2024/04/25
ノースポールが冬越えをしてこのように咲き盛りました、嬉しかったですね~無事に寒さに負けなかったのですから、
2024/04/25
なんたって清純な花の群れですもん~
2024/04/25
ぁ――――あ、春から幸先がいいわ、そして今までの悶絶の故は何だったのでしょう、追々、その苦悩の流れを書ける
日は来るでしょうから、ユーモアのセンスを磨いておかなきゃ ̄暗い話にはしないぞ(笑)
2024/04/25
トマトの花が咲いてた、最初の水やりが、施肥がよかったせいか丈夫に育ってる、
子は農家の玄孫となるからなのか野菜を丹精する趣味があって、きっと亡母の介護の時に初めて土に触れ、その楽しみを
知ったのか、自分で育てた新鮮な野菜を食べるのは美味しいと知ったからかは分からない、
茄子 👆 05/05
グリンピースも順調よ、その他に茄子とニンニクとアスパラを二株づつ、枝豆4株を植えて様子を見てる、休日の趣味
としてはいい、
一生懸命働いて、小難しい両親をなんとかせにゃならないと、時にはうんざりするだろうに、我慢強いというか使命感か
長男だからか”そのこころ”は計り知れないけれど、子がいなきゃ私もここには居ないかも(笑)
子にして上げられることなんて限られてて、こっちがぉ世話になってるような按配なので大きなことは言えないけれど
「今は煩いと思うかもしれないけど私があの世へいったならば少しは懐かしがってくれるよね?」等と押し売りしてる私
こういう親を「手がつけられない親」というのだと私は知ってるけど、知らないオトコも家にいる (´∀`*)ウフフ
2024/04/26
サントリーさんのマックスマム≪菊科アルギラセマム属ハイブリッド≫ 仰々しい名だけれどメモしとかないと忘れる(^^ゞ
ピンクはスパークリングロゼ、オレンジは夕焼けレッド、酒屋さんは花の名も洒落てるから好き、増えるのよ~
私がブログを急くわけは休載だなんて大げさよね~だけど写真が残ってるので無駄にしたくない、これは舟を編むを
観なかったら恐らくは頓挫したと思うけれども、あの地道な作業を目の当たりにして、また、私の年齢による勘違いを
是正する意味においても、この作業をしないと、現在には日記としては繋がらないと思うからせっせと熟してる、
する事があるだけでも御の字よ、だって何かしないとね、
2024 テレ朝 木曜ドラマ Believe 脚本 井上由美子
テレ朝
まだ録画のママで観てないので何とも言えない、このキャストの豪華さは私にはたまらん!
アイノカタチ feat.HIDE GReeeeN(from 平成武道館 LIFE IS GOING ON AND ON Live Ver.)
もうあちらの世に逝ってしまった幼馴染の Fumiko ちゃん、75 の時に婚家を出て、息子の結婚した相手の地元”八戸市” に
転居して独居して、施設にお世話になり 暫くは元気で過ごしてました、
そのぉ連れさんのよくある気が変わって、別な女性と暮らし始めてしまったので、Fumiko ちゃんは独りで生きてゆく事
に決めて転居したのでした、 つづく
「P ちゃ~ん、あなたが住んでた”大杉平” と、その向かいにある、あなたが通ってた”八高” の処を施設に行くバスの中
から眺めたよ、いい処じゃない?あーここで P ちゃんは過ごしたのねと感無量だったよ、今度、息子にP ちゃんの通って
た”一中” に連れて行って頂戴」と頼んだのよ、懐かしいでしょ? 私は今は元気だから心配しないでね、手紙は嬉しい
からもっと書いてよ、
息子はぉ嫁の家で暮らしてるから私は近くのアパートで独居、これはこれで自由でいいもんだよ、近くに家族がいると
いうだけで安心だからさ」F ちゃんの声が今でも聞こえるような気がする、
2024/04/28
コモ・F como forever Central Rose tel ・・・・・・・今春も咲きました、
F ちゃんのことは以前も書いたので簡単に書けば、流行りの塾経営に家族総出で取り組んで、F ちゃんは小中の免許なの
で、幼稚園教諭の資格までとって大きな塾にした、
舅姑と F ちゃんの夫とその妹、そして F ちゃんとアルバイトの女性と大掛かりになって、建物も次々に増築に増築を重ね
その地方では有名な塾になっていった、当然、F ちゃんは掛け持ち主婦や母親業も熟し張り切っていた、
というのに、その夫はアルバイトの女性と怪しい間柄になって、でも舅姑も気づきながらも手を打たずに見てみぬふりを
