益高13交遊ノート

~団塊世代の高校同窓仲間が綴る、近況報告・悩み相談・独り言・何でも"OK"の落書き帳です。~

明後日の敬老の日に寄せて

2024年09月14日 | レティシア

明後日16日は喜寿で迎える記念の敬老の日、

胸を張ってみんなで祝いましょう。

ところで、この前降圧剤を取りにかかりつけの病院に行ったのだが、

その際頼んでもないのに身体測定と丁寧な問診を受けた。

どうもお上からのお達しらしい。

渡されたペーパーを見てビックリした、こんなにも縮んでいるとは!!

高校3年の時が身長168センチメートル、体重60キログラム。これは当時の僕ら男の平均値だった。

それがなんと160に51!!

小さくなっているとは予想していたが、ここまで縮んでしまっているとは・・・・・。

皆さんはどうですか?

先が怖ろしいです。

このところ思いついては背筋や腰を伸ばしています。

1ミリでも2ミリでも減少を食い止めるために。

もし運よく傘寿の敬老の日を迎えることが出来たら、

その時「減っとらんかった!!」と投稿出来たら嬉しいね。



 

 


終活

2024年05月23日 | レティシア

随分前から少しづつやってはいるのだけど、大病をしないと本格的には出来ないのかな?

大病を待っているのもおかしな話、てなわけで、やります!!

思いついたのは写真、書き物。思い出深い衣類。先ずはそこから。

皆さん、どうしていますか?


夏祭り

2023年08月06日 | レティシア

故郷益田の不動産をようやくすべて処分。「これで名実ともに都会人になった」と先日のミニ同窓会の席で言ったら、「そんなこと誰も思っちゃいない」みんなで笑い合った。

昨夜は4年ぶりに実施出来た我が町の夏祭り。人はけっこう集まったが、「みんな踊って下さい」と拡声器が何度も呼び掛けても、なかなか輪をつくろうとしない。やっぱり都会なのかな。眺めるだけだったが、田舎の盆踊りが懐かしい。皆さんのところはどうですか? これからですか?

 


カポック剪定

2023年05月03日 | レティシア

 

 

 

      前               後

今日の午前中、自宅前のカポックの枝葉を息子二人と一緒に剪定しました。大きいゴミ袋がいっぱい、5個になりました。

切り取りながら思いました。戦争みたいだな。可哀そうだが若い枝葉が先です。戦場に駆り出される若い兵士を連想します。そうして残った枝木の一部が我々団塊世代でしょうか。

奥ゆかしく、しっかりと、お国を、家を守っています。

 


思い出のプレゼント

2022年08月06日 | レティシア

           

いつかはこの話を披露するつもりでいました。先般の某友の奥さんに関する熱いコメントがそのきっかけとなりました。といっても、たいした話ではないかもしれません。でも私にとっては奇跡的と思える出来事だったのです。

44年前の1月、新婚旅行先は第二のふるさと、土佐の高知でした。大阪からの飛行機が着陸して、私達降りる準備を始めました。その時ある一人の若い可愛い女性に声を掛けられました。断りなく勝手に描いてすみません、とでも口にされたのだと思います。それが、掲載している鉛筆で描かれたスケッチです。慌ただしくて何の話も出来なかったため、到着ロビーで彼女を待ったのですが、残念ながら行方を見失いました。ふと紙片の裏を見て吃驚しました。住所とともに書かれている名前が妻と同じ「明美」だったのです。これは必ず便りを差し上げなければいけません。旅行から帰るとすぐに取り掛かるつもりでした。しかし何かと慌ただしく、ペンを持つのが一日延ばしになっていました。そのうち面倒になって来て結局やめてしまったのです。とんでもない横着者です。                                  

