2024/07/15
梅雨の季を迎えたというのに、紫陽花・アナベル、去年の鉢植えを冬越しには成功したものの、蕾が見当たらなかった、
好きな花なので「この土には合わなかったのね」と思いながら水遣りだけは続けていた、白い花が見たい!と思ってた
ので施肥によって色が違うという断り書きがあったので控えた、ら、やっと蕾がつきましたよ~嬉しかったわ、
ライムグリーンから瑞々しい白、そしてアンティークなアイボリーへ色の移り変わりもおしゃれなのがアナベル👈引用
この花に相応しい話は何だろうと思い巡らしてたら、ありましたよ!”彰子”
内気で語らない、胸深くに感情は仕舞ってるような、きっと思慮深くて自分のすべきことを初めから自覚してる強さ、
父の道長に言われずともオナゴとして生まれたからには、きっと父の思いのままに生きてゆくんだろうなぁとの諦観も、
伏せ加減の視線がその意志を表してる気がして、大河によくぞご出演と私は気に入りました、つづく
宣孝とまひろの昼ドラのような成り行きは放送屋さんにお任せしましょう、だってどう考えても、平安の世だから何でも
アリとは言いながら、ちょっとぶっ飛びすぎて嘘くさすぎる(笑)
そこで私は考えた!この憂いを含んだ控えめで話も上手じゃないオナゴの真骨頂を見せて頂き魅せられたいと、さらりと
触れなば「わずか12歳のオナゴが、父の道長の(やがて母はの意志もあり)命により一条の処へ行かされて、しかも
そこには定子という一条の最もお気に入りのオナゴがいるにも関わらず、その二人を丸ごと受け止めて、やがては定子の
遺子を育て上げ、道長に強烈に抵抗して天皇とした、自身の子もやがて二人も天皇に育て上げる、ちょっとやそっとじゃ
出来ない事です」
その意気を買って私は大河の視点を変えてみようと思った次第、史実はもう少し丹念に調べてみるけど、オナゴの中の
オナゴと言える生き方でしょ?後で付け加えてゆきましょう、
2024/07/13
小雨にけむるマツバボタン、この花は色々な表情を見せるので魅せられる、花が梅雨のせいで今一つパッとしないのと、
丁度、切り戻しをした後なので次に咲くのを待たなきゃならない、花だってそうそう期待に応えられないわよね、
A Man Without Love ❤️ Engelbert Humperdinck 🎤 1968 🌙 Moon Knight
歌詞の意味はさておいて(全くかけ離れてるわけでもない(´∀`*)ウフフ)メロディ―を楽しむという手があるぉ声良しぉ顔
良し、周囲のオナゴさん達の雰囲気が年代を醸し出してる、懐かしい一コマでございましょ?気分を変えるには私には
とてもいい一曲です、結構登場の機会あり~♬
2004/07/14
”雄弁と寡黙”について丁度いい対談を見つけてじっくり観察してる処、花も手前で大きく咲いてるのに目が行きがちだ
けれど、向こうの方に朧気ながら咲いてる花に何気なく心が惹かれる、あるいはどんな姿なんだろうと、
同じ株のマーガレットだもの、咲いてゆく過程は違わないんだろうなぁと思う、反面、いやいや、思いがけない個性的な
姿を見せてくれるやもと、
異業界のスーパースターといっても過言じゃないぉ二方の、これから先の行き着くところは何?というようなテーマの
対談、私には前日のショックが(年寄りが多すぎて世の中が正しく作動しないというような否定的な論)尾を引いてて、
でも天の機嫌次第だと、解るようで解らないことで自分の気を収めたけど収まってなかったのよ(笑)
こんな事に引っかかってるなんて、他に考えなきゃならない事もいっぱいあるだろうに、暢気だねと言われそうなのは
解ってる、その年で痛くも痒くもないなら上等じゃないか!と言われそう、その通りです、酒は旨いし(週2のみ)肴も
旨いし、息子は元気だし連れはどうでもいいし(失敬!)それで満足せい~と言われても返す言葉もない、
先ずは話に華がないのは頂けないので花は少しは咲いてるから載せられると、今外に出たら(私は今でも外に出る時に
はマスクに帽子は欠かさない、誰も観てないよ!と、子は言うけれど、そりゃ解ってますよ、超美人じゃないんだし、
でもぉ目障りになる事もあると知ったら、そうはイカないわー笑ー)小雨が、ほらね、これが人間の何んとなくの予感、
2024/07/14
ペチュニアのスプラッシュダンスという名に惹かれて、2度目の花には白のドットがない、これは施肥不足か、私はこの
単色の方が好み、しっとりと落ち着いていいじゃない?
