益高13交遊ノート

~団塊世代の高校同窓仲間が綴る、近況報告・悩み相談・独り言・何でも"OK"の落書き帳です。~

どんどん焼き

2014年01月15日 | 中村屋

投稿のやり方が分からなくなって無事に辿り着けるか心配です

何処でもあるのでしょうが私達の自治会でも毎年どんどん焼きが行われます。

自治会長さんが一年を通じて、いつも子ども達の喜びそうな企画を考えて下さりお餅の他自治会の有志で育てた芋を焼いたり、お菓子を頂いたりビンゴゲームをしたりと、とても賑やかです

皆さんの子どもの頃のどんどん焼きの思い出などお聞かせ下さい

みんなが、今年も仲良く元気に過ごせますようにと祈りつゝ・・・

 


暑中お見舞い

2010年07月19日 | 中村屋

暑中お見舞い申し上げます
そして大雨の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
夏はとても苦手でも、梅雨が明けてホッとしました
今年は近所でゴーヤを植えるのが流行り(我家が一番乗り)緑のカーテンに、少しだけ涼しさをもらっていますもう10本位収穫し、友達にもむりやり配っているのですが結構嫌いな人が多いんですねゴーヤチャンプルが一番ポピュラーで私は大好きです。

 


益田新年会

2010年01月11日 | 中村屋
昨夜地元にて、盛大な新年会が持たれました
簡単に報告させて頂きます。
東京の地より2名、その他Cブロックからも3名の参加、全部で27名の出席があり、Kちゃんの心のこもった料理が次々・・・あっそうだ!!「料理の写真を載せればよかったァ」と思っても後の祭り。
下関産のフグ刺しだの新年らしくお節だの、蕎麦もおいしかった二次会は20名近く参加Y崎のKちゃんはこのブログを見てるらしくすごく詳しいし私の素性もバレていました特に彼を話題にしては悪いのだけど、よく飲みよく喋り、まぁよく歌います。楽しくて場が盛り上がるのだけど、貴方の歌は古すぎません?青春時代の歌を歌って欲しいのに、何せ鶴田浩二(?)の
世界ですから・・・。側でピーチさんがつぶやいていました。
「これは小学生の頃の歌じゃない?」(でも楽しいからまっいいか)
後はよろしいようで・・・
管理人さん、後ほど交遊館の方へ写真を送ります東雲会の方も楽しんで下さい。


八朔祭

2009年09月02日 | 中村屋

9月1日は柿本神社の八朔祭でした
今年は天気にも恵まれ例年にない爽やかな風も吹いて、誰にとっても過ごしやすかったと思います
神社では一日中神楽が舞われ、観光の一環として神楽を習いに来た(?)という外人さんも数人、近くの福祉施設のこども達も、みんな目を輝かせて見入っていました
いつもなら露店も早くから軒を連ね、この日は休校となる高津小のこども達が朝早くから行ったり来たりするのですが今年は10時からと打ち合わせてあったのか、なかなか開店しませんでしたその代わり、夜10時まで賑やかに神楽の音も聞こえていました(6時からは今度は下の空き地に設えた場所に移る)
5時からの流鏑馬には行けなかったのですが、新聞では約800人の人が詰め掛けたとの事
夜は露店で買ってきた、お好み焼きやイカ焼き、ホットドッグや唐揚げ等々高カロリーのものを食べ、飲んで友と過ごしました

 


鮎食い同窓会

2009年08月02日 | 中村屋

この度の同窓会の企画、お世話をしてくださった皆さん、地元から、遠方から駆けつけてくださった友に先ず感謝します
参加出来なかったブログ仲間への報告は、やはり地元の者がすべきかなと思い口火を切らせて頂きました
リポさんと打ち合わせておけば良かったのですがお忙しいようでしたし、もしかぶったらごめんなさい
参加者は41名。Aブロックが29名、C5名、D2名、E5名の構成でしたI川君の名司会によって和気藹々のうちに会は進行。始めに、特に今年ご逝去された3名の友を偲んで黙祷しましたが、元気で、事情も許されてこの会に出席出来ることが、どんなに幸せな事かを噛み締めた私なのでした。
記念撮影、自己紹介、懐かしい友との語らい。そうそう、肝心の鮎は、天候のせいで収穫がすくなかったようで、(ごめんなさい。しっかり聞いていなかったので、情報が曖昧)フルコースというわけには行きませんでしたが、塩焼きは美味でした。(頭からしっぽまで、骨ごと食べました)
楽しい時間はあっという間。最期にみんなで手を繋ぎ、肩を組んで益高校歌を合唱して一次会は閉会となったのでした。
二次会へは三分の二が参加。続きはまた後日。
とりあえずの報告まで。