それから30年が経ち還暦を迎えました。或る日書類などを整理しているうち、あの紙片が目に留まりました。見つめているうちに、叱咤する声が心の裡から聞こえて来ます。意を決してお詫びの手紙を紙片のコピーとともに郵送しました。すると二週間ばかりして、彼女のお母さんから返信がありました。丁寧できれいな文字でした。内容は概ね以下のようなものです。娘は大阪の堺市に嫁いでいる、コピーを送ると自分が描いたものに間違いない、(手帳の一枚に描いたもので、保管している当時の手帳と合わせると、切れ目が割符のように合致した)女子大生だった娘は就職活動の帰路だった、明美という名前は当時婚約中の皇太子(明仁)、お相手(美智子)から一文字ずつ頂いた、等々・・・・・・・。ちなみに、私の妻の誕生日は美智子様と同じ10月20日なので、こういうことででも何かの縁を感じます。

このような巡りあわせ、偶然は遠く離れた三家族の気持ちを高ぶらせるに十分でした。当然のように文通が始まりました。とりわけ私とお母さんのやりとりが多かったです。お母さんは短歌が趣味の文化人でした。便りの1つに書かれていた、「娘が撒いた種が花開いた」という言葉が強く印象に残っています。私の怠慢により、開花が怖ろしいほど遅れてしまいましたが。

文通は暫くの間続き、やがて年賀状のやり取りに代わっていきました。両家族ともに今でも変わらず元気にお暮らしのようです。この紙片はきちんとファイルにおさめ、たまに眺めては当時を懐かしんでいます。

まもなく妻の祥月命日、その後お盆です。子供達と墓参りに行って来ます。

長い駄文にお付き合い頂きありがとうございました。皆さんの心に残っている思い出を聞かせて下さい。

 


上野にて

2022年06月05日 | レティシア


6月4日土曜日の昼前、M・A君と連れ立って上野へ。

天気も良く、コロナも終息に向かっている気配があり、上野動物園のあたりは凄い人混みだった。

画廊にはK・Yさん、H・Rさんも来ており、一緒に画伯・友游君の作品(上記写真)を中心に閲覧した。

彼の絵は以前とはタッチが違って油絵のように見え、素人の眼だがさらに上手になったように思えた。

その後みんなで軽い昼食をとった後、私達は友游君とともに、能楽堂に向かう女性達と別れて近くをぶらり

と散策した。

久し振りの再会、多岐にわたって弾かれたようによく喋った。ただ、3人とも場所や名前や日時を思い出せ

ない場合があり、時々話が滞った。「あれ誰だったかな」「どこでだっただろうか」等々。仕方がない、後

期高齢者一歩手前の人間の会話なのだから(私は到達済み)。また、散策といっても、ぶらりといっても、

残念ながら否応なくそういう足取りにならざるをえないほど、足腰が弱っている3人だった。特に私は腰

の蝶つがいが外れたような状態になり、途中で何度もベンチに腰を下ろして休憩をとって2人に迷惑をかけ

た。普段こういうことはないので、多分履きなれない靴のせいだろうと思う。

ともかく、楽しいひとときでした。

みんなで集まる時が早く来るといいな。

 

写真追加(団塊)

27年前に雉さんからプレゼントされたお宝品(テレカ)です。机の中に眠っていたので、取り出してみました。右下に雉さんの名前が印刷されていましたので黒塗りしています。


現在の益田中学校

2022年01月16日 | レティシア

     

 

         

←①

            ②→

 

 

①校舎

②左より校舎、渡廊下、体育館

 

 

←③

            ④→

     

 

③テニスコート

④体育館

 

  

←➄

            ⑥→

 

 

➄部室

⑥左校舎、正面体育館

   (防空壕側から写す)

 