綺麗な花でも無きゃこんな話は書けないし、ストレートに批判するような言葉は羅列したくはない、発言してるのは丁度
私の子ら位の年齢だと思うし、どの世界で活躍してるかを書けば一目瞭然、そんな罪なことはしたくない、
持論はあくまでその若者の持論で、もしや現在大いに売れて(その界隈じゃ(´∀`*)ウフフ)その気になってるに違いない、
いいわいいわでドンドン過激になって人目を引く事による快感に浸ってるやもしれないから、敢えて婆としては暈かす
そして相手は独りじゃなくて、まあ知ってるっちゃ知ってるオト・コオナゴも混じってて、その辛辣で有名な事も周知の
事実の方、核心は衝くので好きだけどね、そして you yube このぉ方は、あらゆることに挑戦してその身を挺したぉ方だ
から、敢えてぉひとの出来兼ねる分野に進出した事もある実践派なので、私は一目置いてる、異論も一部あるけれど、
界隈じゃ売れてるぉ方の言い方が私には棘のように刺さった!その先輩が話にうかうかとのってイかないはずだよね、
「年¥暮らしの人達はどうして同じ世代としか話さないんだろう?そして同じ場所に住んで、これじゃあ言葉も忘れるし
刺激もないし、だんだん、○○ていくのは分かる筈なのに」と、したり顔、
「あーーぁ、またぞろその話かい?君には夢も情緒もぉ友達も必要なくて、親とのしっとりとした或いは遣り合う親しさ
も必要ないんかい?」とは思ったけど、以前、その親ごについての話をしてたから私は「そうだったのかぁ」と心が痛ん
だ覚えがあったので、今はそうは思わないけど「親ごについては一般論で済ます方がいい」と私は教えたい、
だから周りは同意もできなきゃ異論をさしはさむこともしない、そういう機会を経れば経るだけ、人は何かを学び、控え
或いは滔々と述べ論争の面白さを視聴者に提供出来るようになる、そうなる前のぉひとだったので、経験に基づく思考力
に欠けてたといえば仕方のない処、仰ってることは異世代の私にも一部は分かりましたよ、君の you tube も拝見してます
から、相手によって使い分けてる件には少し気がついてるけど、
➡
たった1日経っただけなのに蕾の一つは咲き「まだ咲きたくない!」と言ってるような蕾も 2024/07/14 ➡ 2024/07/15
花に焦点を当てるか蕾に焦点を当てるかは、その時々の載せる話題の事を考えて撮る、今回はうまく写せて気に入ったよ
クレマティスは3度目の切り戻しにもめげずに、蕾の力強さに惚れた(´∀`*)ウフフ 先が楽しみという意味に於いて共通、
さて雄弁なぉ方はありとあらゆる机上の論を途切れることなく話してた「人間の行きつく先は AI に拠って決められるか、
予測できる日が近いから、#$%&”*+‘?”#$&%*+‘<」と捲し立てた、そのぉ相手は、全身全霊をかけて仕事に
向かってきた実力者なので、
(こちらも一言書けば誰と指定できるので控える、気づいた方はスルーしてください)仕事をしてる方だから敢えて寡黙
けれど机上専門であろう方は、その偉業を先刻ご承知なので、負けてはならずと(私にはそう見えた)言葉を駆使して、
実力者は相槌を打つ、しかし時折り的確な疑問を静かに投げかけて応えるのを待つ余裕、そこが実践派の強みでしょう、
無駄な、空虚な言葉のやり取りが無かった分だけ、視聴者の婆には聴きやすい時間だった、
とどのつまり、人間が存在する限り、そんな得体のしれない(あら、ごめん)機器の、或いは記録だけで済む世の中に
なるとは誰にも決められない、恰も新論のように粋がって(これ、適語?嫌み?)言ってみたって、
人間はこの世に生を受けちゃったのは事実だから、その持って生まれた情緒(無駄な言葉かぁ?)が失われることはない
「格が違うね」(あら、私も相当な荒業に出ちゃったわね、それもこれも親心、言葉が伝わるか伝わらないかは適語よ)
2024/07/14 ご存じ!トマト、ナス、枝豆、朝夕に子が丹精込めてる野菜です、軒下のような粗末な場所でさえ育つ、
そして出来不出来は時の運、でも手をかけた分だけ味がいいと感じるのは加味された心とでも言いましょうか?
