益高13交遊ノート

~団塊世代の高校同窓仲間が綴る、近況報告・悩み相談・独り言・何でも"OK"の落書き帳です。~

姫路城と書写山観光

2019年06月16日 | 大阪七尾会

 晴男・晴女の集団 大阪七尾会の今年2回目の会合はカラッとした晴天の中、姫路にて男子7名、女子7名の集団見合でスタート致しました。

 姫路城では国宝の美しさに心と体を奪われ、元気なジジババは天守閣頂上まで、少し油の切れているジジババはそれなりに楽しんで、一気に書写山圓教寺へラストサムライのトムクルーズか渡辺謙の足跡を求めて天にも昇る気持ちで(ロープウェイに乗って)行って参りました。

 若い住職に私も後ろ姿しか写っていませんという話を聞かされ我に帰った時にはもう1人平均16000歩以上を歩いており、夕食で焼肉を食べエネルギーを補充しても家に帰るのがやっとの1日でした。

 皆様には元気な写真を見て頂き、バテバテの後半は長居公園のバラ園の美しいバラを見て午前中の天国気分を味わってください。

 次回の七尾会はコテコテの大阪を楽しむ会で8月1日に吉本新喜劇を鑑賞する予定です。

(追記:管理人)

上記は七尾会の幹事さんの投稿を管理人が一部編集して転載しました。原文と投稿写真24枚はスライドにして交遊館「大阪七尾会の部屋(6)」に掲示しました。みなさんも一緒に観光気分を味わって下さい。大阪七尾会の幹事さん、投稿有難うございました。

 


ミニミニ同窓会in長崎

2019年06月01日 | 天邪鬼K

1.投稿の動機

 筋書きがわかっているドラマ『白い巨塔』、主演岡田准一の熱演に引きずられ見てしまいながら、東京のわれら同級生Pさんの尽力で5月21日に開催された『ミニミニ同窓会in長崎』であった同級生Sのことを考えていました。

 権謀渦巻くドラマと真逆の、彼の傑出した能力と自然体が作り上げたキャリアであり、ポストであると確信する私(天邪鬼K)は益高13期同級生の皆様と情報を共有したく、投稿させていただきます。

 本ブログの存在は還暦同窓会で知りましたが、故郷益田の臭いを嗅ぎたく、時々覗き見をしておりました。

 ただ、私には投稿者、管理人とも全く誰なのか解りません。ID、パスワードも知らず、ある人に聞いての投稿です。

 このブログの規則・マナー違反があるかも知れません。管理人さんには削除してもらって構いません。

 

2.開催経緯

 平成31年4月20日頃、珍しく東京にいる弟から電話が入りました。

 東京の益高同級生のPさんが私に相談があるみたいだから、「電話して見て」とPさんの携帯番号を知らせてきました。

 Pさんは還暦同窓会や東京益田会等での活躍は良く承知しておりますが、二人で話し込んだ経験はありませんでした。

 翌日、私はPさんに電話しました。

 Pさんいわく、①外資系医療機器会社に勤める、10年くらい益高の後輩が我々益高同級生のS氏に会いたがっていること

 ②S氏は国立大学の名誉教授であり、学会では学会長を長年務め、日本のみならず世界に知られた学者であること、さらに現在約600床の大病院の理事長兼院長であること

 ③益高の後輩は、高名なS氏にアポとることなど恐れ多く不可能とのことで、PさんにS氏に会わしてくれるよう懇願していること

 ④益高同級生の何人かにあたって見たが、S氏と親しいのは私ではないかと私の弟に聞いたとのことであった。

 私自身、益高時代S氏とは2年3年と同じ組であり、運動部も同じでしたことから、最も親しかった一人であったことは間違いなく、ただ益高卒業以来一度の連絡もとったこともなく、還暦同窓会でも会うことが出来ませんでした。

 私は、Pさんの要請がうれしくなり、Sと連絡を取ることを快諾しました。その日はインターネットでS氏の名前をフルネームで検索しました。

 S氏のキャリアに私は驚きません。彼は、猛烈に努力をして獲得したキャリアでもなければ、幸運に恵まれてのキャリアではないと思います。

 正に自然体で、遊び・趣味を満喫し、勉強・研究・仕事等を普通にこなしての結果がこのキャリアだと思いました。

 このことは、後述します。

  翌日、病院に電話しましたところ、交換が院長にどのような用件でしょうかと聞かれ、

 「私は高校時代の同級生の〇〇です」

 『解りました、いったん秘書に繋ぎますので話してみてください』

 『院長秘書の△△と申しますが、院長とどのような御関係でしょうか』

 『島根県益田高校の同級生の〇〇と申します、〇〇と言えば院長はわかると思いますが』

 『解りました。申し訳ありませんが、ただいま会議中でございまして』

 「何時頃、電話すればよろしいでしょうか」

 『明日10時に電話していただけないでしょうか』

 翌日10時電話すると秘書が『申し訳ありません、ただいま院長、打合せ中で後ほど電話させますので電話番号を教えてください』

 それから午前中自宅で待機するも、連絡がなく仕方なく街に出かけました。

 私もPさんが言うように、「Sは偉くなりすぎたのかな」一瞬考えてしまいました。

 13時過ぎ、私の携帯が鳴り、『院長の同級生の〇〇様でしょうか』「そうです」と応えると『本人と変わります』

 『△△(大字)の〇〇か』「そうたい!」一瞬にして益高時代の口調となり、五十数年間の時間がすっ飛んでいました。

 東京のPが君に会いたいと言ってること、さらに私自身が会いたい旨を伝えると、Pのことは良く覚えてるとのことで秘書に話しておくから電話してくれとのことであった。

 その日のうちのPさんは電話して会合の主旨を説明して、Sから快諾を得たとのことであった。

 日程的に、連休明けにと考えていたPさんですが、秘書が21日長崎でと指定してきたとのことで、「Sはやはり簡単には会えない存在だよ」Pさんが私に電話してきました。

 このような経過の末、長崎でPさん、後輩、私、Sの4人でミニミニ同窓会開催が決定しました。

 