改訂版です。

かむりさんに刺激を受けて、我が中学の母校について投稿しました。

写真は昨年末小雪の舞う中、異常者とみられることを恐れながらリポビタンさんが撮影してくれました。

当方勝手にばらばらに並べているためわかり辛いと思います、お許しください。

ご覧のように一番記憶にある防空壕(?)がハチの巣のようにあった山は切り崩されて住宅が立ち並び、

校舎は以前にあったテニスコートの位置に移っています。

 二枚の略図は島千鳥さんの強い要請により書いたもので、間違っているかもしれません。

左側は益田中学校へ向かう道と大通りが交差するあたりの、昭和35年頃の街並みです。

僕たち高津生まれの生徒の通常の登下校は高角橋を渡った後、須子から通称「こいとうざ(だ)お」という

坂を越え、民家の佐々木家の角を曲がるというものでした。バス通学のものは、労館前というバス停で乗り

降りしました。でも時には僕をはじめ多くの元気印が須子の能美病院の横の道をまっすぐ山に向かって行

き、海雲寺のヘリから山越えをするという近道を選ぶこともありました。すると体育館の裏手に出ることが

出来ました。僕たちの一年後輩から新設された高津中学校に入学したため、その後その道は廃れ、ホントの

けものみちになったことが想像出来ます。吉田地区からは何本も道筋があり、裏通りを経て池というか沼地

の前の道を通った人も多かったと思います。その道の傍には現在は日本中で名の知れた「田吾作」という小

料理屋があります。

本当に様変わりです。あれから60年が経っていますから当然と言えば当然です。

他にも当時の思い出が甦って来て尽きません。

仲間の方々のコメントを頂ければ幸いです。

最後になりましたが、色々とお教え頂いた皆様どうもありがとうございました。


謹賀新年

2022年01月01日 | レティシア

今年も例年通り、天照大御神の御札を受けに

門前仲町にある江戸最大の八幡宮と言われる富岡八幡宮に行って来ました。

この神社には日本一の黄金に輝く巨大神輿が参道脇に配置されており、

誰もが見学出来ます。また伊能忠敬の像もすぐ傍にあります。この深川の地から

測量の旅に出発したそうです。写真付きではなくてすみません。詳しくは

SNSでご覧下さい。

もちろん仲間の皆さんや13期の同窓生みんなのご健康とご長寿を祈願してまいりました。

どうかくれぐれも健康に気を付けられてこの一年をお過ごし下さい。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

 


年金

2021年07月22日 | レティシア

どうも来年あたりで純粋年金生活者になりそうです。

先日長男にお前の扶養家族にしてくれと頼みました。

奴にとっても税金面で恩恵を受けるわけだから嫌とは

言わせない。

自由業者だった人は少なくて大変です。

僕も事情があってそんなに多くは貰っていない。

還暦に達してすぐに貰い始めたから、よけいに少ない。

お金というのは面白い。

妻が生きている時は、彼女に年末調整還付金を知らせずに小遣いに充てたが、

妻が亡くなりいざ僕が財布を握ると、金は自由に使えるようになったが、決して好き勝手に

使えるものではない、ということがわかった。

それで現在僅かばかりの預金の管理をしながら、息子達に緊縮財政を強い、その上将来の長くはなかろう

余命を長男に託したわけです。

無職になったら、内緒でこっそりと貯め続けた別預金を小旅行に当てるつもり。

しんどい思いをしながら小遣いを捻り出したあの頃が懐かしい、です。

 

 


災難

2021年05月24日 | レティシア

再度の緊急事態以降週二日勤務が続いています。

今日は出勤の日、今朝自宅を出た途端、えらい災難に遭いました。

歩いていると左頬にひやりとした感触、触った手を見ると白いものが。

肩にも白いものがべったり。

見上げると電線に一羽。まるで狙いすましたように。

コンビニに駆け込んで買ったペットボトルの水をハンカチに浸して何度も拭いたが、

これがいっこうに落ちない。

電車の中で周りの乗客の視線が気になって仕方がありませんでした。

衣替えでおろしたばかりの夏用スーツ、一日でクリーニング店行きです。

 

不運を嘆いていると、ウンが付いたと喜ばなければという仕事場の仲間の言葉。

帰りにジャンボ宝くじを買うつもりです。


ステイホーム

2021年05月02日 | レティシア

皆さんお元気ですか?

コロナ騒ぎはおさまるどころか、変異株に姿かたちを変えさらに猛威を

振るおうとしています。

少しは体を動かさないと良くないと思っても怖くて出られません。

となると仕方なく巣篭り、私は映画三昧。

何故かしらどんどん古い映画へと。

皆さんはどうして過ごされていますか?