さて野菜や果実を育てるのには意味があるなぁとつくづく思う、そうすれば簡単にぉ他人の人生云々の話には、恐れ多い
と若者は気づくはずよ、”過程” とはそれ程に大事なことで”家庭” にも大いに大人の責任があると私は思ってる、
ぉ他人さまのことだけ、あーでもないこーでもないと偉そうに言ってるけど、じゃあ私はどのようにして現在に至ってる
かを話さなきゃ(書かなきゃ)片手落ちというもんですよね、
その前に
思いがけない方が地上波に!あまりの人気ぶりに無視できなくなって、それに票は集めるし、いつもはニコリともしない
石〇茂さんが、選挙を前にかどうかは周知の事実として「すごいひとですね~若いしイケメンですし」のような言葉を
発する程、私はわが耳を疑いましたよ、ま、危機感含みゆえでしょうけど、随分思いがけない反応で、場は苦笑気味の
和やかな雰囲気と私には思えましたよ、
そっちの世界に行くかどうかは分からないけど、ご本人は無難に初地上波(と思われる番組で)にも悠々のご出演でした
その父ごが「息子の誹謗中傷は許さねー笑ー)と豪語されてた、杞憂でした、子を心配しない親は居ないのですから、
そして、そこでの立ち居振る舞いを”初” とは思えないほどさらりと熟してました、観てて気持ちのいい様子でしたよ、
先行きの事を皆は訊きたがるのは当然で、私も視聴者として、追っかけマダム(じゃないけれど)耳をそばだててたけど
明確な答えはせずに、可能性は果てしないと私は踏みました、いいじゃない?若者に夢があるのは、実現か否かは別とし
て、その内きっと指し示してくださいな、
関係者の爺様たち(不躾に過ぎますけど)は知恵を絞ってるでしょうね、あら、私も同じようなことを言ってる(笑)
たまには刺激もいいじゃない?もうぉ世継ぎが通用する時代じゃありませんからね、よくよく現実を観て手の引きごろを
感じてくださいよ、若者の行方も気にはなります、でも若者には前途洋々という言葉がありましょう?
私のことは明日にしますね、
駅までの途中のお宅に”ハツユキカズラ” があったので一目ぼれ(私はひとにも一目ぼれが殆どで、成功失敗はお手の物)
それで小さなポットから育てたらやっと色がつき始めました、これが私の話にどう繋がるかは腕次第(笑)
2024/07/15
前にも書いたので最初はシンプルに、妹たちの結婚が決まったので、母方・祖父が「姉から順番に嫁に行け~」と言った
しかも「あたりに誰か適当な(妥当な)オトコはいないのか?同級生とか」と、なんていい加減な祖父だったんでしょう
でも祖父が嫌いなら従わなかったけど、祖父は私の理想のオトコだったから、それに「ダメだったら帰ってこい」とも
付け加えたので、わたしもその血脈だから「まあいっか~」と決めて嫁になることにした、
そして最初からこりゃ私には無理なオトコだとは思ったけど、子が可愛いし、長女、2歳2か月後に長男次男のツインズ!
