益高13交遊ノート

~団塊世代の高校同窓仲間が綴る、近況報告・悩み相談・独り言・何でも"OK"の落書き帳です。~

思い出のプレゼント

2022年08月06日 | レティシア

           

いつかはこの話を披露するつもりでいました。先般の某友の奥さんに関する熱いコメントがそのきっかけとなりました。といっても、たいした話ではないかもしれません。でも私にとっては奇跡的と思える出来事だったのです。

44年前の1月、新婚旅行先は第二のふるさと、土佐の高知でした。大阪からの飛行機が着陸して、私達降りる準備を始めました。その時ある一人の若い可愛い女性に声を掛けられました。断りなく勝手に描いてすみません、とでも口にされたのだと思います。それが、掲載している鉛筆で描かれたスケッチです。慌ただしくて何の話も出来なかったため、到着ロビーで彼女を待ったのですが、残念ながら行方を見失いました。ふと紙片の裏を見て吃驚しました。住所とともに書かれている名前が妻と同じ「明美」だったのです。これは必ず便りを差し上げなければいけません。旅行から帰るとすぐに取り掛かるつもりでした。しかし何かと慌ただしく、ペンを持つのが一日延ばしになっていました。そのうち面倒になって来て結局やめてしまったのです。とんでもない横着者です。                                  

それから30年が経ち還暦を迎えました。或る日書類などを整理しているうち、あの紙片が目に留まりました。見つめているうちに、叱咤する声が心の裡から聞こえて来ます。意を決してお詫びの手紙を紙片のコピーとともに郵送しました。すると二週間ばかりして、彼女のお母さんから返信がありました。丁寧できれいな文字でした。内容は概ね以下のようなものです。娘は大阪の堺市に嫁いでいる、コピーを送ると自分が描いたものに間違いない、(手帳の一枚に描いたもので、保管している当時の手帳と合わせると、切れ目が割符のように合致した)女子大生だった娘は就職活動の帰路だった、明美という名前は当時婚約中の皇太子(明仁)、お相手(美智子)から一文字ずつ頂いた、等々・・・・・・・。ちなみに、私の妻の誕生日は美智子様と同じ10月20日なので、こういうことででも何かの縁を感じます。

このような巡りあわせ、偶然は遠く離れた三家族の気持ちを高ぶらせるに十分でした。当然のように文通が始まりました。とりわけ私とお母さんのやりとりが多かったです。お母さんは短歌が趣味の文化人でした。便りの1つに書かれていた、「娘が撒いた種が花開いた」という言葉が強く印象に残っています。私の怠慢により、開花が怖ろしいほど遅れてしまいましたが。

文通は暫くの間続き、やがて年賀状のやり取りに代わっていきました。両家族ともに今でも変わらず元気にお暮らしのようです。この紙片はきちんとファイルにおさめ、たまに眺めては当時を懐かしんでいます。

まもなく妻の祥月命日、その後お盆です。子供達と墓参りに行って来ます。

長い駄文にお付き合い頂きありがとうございました。皆さんの心に残っている思い出を聞かせて下さい。