O・Sくんが貸してくれた本「益田川の夢」
作者は中村文子(1928年生まれ)で2男8女の長女として、泉光寺近隣で育つ。
父親は右田酒造の杜氏として勤めていたこともあり、母親は高津地方出身(旧姓城市)とある。
石見弁の会話はもちろんですが、祭り料理で、角寿司(押し寿司)・お万(鰯の中におからを詰めたもの)・口取り・すぼ豆腐などが書かれていた。
すぼ豆腐は知らなかったけど、各地のお祭りには親戚でお呼ばれして行ったり来たりして賑やかだったことを思い出しました。
4月の節句には、重箱に巻き寿司や簡単なおかずを詰め合わせて外で食べたとある。
(私も近所の机崎神社や観音堂に行って友達と食べていた)
益田小学校入学が昭和10年だったとか、当時から二宮金次郎があって、講堂に行く太鼓橋を渡り、校歌も同じのがあったみたいです。
その他、あさっぺ、ツバ、スイバなどが出てきて、あったあった!と興奮しました。
都館という映画館があったらしいけど、どこら辺にあったのでしょうね?
そしてお正月3が日の雑煮は父親が作る習わしがあったと書かれていて、今まで我が家だけの習慣だと思っていたけど、皆さんのお家ではどうですか?あまりにも懐かしくて投稿してみました。
祭りは同じように親戚の家を行き来しました。節句はご近所のみんなと高津の浜に重箱持って行きました。どちらもけっこうモノクロ写真が残っています。
懐かしいですね
中村文子さんと、団塊さんのおっしゃてた高橋一清さんの本、私も図書館で探してみます
角寿司、おまん、口取りなど懐かしい
「都館」は古川町にあった「益田館」のことではないかと思います(NKさんの割烹店の少し奥の方にあった)
団塊さんのコメントにあったM子さんのお通夜には数人の同級生と参加しましたが、彼女は末っ子でしたから、お姉さんたちやお兄さんにとっては可愛くてたまらない存在だったと思います。不幸な事故の原因となった、ヒビの入ったガスストーブのホースをみんなに見せながら泣いておられたお兄さんの姿が、今でもありありと浮かびます。
団塊さん、H間先生ってふっくらした丸顔のメガネかけたあの人ですよね。だとすると、
貴方とは一年の時、同じクラスだったんだ。いや、以前にそんな話したことあるかもしれない、あるに違いない。M子さんのことだって、東京の同窓会では度々話題に出たけど、同じクラスという認識はなく、みんなの会話をボーっと聞いていた。
遠い昔も今も霞の世界。コラ大丈夫か、レチ
あさっぺは、海藻です。わかめと昆布の間くらいのもので、風船のように膨らませて歯でしごきながら磯の香りを楽しんだ記憶があります。
高橋一清さんとは、ずいぶん昔に会食の席でご一緒する機会があって、その時にM子さんの話をしながら涙が止まらなくて困ったことがありました。
「編集者魂」という本は買いましたが、団塊さんが紹介されている本を、私も探してみることにします。
寺井家は、おそらく乙吉町(現在の日赤辺り)だと思われるのですが、それなら高津川というよりむしろ益田川に近いのではないか???と思い、モヤモヤしています。