益高13交遊ノート

~団塊世代の高校同窓仲間が綴る、近況報告・悩み相談・独り言・何でも"OK"の落書き帳です。~

想い出

2025年03月04日 | かむり

O・Sくんが貸してくれた本「益田川の夢」

作者は中村文子(1928年生まれ)で2男8女の長女として、泉光寺近隣で育つ。

父親は右田酒造の杜氏として勤めていたこともあり、母親は高津地方出身(旧姓城市)とある。

石見弁の会話はもちろんですが、祭り料理で、角寿司(押し寿司)・お万(鰯の中におからを詰めたもの)・口取り・すぼ豆腐などが書かれていた。

すぼ豆腐は知らなかったけど、各地のお祭りには親戚でお呼ばれして行ったり来たりして賑やかだったことを思い出しました。

4月の節句には、重箱に巻き寿司や簡単なおかずを詰め合わせて外で食べたとある。

(私も近所の机崎神社や観音堂に行って友達と食べていた)

益田小学校入学が昭和10年だったとか、当時から二宮金次郎があって、講堂に行く太鼓橋を渡り、校歌も同じのがあったみたいです。

その他、あさっぺ、ツバ、スイバなどが出てきて、あったあった!と興奮しました。

都館という映画館があったらしいけど、どこら辺にあったのでしょうね?

そしてお正月3が日の雑煮は父親が作る習わしがあったと書かれていて、今まで我が家だけの習慣だと思っていたけど、皆さんのお家ではどうですか?あまりにも懐かしくて投稿してみました。


7 コメント

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思い出2 (レチ)
2025-03-05 16:21:18
雑煮については父親云々はなかった、それは我が家だけでなく近所の他の家でもないと思います。
祭りは同じように親戚の家を行き来しました。節句はご近所のみんなと高津の浜に重箱持って行きました。どちらもけっこうモノクロ写真が残っています。
懐かしいですね
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思い出ポロポロ (団塊)
2025-03-05 22:09:23
かむりさん、幼いころや故郷を想い出す投稿ありがとうございます。私の育った村は益田の郊外で皆さんとは少しは違っていたかも。正月三が日は、女性陣は朝寝をして、男性陣が朝の支度をするものだと父親から早く起こされて手伝いした記憶があります。4月の節句は母親に花見弁当を準備してもらい、村の子供達で桜の下に集まって弁当の自慢をしたり、食べ物を交換したりして楽しんでいました。弁当の中に鯖の角寿司、鰯とオカラのお万、蕗や蕨、筍など思い出します。あさっぺ、ツバは思い出しませんがスイバは懐かしいです。子供が道端で摘んできたスイバと、鰯の捏ねを入れた味噌汁は寒い時の最高の料理でした。中村文子さんは初めて知りました。ネットで調べるといろいろと本を書いておられるようで、今度図書館に行ったら探して読んでみようと思います。先日図書館に行った時、以前に世話子さんが紹介されていた高橋一清さんの「近影遠影、あの日あの人」を見つけ借りて読みました。一清さんは我々と同期のM子さんのお兄さんで、文芸春秋の元編集長で、退職後は松江の観光文化プロデューサーで活躍されたようです。同期生のM子さんは24歳の若さで他界されましたが、この本の中に妹さんのことも書かれていました。彼女は大阪でフラワーデザイナーを目指して修行していて、2月の寒い夜に高校時代の同級生の結婚式用のお祝いの花を制作中に仕事場で眠ってしまい、乾燥兼暖房のガスストーブの故障で亡くなられた記述されていました。彼女とは1年2組で同じクラスでした。1年2組は離れ小島の2階の教室で1階が音楽室でその隣が料理室、その上が2組の隣で裁縫室だったと思います。担任は教師1年目のH間先生、先生と一緒に裁縫室を借用してのフォークダンスの練習が懐かしい!
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懐かしい! (中村屋)
2025-03-06 14:27:12
かむりさん、いつも興味深い投稿を有難うございます。
中村文子さんと、団塊さんのおっしゃてた高橋一清さんの本、私も図書館で探してみます

角寿司、おまん、口取りなど懐かしい我が家は11月3日のお祭りの日の定番でした。子どもの頃、青原からおばあちゃん(どういう親戚なのかよく知らなかった)が毎年来て、親より多めの小遣いをくれました口取りの甘過ぎない、母の手作り羊羹が大好きでした。

「都館」は古川町にあった「益田館」のことではないかと思います(NKさんの割烹店の少し奥の方にあった)

団塊さんのコメントにあったM子さんのお通夜には数人の同級生と参加しましたが、彼女は末っ子でしたから、お姉さんたちやお兄さんにとっては可愛くてたまらない存在だったと思います。不幸な事故の原因となった、ヒビの入ったガスストーブのホースをみんなに見せながら泣いておられたお兄さんの姿が、今でもありありと浮かびます。
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思い出おぼろ (レチ)
2025-03-06 16:05:33
それにしても、みなさん凄い記憶力ですね僕の頭は霞がかかっていて影だけが揺れている状態です。
団塊さん、H間先生ってふっくらした丸顔のメガネかけたあの人ですよね。だとすると、
貴方とは一年の時、同じクラスだったんだ。いや、以前にそんな話したことあるかもしれない、あるに違いない。M子さんのことだって、東京の同窓会では度々話題に出たけど、同じクラスという認識はなく、みんなの会話をボーっと聞いていた。
遠い昔も今も霞の世界。コラ大丈夫か、レチ
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そうじゃったねぇー (かむり)
2025-03-06 16:17:06
ツバは茅みたいな雑草の先に白い綿のような穂がついていて、遠足帰りなどに採ってそれをガムのように噛んで吐き出して遊んでいたよ。
あさっぺは、海藻です。わかめと昆布の間くらいのもので、風船のように膨らませて歯でしごきながら磯の香りを楽しんだ記憶があります。

高橋一清さんとは、ずいぶん昔に会食の席でご一緒する機会があって、その時にM子さんの話をしながら涙が止まらなくて困ったことがありました。
「編集者魂」という本は買いましたが、団塊さんが紹介されている本を、私も探してみることにします。
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「高津川」もあるよ! (団塊)
2025-03-09 21:46:43
小説「益田川」が紹介されていますが、ネットでこの本を調べていて「高津川」もあることを知りました。若倉雅登の小説「高津川、日本初の女性眼科医;右田アサ」です。明治初期に中吉田の寺井家に生まれ、益田の右田家の養女となり経済的支援を受け上京して医学の勉強をして日本初の女性眼科医となり、ドイツへ留学目前に結核で26歳の若さで亡くなった実在の話のようです。こんな偉人が郷里におられたとは、初めて知りました。七尾町の暁音寺に墓碑があるようです。このお寺の名前も初めてです。故郷益田についてまだまだ知りたいことが沢山ありそうです。
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なんでかね? (かむり)
2025-03-12 18:56:15
右田アサさんの本「高津川」はずいぶん前に読んだと思いますが、その時には不自然に感じなかったんだけどなんで高津川という題名にしたのでしょう?
寺井家は、おそらく乙吉町(現在の日赤辺り)だと思われるのですが、それなら高津川というよりむしろ益田川に近いのではないか???と思い、モヤモヤしています。
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