 


れんげ草

2009年04月09日 | 中村屋
今年初めて、田んぼにれんげ草を植えました
今満開の季節を迎えました
向こうに見えるのが益田道路  更に遠くの建物は翔陽高校です。 もと産高で、生徒数の減少のため県工と合併したのです。
私達の時代では予想もつかなかった現象ですよね。
今年の誕生日に私も娘からをプレゼントされたので、た日はあちこちの を写しまわっている所です

唐音水仙公園

2009年02月02日 | 中村屋
一年前にリポZさんが紹介された水仙の里に行ってみました。レチさん、島千鳥さんも行かれた所です。
思い起こせばあれが皆さんの写真投稿の始まりでしたね。
今日は春を思わせるような陽気。駐車するのも10分待ちで結構な人出でした。景色の素晴らしさはさることながら地元の人たちなのか、交通整理をしたり帰りには水仙のお土産も下さって感激しました。昨日は「水仙の里鎌手ウォーク」が開催され、500人も参加されたとかで、地元の人達の町おこし運動が盛んなようです。機会があれば皆さんもどうぞ足を運んでみてね。

同窓会

2008年10月14日 | 中村屋

12日にH中(今さら?)の同窓会が開かれました。
かむりさん、雉さん、雀さんお疲れ様でした。そして本当に楽しい交流の時を有難うございました。
益高出身の参加者は、AブロックからM.A、F.K、T.K、M.T君、S.K、C.K、I.Kさんとかむりさんと私。BはS.Y君、CのY.S君と元?CのY.K君(さんの新メル友)、Dの雀さんにS.Kさん、そしてEの雉さんとN,Fさん、O.Tさんの17名でした。
分かっているブログ仲間4人で記念撮影をしようとするのですが、デジカメに慣れていない友がモタモタしてるうちに、「私も入ーいろ!」という感じで次々に加わるものだから、場所を移動しては挑戦してやっと成功。期待通り、S.Y君は例の歌と踊りを
私のリクエストに応えて、2度もやってくれました。次はもっとバージョンアップしたものを見せてくれるそうですよ。
Y.K君はやたらジルバを踊りたがって私も強引に相手をさせられ、散々良いように(?)振り回され、ちょっと閉口。
他の報告はまた雀さんや雉さんにお任せします。

   P.Sなぜかコメントが送れず、こんな形で報告させて頂    
      きました。


「食」について

2008年09月18日 | 中村屋
盛り上がっているのに割り込んで申し訳ありません。
金のブタさんの、いつも前向きな生き方に触発されて、「食」について考える講演会に行ってみました。
汚染米をはじめ、今や「食」に対する不安材料には事欠かきません。「食」は「命」に通じるものです。
夫の実家は農家で、私達も自然な形でそれを継承してきました。(兼業ですが)同窓生の中にもいらっしゃるでしょうか?
先日とれたばかりの新米と、畑から取ってきたばかりのナスや胡瓜、カボチャなど頂きながら、安全かつ、自分達で作ったという何よりの喜びに満たされ、至福の時を味わっている今日この頃なのです。