願ったり叶ったり(女系家族だったから)私はこの子らを育てることに集中しようと決めた、子は親を選べないから、
この至らない夫婦の子として生まれて果たして良かったかどうかは、訊いたことがないから分からないけど(^^ゞ
3人も授かった(心から感謝したね、こんな小さな体にパワーが秘められてたのかと ?(* ´艸`)クスクス)幸運としか言えない
けれど、結婚したきっかけは聊かいい加減だけど、私は自分を力強いじゃん!と思えたのよ、
のっけから連れの育児の協力や家事やその家族へのその他の思いやりや人生設計など当てにしなかった、そういうオトコ
と知らずに嫁になっちゃったんだから、小難しくて気紛れで、自分さえよければそれでいいような生き方に一々イチャを
つけてる暇なんかあるはずもない、こっちは命を懸けて産んだ子ら3人を、傷つけないように(色々な意味に於いて)
一心不乱に育ててる事に満足だった、「俺のご飯は~?」等と言うだけの存在は今風に言えば「ゥザ!」(笑)
あの頃は幼稚園に願書を出すのにさえ並ばなきゃならなかったので、連れに並んで貰ったけど、今思えばきっと人前で
は育児に参加してますよ~的な行動だけをしたかったのよね、以後、各子供の行事については如何にもというように参加
して、あれって見える範囲ではという術だったのよ、だから家庭内での協力は一切無し、今なら問題に出来たけどホホホ
2024/07/15
オナゴの端くれですけど、私も母親として生きるなら、まあいいわ、そんなオトコの気まぐれに振り回されてたら、育児
が滞っちゃう恐れもないじゃなし、ここは一つすっくと立って生き様を!と思い直したのよ、
それで何事もなかったように振る舞ってましたよ、喋りたくなきゃ喋らない、帰ってこなきゃそれでもいいし、いちいち
こっちから予定を訊くのは止めにして、出たとこ勝負で過ごすことにした、まあ一応、父親としての認識はあったようで
自営業の盛んな時でしたからペイは怠らずにさせました、文句臭い様子でしたけど当然でしょう?(´∀`*)ウフフ
その時の心境ですか?子らはどう思ってたかは知らないけれど、育てて貰ってるという実感はあったとは思います、至ら
ぬ母親でしたけど、もしや不平不満があったでしょうけど、
そして子らが高校生と中学生になった頃に私は”腰痛” 椎間板ヘルニアに罹り、北〇大学病院に入院となりました、そりゃ
そうでしょうよ、長年の独り育児(ったって最早サイドメニューのようなもんですけど)と家事との疲れが出た、
ストレスが原因という診断でした、 つづく
2024/07/15
2024/07/13
この色のスプレー菊も咲き始め”盆” だなぁ(北国では旧盆ですから)と思いながら朝寝しちゃって夢をみた、盆だから
かしら?この処、こっちに来てから墓もそのまま、家もそのまま、畑や庭先も放ったらかしてて申し訳ない!と思い乍ら
寝落ちしたせいかしら(笑)
あ!「嫁に行け」とのお祖父ちゃんの事を書いたからかも~懐かしい祖父母や大伯父、大伯母、叔父叔母、が何故かしら
挙ってご登場で(´∀`*)ウフフ みんなあっちの世界で楽しく集ってるんだろうなあ等と、いつアッチへいっても寂しくない
などと他愛もないけど、私には安心の素材があるからいいんだけど、流石に両親は登場じゃなくてその母方実家を継いで
まさに離農したばかりの幼い頃の従妹が、今も元気なのに登場してた、
池を俯瞰したような坂道を下りながら、余りの綺麗さに「あ!ブログに載せる写真を撮らなきゃ~」と思い乍ら目覚めた
あら?あの古い家の奥の座敷で目覚めたような気がして一瞬「あーーー幸せ」などと口走った様な、そうじゃない様な、
こっちに来てから初めて「幸せだなぁ」としみじみ思った次第よ、もちろん息子との時間にはそう思ってるけど、連れ
には何も思わない(´∀`*)ウフフ
池には鯉が泳いでて、川からポンプで汲み上げてた水が、コンクリートの溝を流れ池へ注いでいた、あの頃は川の水も
きれいで、顔を洗ったりしてたのだから、今の川の水じゃ考えられないけどね、その後池から田んぼに流れ込むように
設計したアイデアが凄い、それにはわけがあって坂の下には農家が4軒あった、各畑に水が流れ込むように考慮の果て、
親切と言える、私は叔父のそういう心意気が好きだったし、周りの人たちが手伝ってくれた理由でもある、
そして従妹が登場したには理由がある、その叔父の長女として生まれたので、あの大きな家と農機具小屋、田んぼや畑や
