投稿のやり方が分からなくなって無事に辿り着けるか心配です
何処でもあるのでしょうが私達の自治会でも毎年どんどん焼きが行われます。
自治会長さんが一年を通じて、いつも子ども達の喜びそうな企画を考えて下さりお餅の他自治会の有志で育てた芋を焼いたり、お菓子を頂いたりビンゴゲームをしたりと、とても賑やかです
皆さんの子どもの頃のどんどん焼きの思い出などお聞かせ下さい
みんなが、今年も仲良く元気に過ごせますようにと祈りつゝ・・・
投稿のやり方が分からなくなって無事に辿り着けるか心配です
何処でもあるのでしょうが私達の自治会でも毎年どんどん焼きが行われます。
自治会長さんが一年を通じて、いつも子ども達の喜びそうな企画を考えて下さりお餅の他自治会の有志で育てた芋を焼いたり、お菓子を頂いたりビンゴゲームをしたりと、とても賑やかです
皆さんの子どもの頃のどんどん焼きの思い出などお聞かせ下さい
みんなが、今年も仲良く元気に過ごせますようにと祈りつゝ・・・
暑中お見舞い申し上げます
そして大雨の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
夏はとても苦手でも、梅雨が明けてホッとしました
今年は近所でゴーヤを植えるのが流行り(我家が一番乗り)緑のカーテンに、少しだけ涼しさをもらっていますもう10本位収穫し、友達にもむりやり配っているのですが結構嫌いな人が多いんですねゴーヤチャンプルが一番ポピュラーで私は大好きです。
9月1日は柿本神社の八朔祭でした
今年は天気にも恵まれ例年にない爽やかな風も吹いて、誰にとっても過ごしやすかったと思います
神社では一日中神楽が舞われ、観光の一環として神楽を習いに来た(?)という外人さんも数人、近くの福祉施設のこども達も、みんな目を輝かせて見入っていました
いつもなら露店も早くから軒を連ね、この日は休校となる高津小のこども達が朝早くから行ったり来たりするのですが今年は10時からと打ち合わせてあったのか、なかなか開店しませんでしたその代わり、夜10時まで賑やかに神楽の音も聞こえていました(6時からは今度は下の空き地に設えた場所に移る)
5時からの流鏑馬には行けなかったのですが、新聞では約800人の人が詰め掛けたとの事
夜は露店で買ってきた、お好み焼きやイカ焼き、ホットドッグや唐揚げ等々高カロリーのものを食べ、飲んで友と過ごしました
この度の同窓会の企画、お世話をしてくださった皆さん、地元から、遠方から駆けつけてくださった友に先ず感謝します
参加出来なかったブログ仲間への報告は、やはり地元の者がすべきかなと思い口火を切らせて頂きました
リポさんと打ち合わせておけば良かったのですがお忙しいようでしたし、もしかぶったらごめんなさい
参加者は41名。Aブロックが29名、C5名、D2名、E5名の構成でしたI川君の名司会によって和気藹々のうちに会は進行。始めに、特に今年ご逝去された3名の友を偲んで黙祷しましたが、元気で、事情も許されてこの会に出席出来ることが、どんなに幸せな事かを噛み締めた私なのでした。
記念撮影、自己紹介、懐かしい友との語らい。そうそう、肝心の鮎は、天候のせいで収穫がすくなかったようで、(ごめんなさい。しっかり聞いていなかったので、情報が曖昧)フルコースというわけには行きませんでしたが、塩焼きは美味でした。(頭からしっぽまで、骨ごと食べました)
楽しい時間はあっという間。最期にみんなで手を繋ぎ、肩を組んで益高校歌を合唱して一次会は閉会となったのでした。
二次会へは三分の二が参加。続きはまた後日。
とりあえずの報告まで。
12日にH中(今さら?)の同窓会が開かれました。
かむりさん、雉さん、雀さんお疲れ様でした。そして本当に楽しい交流の時を有難うございました。