1972(昭和47)年

2008年06月06日 | 中村屋
私にとって、昭和47年という年は忘れられない年です。
一番に思い出す出来事。それは、連合赤軍、浅間山荘事件。
一日中テレビで、突撃の様子を中継してましたね。
仕事も手につかず、誰もがテレビの前で固唾を飲んでいました。次にショックだった事件は、ミュンヘンオリンピック事件。
選手村で、イスラエルの選手がゲリラに殺害されたのです。
川端康成がガス自殺したのも、死者を100人以上も出した大阪千日デパートの火災もこの年。
グァム島で横井庄一さんが発見された時、「恥ずかしながら帰ってまいりました。」という言葉を真似する人がいましたが、生きて帰るのを恥と洗脳された彼の心情を思って、胸が震えるようでした。
嬉しいニュースももちろんありました。
沖縄が返還され沖縄県が発足しましたが、今も基地を抱える沖縄にとっては、あまりにも課題や苦しみは多く、他人事と片付けてはならないと思う私です。
パンダのランラン、カンカンが上野動物園に来たのもよく憶えています。すごい行列の見物人でしたね。
この年がこんなに印象深いのは、何せ結婚した年だからなんです。24歳の、一番私が輝いていた頃の出来事でした。
            



思い出

2008年04月21日 | 中村屋

子供の頃、益高の近所に住んでいた私たちにとっては、益高は恰好の遊び場でした。自転車に乗る練習をしたのも益高の校庭。  今のように、外部からの侵入者を拒否する雰囲気でもなかったし、 時には講堂に入ってボール投げをしたり、合唱部のお姉さん達とピアノを弾いたり。大きくなって判ったのは、彼らは5年先輩。可愛がってもらいました。 
その頃の文化祭は、誰でも見に行けて、しかも夜の部もあったと記憶してます。(演劇部の迫真の演技に衝撃を受けた)
中学生の時流感のため休校になり、元気な仲間と益高へ遊びに行ってしまった何と非常識だった私。誰もいない講堂で遊んでいたら、偶々通りかかった先生に「何やってんだー!」と大目玉を食う羽目に。名前を聞かれ、{中学校に連絡する。」と言われた時の怖かったこと。勇気を出して謝りに行こうと話しながら、次に出合った先生に事情を話すと、「脅かしただけだから大丈夫」と言われて帰ったのです。翌日学校でビクビクしていたけど結局何のお咎めもなし。
叱った先生が二瀬先生で、慰めてくれた先生は英語の福原先生でした。懐かしい昔々の益校の思い出。


益田地方方言

2008年03月26日 | 中村屋

面白い記事を見つけたので紹介しましょう。
中学の先生が調べられたようですが、益田の方言がいっぱい。
  しんちゃい(やりなさい)    けんごに(すっかり)
  じょうに(たくさん)         だいしょう(少しは)
  かー(思わず)           ひゃこる(大声で呼ぶ)
  てご(手伝い)           たいがたー(はずかしい)
  ちったあ(少しは)         どがあこがあ(どうにか)
  ちゅうにはー(なんといっても) しゃあなあか(大丈夫か)
  いなげな(おかしい)        みてる(なくなる)
  ねき(近く)             かたくわ(頑固)
  ぶくる(腹を立てる)        はがいい(くやしい)
  こびら(家の周り)         どっせえなあ(汚い)
  いかい(大きい)          おおくじょをくる(説教する)
 ほんの一部です。懐かしい言葉があったかな?


泣いた赤鬼

2008年02月27日 | 中村屋

子供の頃わが家には、なぜかいくつかの紙芝居があり、中でも私のお気に入りは「泣いた赤鬼」でした。粗筋はみなさんご存知だと思うので省略しますが、童話って大人になって読むと、受け止め方や感じ方がそれなりに変わって味わい深いものがあります。人間と友達になりたがった赤鬼のために、一芝居うって青鬼は山を去って行くのですが、誰かの幸せの陰には別の誰かの犠牲があるのだろうか。何かを得ようとした時、別な何かを失うのだろうか等々考えてしまいました。青鬼の別れの手紙の最後に「イツマデモ キミノ トモダチ」と書いてあって、何度も読んで赤鬼は泣き続けるのです。 
私達もいつまでも友達でいようね。

 


誕生日

2008年02月18日 | 中村屋

誕生日の話題から。

名簿をざっと見たところ、私と同じ誕生日の同窓生はおられないようですが(明記しておられる中では)、誕生日が同じというのは100人に一人の確率と聞いた事があります。

私には2人の子供がおりますが、これが正真正銘誕生日が一緒。息子の3才の誕生日の夜、(しかも予定日から10日も遅れて)娘が生まれたのです。これ、ささやかな私の自慢。(?)
って言えることかなァ。友達は珍しいって言うけど・・・。