昭和40年7月13日の写真です。S坊からもらいました。
私は、山際の近道から帰宅しようと校庭を渡っていたところ、急に水が押し寄せてきて、あっという間に脹脛まで水につかっていたところ、教室から「帰って来い!」と叫ぶ声で校舎に引き返しました。
みるみるうちに、校舎の周りは浸水して1階の廊下までも冠水してと思います。
みんな正面玄関から舟に乗って、バス停近くまで送ってもらったと聞きましたが、男子の中には自転車を押しながら帰っていく様子も見られたように記憶しています。
結局、私は最後頃に舟に乗って家の近くまで送ってもらいました。。。ほんとに、忘れられない出来事でした。
しかしその後の昭和58年7月23日の豪雨災害では、益田川が決壊して甚大な被害が及び、県西部で死者行方不明者が107人、住宅全壊・半壊は3041戸、浸水は13996戸と記録されています。同窓生の中にはご自身やご家族が被害にあわれた人も多かったのではないでしょうか。
当時は米子市に在住していましたので、申し訳ないですが実際には体験していません。
今年は丁度40年目にあたるそうです。
現在も九州、山口では大変な被害が発生しています。この後もまだ激しい雨が続くとの予報で心配しています。
どうか、穏やかであれ!と七夕にお願いすることにしましょう。