先日、益田の小児科医N・T君より写メールが届いた。
中村貴美嬢の娘のスナップで、彼女に似て美人。
貴美嬢は高津小から益中と共に過ごした同窓生で、その美貌はクレオパトラか楊貴妃か、と言われるほど伝説化している。そのような高貴な雰囲気を漂わせていたお方ゆえ、我々下々は当時言葉を交わすことはおろか、眩しくてまともにご尊顔を拝することさえままならなかった。そうまで彼女を特別視させたのは、彼女が、親がダイワボウ勤務のお嬢さんということと無縁ではなかろう。ああ、羨望すなわちダイワボウ
この前M・A嬢が溜息まじりに言っていた、「あの人達、素敵な靴を履いて高角橋を渡り小学校に来ていた、私らはというと小汚い草履だったんよ
」
貴美嬢のことだが、1人例外がいて、それが前述のN・T君。彼女の近所で親が病院を開業していた。彼にはそういう、いわゆる名家というバックボーンがあって、臆することがなかったかも知れぬ、いや、もともとませてはいた。時が流れ何十年か経ってから、異国に住んでいる彼女にわざわざ会いに行ったそうだ。
現在彼女と最も親しいのは、松江のI・S君というウワサだ。
さて、本題。
「高津から観た劣等感の構図」
僕達町筋に対して、さっきのM・Aさんやテレーザさん、或いはフィフティベルさん等の地域は劣等感を持ち、僕達を含めた高津川より海側の高津は、ダイワボウという目玉商品を持つ須子地区に劣等感を抱き、須子を含めた高津は吉田のいわば都会人に怯えながら益中に進んだ。その益中出身者は、古くから栄えた旧益田に居を構え、東中の連中が陣取る益高におどおどしながら通った。
昔の人が言った。
「旧益田の人らあは、ざあますと言うらしいよ」
我々高津は下町、吉田は新興勢力、旧益田はいわゆる、お嬢様やお坊ちゃんが住む山の手なのだ
その意識を引き摺っている僕は、今でも東中出身者とは対等に話せないし、目も節目がちになる。
雀さんにどんなにボロクソに言われようと全く反論出来ない。ただひたすら黙って耐えているだけだ。
横田や他の地域もそうだったんだろうな・・・・