益高出身の参加者は、AブロックからM.A、F.K、T.K、M.T君、S.K、C.K、I.Kさんとかむりさんと私。BはS.Y君、CのY.S君と元?CのY.K君(さんの新メル友)、Dの雀さんにS.Kさん、そしてEの雉さんとN,Fさん、O.Tさんの17名でした。
分かっているブログ仲間4人で記念撮影をしようとするのですが、デジカメに慣れていない友がモタモタしてるうちに、「私も入ーいろ!」という感じで次々に加わるものだから、場所を移動しては挑戦してやっと成功。期待通り、S.Y君は例の歌と踊りを
私のリクエストに応えて、2度もやってくれました。次はもっとバージョンアップしたものを見せてくれるそうですよ。
Y.K君はやたらジルバを踊りたがって私も強引に相手をさせられ、散々良いように(?)振り回され、ちょっと閉口。
他の報告はまた雀さんや雉さんにお任せします。
P.Sなぜかコメントが送れず、こんな形で報告させて頂
きました。
子供の頃、益高の近所に住んでいた私たちにとっては、益高は恰好の遊び場でした。自転車に乗る練習をしたのも益高の校庭。 今のように、外部からの侵入者を拒否する雰囲気でもなかったし、 時には講堂に入ってボール投げをしたり、合唱部のお姉さん達とピアノを弾いたり。大きくなって判ったのは、彼らは5年先輩。可愛がってもらいました。
その頃の文化祭は、誰でも見に行けて、しかも夜の部もあったと記憶してます。(演劇部の迫真の演技に衝撃を受けた)
中学生の時流感のため休校になり、元気な仲間と益高へ遊びに行ってしまった何と非常識だった私。誰もいない講堂で遊んでいたら、偶々通りかかった先生に「何やってんだー!」と大目玉を食う羽目に。名前を聞かれ、{中学校に連絡する。」と言われた時の怖かったこと。勇気を出して謝りに行こうと話しながら、次に出合った先生に事情を話すと、「脅かしただけだから大丈夫」と言われて帰ったのです。翌日学校でビクビクしていたけど結局何のお咎めもなし。
叱った先生が二瀬先生で、慰めてくれた先生は英語の福原先生でした。懐かしい昔々の益校の思い出。
面白い記事を見つけたので紹介しましょう。
中学の先生が調べられたようですが、益田の方言がいっぱい。
しんちゃい(やりなさい) けんごに(すっかり)
じょうに(たくさん) だいしょう(少しは)
かー(思わず) ひゃこる(大声で呼ぶ)
てご(手伝い) たいがたー(はずかしい)
ちったあ(少しは) どがあこがあ(どうにか)
ちゅうにはー(なんといっても) しゃあなあか(大丈夫か)
いなげな(おかしい) みてる(なくなる)
ねき(近く) かたくわ(頑固)
ぶくる(腹を立てる) はがいい(くやしい)
こびら(家の周り) どっせえなあ(汚い)
いかい(大きい) おおくじょをくる(説教する)
ほんの一部です。懐かしい言葉があったかな?
子供の頃わが家には、なぜかいくつかの紙芝居があり、中でも私のお気に入りは「泣いた赤鬼」でした。粗筋はみなさんご存知だと思うので省略しますが、童話って大人になって読むと、受け止め方や感じ方がそれなりに変わって味わい深いものがあります。人間と友達になりたがった赤鬼のために、一芝居うって青鬼は山を去って行くのですが、誰かの幸せの陰には別の誰かの犠牲があるのだろうか。何かを得ようとした時、別な何かを失うのだろうか等々考えてしまいました。青鬼の別れの手紙の最後に「イツマデモ キミノ トモダチ」と書いてあって、何度も読んで赤鬼は泣き続けるのです。
私達もいつまでも友達でいようね。
誕生日の話題から。
名簿をざっと見たところ、私と同じ誕生日の同窓生はおられないようですが(明記しておられる中では)、誕生日が同じというのは100人に一人の確率と聞いた事があります。
私には2人の子供がおりますが、これが正真正銘誕生日が一緒。息子の3才の誕生日の夜、(しかも予定日から10日も遅れて)娘が生まれたのです。これ、ささやかな私の自慢。(?)
って言えることかなァ。友達は珍しいって言うけど・・・。