
鹿沢温泉は明治時代以前、信濃国(現在の長野県)だったという
当時の観音信仰の流行を背景に、道標としての役割もあった
新張の一番観音は高さ2・7メートル
鹿沢温泉の一軒宿「紅葉館」のそばに立つ百番観音とともに、
信濃国高遠の石工・仲山暉雲作と伝わる
百番観音の台座には、発願人8人の氏名が刻まれている
鹿沢温泉の一軒宿「紅葉館」のそばに立つ百番観音
標高1530メートルに位置する嬬恋村の鹿沢温泉は、
群馬と長野の県境付近にある
今日も往来する人々を見守っている
湯道を見守る「百体観音」百番観音でした
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
今回の掲載記事は湯道を見守る「百体観音」と題しまして
長野県東御市新張から群馬県鹿沢温泉までの約12キロの区間に立つ石仏
110mごとに道路脇の生い茂る草木の中にぽつんと立っている姿を
キャンプに出かける際、キャンプ帰りに何気なく目に留まっておりました
何の為に石仏が立っていたのか調べてみました
鹿沢温泉の一軒宿「紅葉館」のそばに立つ百番観音
約110mごとに並ぶ石仏観音
長野県の東御市から鹿沢温泉までの峠の道筋に、
村人が1番から100番まで百体の観音像を安置し、
旅の安全を祈り道しるべとしたそうです
東御市新張に立つ一番 如意輪観音
百体観音は、東御市新張から鹿沢温泉までの約12キロの区間に立つ
1~81番は東御市、82~100番は嬬恋村にある
道路脇の生い茂る草木の中にぽつんと立っているもの、
高さ2メートル超ののり面の上にひっそりと立っているもの
表情や大きさ、位置もさまざま
長野県東御市から鹿沢温泉までの約12キロの間に並ぶ
「百体観音」の一番観音
湯ノ丸高原地蔵峠手前道路脇に立つ第七十番馬頭観音
江戸時代末期より、難所の峠道のかたわらで
湯治に訪れた人々を見守る観音様
湯ノ丸高原地蔵峠付近に設置されていた第七十八番 聖観音
第七十八番 聖観音 脇に掲げられている木曾義仲の駒返し(1181年)
猛吹雪に阻まれて兵を進めることが出来ず駒を返したとあります
湯ノ丸高原地蔵峠にあるお地蔵様
嬬恋郷土資料館(嬬恋村)によると、
江戸時代末期から明治時代初期にかけ、
鹿沢温泉と旧新張村の住民の発願によって造られた
旧東部町(現在の東御市)の町誌によると、
鹿沢温泉は明治時代以前、信濃国(現在の長野県)だったという
当時の観音信仰の流行を背景に、道標としての役割もあったとのことです
湯ノ丸高原地蔵峠に立つ 第八十番 十一面観音
湯ノ丸高原地蔵峠
湯ノ丸高原地蔵峠から嬬恋村の鹿沢温泉方面を眺める
湯ノ丸高原地蔵峠を嬬恋村へくだった道路脇の石仏
第八十七番 千手観音
難所の峠道のかたわらで湯治に訪れた人々を見守る観音様
嬬恋郷土資料館(嬬恋村)によると、
江戸時代末期から明治時代初期にかけ、
鹿沢温泉と旧新張村の住民の発願によって造られた
旧東部町(現在の東御市)の町誌によると、
鹿沢温泉は明治時代以前、信濃国(現在の長野県)だったという
当時の観音信仰の流行を背景に、道標としての役割もあった
新張の一番観音は高さ2・7メートル
鹿沢温泉の一軒宿「紅葉館」のそばに立つ百番観音とともに、
信濃国高遠の石工・仲山暉雲作と伝わる
百番観音の台座には、発願人8人の氏名が刻まれている
鹿沢温泉の一軒宿「紅葉館」のそばに立つ百番観音
標高1530メートルに位置する嬬恋村の鹿沢温泉は、
群馬と長野の県境付近にある
今日も往来する人々を見守っている
湯道を見守る「百体観音」百番観音でした
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