し続けた、私はその点に腹が立ってたけれど、一時、F ちゃんが家を出て、その姉(私の高校の先輩でもあった)の処で
泣くようになる、子らは舅姑が「家の子だから連れて行って貰っては困る」との一点張りで話にならない、
その F ちゃんの姉は「親族が話し合いに出ると大げさになるから P ちゃん、F 子をあちらの家に連れて行って欲しい」と
私は解せなかったけれど、子もいるから当時は戻った方が良いかなと思ってたから(私は私で、別件だけど迷ってたの)
分からなくもなかったので同行した、
その家の居間で、無関係の真っ赤な他人の私がなんで乗り込んできたのか?解せなかったようだけど、地元の親戚の様な
付き合いの同級生で、F ちゃんの姉から頼まれて来ましたと堂々のご挨拶はした、
その舅姑、その娘、アルバイトの女子、F ちゃんの夫とテーブルを囲んだ、茶出しは当然のように F ちゃんがした 、
その娘がしてもよさそうなのになぁと思いながらそれぞれを観察した、座布団は外し私は地元でぉ人にお願いする姿勢を
とった、こちらがお願いするもんじゃなくて喧嘩をうりにいったようなもんだったけど、
「この中で誰が欠けても塾は成り立たないので今はこのメンバーで、どうしても継続したいので%&%$#”‘*」と言う
勝手な事を言う爺様に私は呆れた、これが教育者と言えるのか?
「こちら(アルバイトの女子で息子の相手)がいないと、経理や現場での欠員の時に講義にも出て貰うので欠かせない」
この婆様も何を言ってる?その息子の love affair を何とかせにゃやならないのが先決だろう!私は理解できなかった、
こういう時には自分ならどうするだろうと考えた、差し当たって私にはこういう修羅場には至ってなかったから、熟慮
するのみ、こういう時って私案外強気なのは祖父や父の様子を幼いながらもまじかで観て育ったので、
「ご主人はお宅を出てこちら(アルバイトの女子)と時々お住まいなのですか?」と詰問した、「はあ まあ 仕事に
差し支えない時には%$#&‘*」バカ(あら、失敬)じゃないの?まずは伏して謝らなきゃならない処だろうが よ、
親も親なら子も子だった、「別れるという選択はなさらないのは何のため?」もう丁寧語なんて使ってられっかぁ、
「妻が忙しいのでついつい%$#”&*‘@」アホ(あら、失礼)なのねと思ったら話してるのもバカバカしかったので
「F ちゃん、どうにもならないわ、もし、あなたが言ってたように子らの為に我慢できるなら、成人するまで仕事として
職員として割り切って”親業” に専念できるなら、それも一つ、どうしても親権が欲しいなら裁判、それしかないよ、子ら
の気持ちも訊いて、あなたが家を出て自立できる目途がつくなら別の仕事を探すとか」当時は私が私に言ってたような感
F ちゃんは婚家は出ないで職員として別棟で子らと暮らすことを選択した、その心身の疲弊が原因かどうかは分からない
けど、パーキンソン病を患って不自由な時を迎えた時に、その息子が同じくその塾の職員となり、そのぉ嫁も職員となり
表向きは何ら変わらないように見えた、けれど、息子夫婦も家を出て、そのぉ嫁の実家に家族一同で行き、F ちゃんを
八戸に迎えることとなり、そして 77 の頃、F ちゃんはあちらへ逝ってしまった、
オナゴの人生と才能と忍耐と努力を無残にも踏みにじったぉ塾ファミリーは今はどうなってるかは私には知る由もない、
知り~~たくないの、
2024/04/26
家の前の軒下にマーガレットが咲き始めました、この名を”あずきちゃん” という名で買った記憶があるんですけど?
不調が続いたからってファンは見放すことはしないとよくよく分かった、歯がゆいけれど気の毒だけど、監督やスタッフ
さんはじめ選手の皆さんが諦めることなく試合を続けてゆく精神を感じた時に、きっとファンは自分の置かれた現状に、
不満があったり不安があったり、或は解せなかったりしたとしても、その戦ってる姿を見せて貰えば fight もわくという
言葉ではピッタリこないような燃える心が各人を奮い立たせてくれるということを久々に実感した、
雨が降っても何のその合羽を着てさえ応援できるのは、そこに自分をも鼓舞できる空気なのだと、昨日の試合はホントに
素晴らしかった!ありがとうの言葉が一番ピッタリじゃん!
2024/04/26
この笑顔に私は生き甲斐を見つけたのですけど宜しいじゃありませんの?其々でひいき筋を応援しましょ🥎
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