3.ミニミニ同窓会当日

 私は、車でフェリーを乗り継いで4時間かけて、PさんはANA便で現地長崎に先着、事前調整ということで、午後4時頃会場近辺で落ち合いました。

 懐かしさとPさん持ち前のバイタリティからマシンガントークを一時間半、いったんホテルに帰り、再度会場に10分前に行くとS、P、後輩Tはすでに名刺交換を終えてる状況でした。

 Pさん準備してくれた会場は、長崎指折りの高級ステーキハウス、定員4名で目の前の鉄板であわび・長崎牛他の高級食材を焼く、まさにVIPルームであった。

 遅れて入室した私に、若干薄くなった頭髪のSは振り向きざま『おう!』、これで、すべてが50数年前の益高時代にタイムスリップ。

 Pさんはわれら同窓会の様子をアルバムで熱弁、私は益高卒業後を早口でしゃべりまくりさらに後輩Tは医療機器のパンフレットでもってPRと、瞬く間に3時間が過ぎ去り、Sが勤務地(単身赴任中)にバスで向かうとのことでバス停まで同行、一時も話が途切れることなく話しっぱなしでした。

 本ブログへの投稿は、4時間に及ぶミニミニ同窓会の様子知らせようと書き始めましたが、今その中身がなんであったか忘れてしまっている自分に気づきました。

 (申し訳ありません)

 

4.同窓の私が見たSについて

 Sの業績で特筆すべきは、史上最悪の藤井善隆論文捏造事件で「調査特別委員会」の委員長を務め、その調査結果を毅然と記者会見で公表していることではないかと私は思います。

 小保方晴子さんのSTAP細胞事件で見られるように、各種捏造事件では、調査は学会最高権威が調査しても曖昧模糊とした調査結果が公表される例がある中、Sは「想像を絶する悪質さ」と記者会見で語って、捏造論文を明確にしています。

 これらの業績、キャリア、地位は前にも書きましたが、益高時代を知る私には、全く驚きはなく当然、いや必然と言っても良いのではないかと思っています。

 その根拠は、次の点をSに断りなく公開します。

(1)勉強について

 彼は毎日2時間近くかけてバス通学、しかも運動部の主将を務めていました。

 (得意技も彼の能力を物語りますがここでは省略)

 いつどこで勉強してるのか、また教室では教科書のみを見てるだけでした。

 私のように教科書を学校に置いて、試験前に、「直前対策」だの「総まとめ要点集」等を買いあさっているのとは真逆でした。

 これで学業成績はトップです。

(2)Sの知能指数(IQ)

 ある時、クラスでIQが個人に通知されました。私を含め100~110位なのにSは140を軽く超えていました。東大生の平均が120とか聞きますが、彼ははるかに超えているのです。

 彼の落着き、泰然とした言動と教科書のみの勉強はこのIQが成せるのかと当時、別の旧友と話したことを今も鮮明に覚えています。

(3)自薦、他薦等に全く関係なく、運動部の主将になってました。主将になった経緯が私の記憶にありません。

 それほど自然体でなった主将であり、統率力を持った人格者であったことを知ってほしいと思います。

 これらのことは、東大に入学してもトップクラスであったことは、容易に想像でき、学会や大学でも、ドラマ『白い巨塔』の財前教授ように権謀術数を駆使することなく評価される能力をSは高校時代から持っていたと思うからです。

 スポーツ選手に身体能力が高いとか体幹が強いとかいうがごとく、Sの場合、学習能力の前提であるIQや集中力が別格であったと思います。

 

 ミニ同窓会や高校時代を思い出すと際限がなくなりそうですから、ここらでまとめに入ります。

 

5.最後に

 来年は東京オリンピックです。

 私たちが17歳、益高2年2学期の中間試験真っ最中に、私は東京オリンピックのテレビ中継に夢中になり、中間試験をほとんど白紙で提出し、佐賀の仏教系高校へ転

 向させられそうになったことを思い出しています。

 その際、国内オリンピックは一生に一度、経験できるかどうかの一大イベントであり、中間試験など中止すべきなどと担任を困らせた経験がありますが、またオリンピ

 ックが開催されるとは当時想像できませんでした。

 人生永くなって、90歳まで生きられるとしてあと、18年ぐらいですか。

 人生失敗続きで、場末のスナックで「人生は成功する必要はなく、やりたいことやったかどうかだよ」とわけのわからない負け惜しみを、女の子に愚痴っている私です。

 Sの活躍はネット上で見れますが、級友として益高時代の潜在能力の一端を共有したく、投稿します。(奥さんもわれらの同級生です)

 この投稿を事前にSに許可を得ようとすれば、×でしょうが、投稿後なら『お前が投稿するのなら』と言ってくれそうに思っています。

 最後に、『ミニミニ同窓会in長崎』企画してくれ、経済的にも負担をかけた東京のPさん、50数年前と変わらぬ対応してくれたS、さらに最後まで読んでくれた同級生に感謝です。