思い出

2020年07月15日 | レティシア

昨日高津川がやばかったらしい。

車のない人やお年寄りはちょっと高台にある高津中学校へ

避難した。

こんなこと信じられない、だって堤防工事完璧で

昔に比べて水量ガタ落ちで寂しくさえおぼえるあの水質日本一の

高津川が氾濫!! 

なんとか回避出来たそうだけど、今回だけと思うなよ、また来るぞと

思わざるをえない。

ひと昔前とあきらかに違う、桁が違って来た。

ある霊能力者が5、6年前に言っていた、「蓋が開けられる時が来た」

人間の果てどない欲望が善だけではなく罪悪を溜め込んだ、それが今噴出している。

自然災害も例外ではない。地球に対し、もっと謙虚に向き合わねばいけない。

酔いが回り始めている。

 

ウイーン少年合唱団、

還暦の時、同窓会名簿を作ったが、部活動で合唱部に入っていた人が

けっこうたくさんいた。そのうちの何人かはこのウイーン少年合唱団に

影響されて入部したのではないかな、と思っている。清らかな高津川の流れに

少年少女の美しい歌声が乗って・・・・。

その合唱団がコロナのせいか存続の危機に瀕している。

なんとかならんだろうか、私たちの素晴らしい思い出を消し去らないで欲しい。

まだ書き足らないけど、もう眠い、おやすみなさい。

 

追記(世話子):下記コメントしました「半夏生」の表紙絵(同期生の篠〇さんの作)です。

 


レチ男の日記

2020年03月29日 | レティシア

2020・3月29日

今日は朝から雨、雪になるかもしれない。

コロナウイルス騒ぎで学校も春休み前からずっと休みだけど、

もうすぐ始まるかな。

おとんは毎日東京へ仕事に行っているけど、感染しないか少し心配。

そのおとんが昨日土曜日でお休み、夕食はご飯炊くので好きなおかず買って来いと。

ずーっと弁当やサトウのごはんだったから嬉しかった。

近くのすーぱーに行くと、パンやトイレットペーパーの棚がまた空っぽ。

首都封鎖なんて小池のおばちゃんが驚かせたからと僕は思っている。

待ちに待ったホカホカご飯。

そんなに慌てるなと言うおとんの言葉を無視したため、

お椀からご飯を膝の上にごそっとこぼしてしまった。

手で掴んで口に放り込む、「よく噛めよ」

ゆっくり噛みしめる。うわ、こんなに白米が美味しいとは、おかずいらないくらいだ。

「お百姓さんに感謝しなきゃな」

今日は巣籠り、朝10時、おとんはパソコンで何か書いている、ますこう13何とか。

僕は二階に上がってゲームでもしようっと。


益田にて

2019年10月21日 | レティシア

週末に所用があり帰益しました。

空港マラソンのため、飛行機は行き帰りとも満席でした。

丁度グラントワで「高津川」の上映があり、監督他スタッフも来益していて、

ホテルや駅通り裏の飲み屋街も人で溢れ、とても活気のある故郷でした。空港ハチミツはこの度も

売り切れでした。

土曜の夜、同窓生仲間の集いに参加して、大変楽しいひとときを過ごすことが出来ました。(場所はみのり)

出席者は下記のとおりです。

とても美味しい酒と魚をいただき、おおいに歓談しました。

バーを挟んでのしめは駅前の屋台、定番のコップ酒におでん、そしてラーメン、設計士が付き合って

くれました。

みのりでは私が行くまでにメンバーがほぼ出揃っていました。後で聞いたら来年の全体同窓会のことを

話し合っていた模様です。

 

酒屋の亭主君、N・K君、I・K君、T・K君、S・T君、石見神楽君、H・T君、柿農家君、設計士君

唯一の姫N・Tさん、それに私の計11名。

皆さんありがとう、お世話になりました。