池は「どうするんだろう」他人事乍ら日々、気にしてるからかしら?それに比すれば小さいながら、母の家も小屋も畑も
庭先もそうだけど"(-""-)"
2024/06/27
介護保険の査定について
私が母を介護してたのは北国の小さな市でしたので、関東とはもしや仕組みが違うかもしれませんけど、母は 94 歳まで
歌会に参加してたくらいの丈夫なオナゴでしたので、介護認定を受けたのは 95 歳の頃です、妹に嫌々乍ら連れていかれ
病院で診察を受け、認知症のテストを受け、担当医が問診し、取り敢えずは”認知症が進まない薬” を処方されたのです、
けれど母は豪気なひとですので、その薬は飲まないで捨ててました(笑)
だって認知症なんかじゃない!との認識でしたので、その時には要支援1から始まりました、私が常駐してたので心配は
要らなかったので、敢えて私は強要はせず、57577 の内容を観れば母の状態は分かるのでそのままにしておきました、
そして畳の部屋での布団からの寝起きがしにくくなったということで介護ベッドをレンタルすることにした、というのは
もしもの時に介護ベッドの後始末(その頃、不要なものを処分し始めてましたので、粗大ごみの始末は難儀だったので)
の事を考えると私はレンタルの方がいいなと思ったので、妹1は「買った方がいい」と言いましたけど、今思えば私の
決断の方が、その後何年使ったとしてもペイは介護保険で、金額は記憶はしてませんでしたけど母のもので賄いました、
そして何かの時には即座に介護ベッドは撤収されましたので楽でした、
母自身は亡父の共済年金受給者の遺族という事で年金受給者でしたので、その範囲内でショートやデイサービス受ける為
にケアマネさんに全て詳らかにして指導を受けました、
そのこと自体に於いて、役所が直接面談するのではなく、すべてケアマネさんの実情把握の上に成り立っていたという事
です、そして介護度が母自身の身動きの様子から判断して上がっていくという仕組みでした、
週一のデイサービスから始めて介護1、ショートを始めて介護2、その日数や介護士さんのお手数や、母の対応の様子で
介護3から、そしてショートの日数やデイの頻度により介護4、風邪を引いたくらいで余病はありませんでしたので、
入院もこちらの事情をその度毎に見て頂いてました、
それは病院、介護施設が同一の経営によるものだったので出来たことかもしれません、色々な施設や病院も提携はしてる
かもしれませんけど、そこがなかなか難しい処でしょうか、
仕舞いの方では医師+看護師さんが自宅を訪問して、現状を把握しケアマネさん同席の上、判断して頂きました、やはり
ケアマネさん自身の判断で全てが執り行われました、私は、ただ傍にいて茶出し位しかしておりませんでしたけど、介護
は私がこの手で行ったということです、
ケアマネさんにはその権限があるということでしょうか?地域によって違うかもしれませんけど、参考になるかは分から
ないですけど、そんな処でしたよ、
一度開花を諦めかけたが蕾が出て喜びもひとしおですね
昔咲いてた紫陽花と違って、
真っ白な毬のような紫陽花です、
楽しみにしてたので嬉しい!
あまりの暑さが続いたのでね、
コメありがとう、とても嬉しかったです、またね、
湿っぽくて今日も暑いので除湿で助かります。
私の脊髄狭窄症の事が心配でそのことをメモしたことで介護2になったのだと思います。私自身が自分の健康度に自信を持ち過ぎていたのでガックリしたのでしょうね。87歳ではなく85歳でした10月が来て86歳になります。大して変わらないけどこの歳の2歳は大きいわ⁈フフフ
私達って歳の割には若く見えるし(自分で言うか?)
( ̄∇ ̄;)ハッハッハは私たちは言うのよね、
だって事実だから、そして丈夫なのよ、
これは親に感謝してますよ、
100 越えのママでしたので、
私は4月で79越えとなりましたので、
natu ちゃんに追いつくかも~(´∀`*)ウフフ
ってね、オナゴは強くてナンボ!ですからね、
よかったわ~元気を取り戻したようで、
心配しちゃいましたよ🌹
今、蕾ならこれからたっぷり楽しめそうですね。
こちらは、紫陽花が終わり、向日葵の季節になっております。
昔(位置も昔話になっちゃうククク)
はシンプルな色付きの紫陽花が多かったよね、
今はちょっと高級感があふれてて楽しいです、
コメありがとう、とても嬉しかったです、またね、
酷暑、猛暑、激暑、俳句の先生じゃないけど(番組の)
いくつの言葉を重ねても足りないです、ご自愛を。