今朝1時過ぎに帰阪した
。益田を出たのが昨夕5時頃
。8時間の長距離ドライブとなった。俄に思い立って帰省したのだが、3日の朝5時に大阪を出立、途中事故
渋滞等あちこちで発生
しており、大島に着いたのは午後3時過ぎ
。確かに大きな島
である。海が見えない所を走っていると、これが本当に島
とは思えなかったくらい。
髭の山羊
さんもいたって元気にしていた。作務衣
が完全に身についている。大きな旧家を買い取って居住している。時には庭の通りを雉が徘徊するそうな。海とはやや離れているが、多少小高いところに建っているので、日のいい時は四国もかすかに見えるそうな
。毎日何をしているのか尋ねると、村童
らと遊び回っているそうな。さしずめ、平成の良寛気取り。但し、漢詩や和歌に優れているかは不明だが。
やはり、あの家も奥さんあってのもの。帰り時は、奥さん手作りの蜜柑缶詰を十数個頂く
。島を約半周して益田へ向かったが、風情を言葉で表すには、蕪村の「春の海
ひねもすのたり のたり哉」であろう。いつまでも元気で長生きしてもらいたいもの。六日市~日原経由で益田へ帰った。前のブログに記述されていた洞門の名前をメモ
してきた。国道187号で日原から青原方へ、「池村第一、第二、第三」洞門、「富田洞門」「小瀬洞門」そして「木原トンネル」とあった。
4日は、益高
を見に行った。校門前で写真を撮ったり
したが、想い出に残るのは、体育館と図書館の建物ぐらい。校庭の山裾は
、運動会でクラス別応援合戦をした時
の風情と変わっていなかった。
その夜は、ミニ
同窓会
となった。研、建(無事退職、今は地元の世話役)、明(投薬でひと安心状態)、鶴、良、政(円満退職、暫く何もしたくないとの談)と「亀治」にて、二次会には嘉、賢も駆けつけてきた
。何を話したやら記憶には残らないが、昨年秋の大同窓会よりはもっともっと楽しく談笑できた。やはり「持つべきものは友」である。
島男の奥さんからもらった土産も皆にお裾分けしあった。その缶詰は今朝食べたのだが実に美味しかった
。町でうっているような甘さとは違う味付けで、身も太くて食べ代がたっぷり。友と分けたことは連絡済。
5日の夕方には三隅の良がまた土産を持たしてくれ、感激
。
長々と記述したが、この3日間はあちこちと忙しく動き回った。
又の再会と、大阪での交友には必ず呼ぶからと約して帰阪。