益高13交遊ノート

~団塊世代の高校同窓仲間が綴る、近況報告・悩み相談・独り言・何でも"OK"の落書き帳です。~

如月になり

2016年02月01日 | 野良雀

1月が行き、2月になった。如月・着更着とも気更来とも生更木とも言われるらしい。

その内 あっという間に逃げて行く月であろう。

駄句「如月で 中山間地 水通う」  1月末は九州や県下あちこちで断水被害が出た。幸い当地では大きな被害はなかったように聴くが。厳寒のせいではあるが、人口流失による無人廃屋での水道管破裂が多発していたとは、起こって始めて気付くことだったかも。

山陰特有の、あいも変わらずパットしない天気が続く。畑のたまねぎ追肥もしなければならない時期ではあるが、今にも雨が降りそうで、行くべきか止めておこうか悩ましい。


益田時代祭

2011年11月03日 | 野良雀
11月 霜月に入るも昨日今日は小春日和の好天気。
今日は旧益田の時代祭、大名行列等の催し物があり、10時過ぎから約3時間見物や買い物で楽しんできた。
大阪へ出る前の頃から数えてみれば約45~50年ぶりに見物したことになる。
思いのほか人出もそこそこあり、小・中・高の同窓とも何人かと再会できた。
ブログ投稿も久しぶりで、金のブタさんの東奔西走に感嘆してはいたのだが。
10月中旬に稲刈り・稲こぎを終え、目下大忙しからは一息つけている。
初体験の農作業ながら米も豊作で、銀シャリ・新米の美味しさに堪能している。
次なる課題は畑作物で、大阪の吾亦紅さんほどとはいわないが、スイカやトマトにも挑戦してみたいと思っている。
11下旬には神戸での同窓会に参加予定。引っ越してから半年もたたないが益田から出かけていくのは楽しみである。日に焼けて力こぶも多少つき、2か月前に断髪した頭もやや照れくさいが披露しよう。幹事さん宜しく。

一作業を終えて

2011年07月22日 | 野良雀

皆さんお久しぶりです。帰郷して約1カ月、それなりに落ち着いた状況です。

約35年間放置していた旧家屋の補修、狭いながらも田畑の草取り・草刈りと、しばらくの間

「月月火水木金金」で、一体いつ休めるのだろうが続きました。

一昨日の台風6号の加減で益田は少雨でしたが、お蔭でやっと日長寝そべり、居眠り磐音江戸双紙37巻を読了できました。

今朝は、午前中田畑傍の小川の草刈りを3人で終了し、昼一散髪に行って、今こうしてPC前に座っているところ。

卒寿の母も、私共が帰ってからというもの夕食時は必ずチョコ2杯の晩酌をするようになり、なでしこジャパンの快挙には揃って祝杯を挙げました。

明日から4日間家内は神戸での同窓会出席ということで上阪し、留守は母と2人だけとなり食の確保が難儀です。母も、家内と同じようには作れんよと先制パンチを出しています。

こちらでは未だ大半の同窓とは会っていません。とはいえ、複数名の友人が奥さん連れで引越しソバを持って来てくれたり、わざわざ大阪からの帰省途中で立ち寄ってくれたりと旧交を暖めました。全体的には来月中旬を計画しているとのことで、楽しみにしています。

カナカナの鳴き声が心地よく聞こえ心休まります。

ところで、25年前の今日、昭和58年の7月22日~23日は山陰大水害で益田、三隅は大被害を受けた日です。友の中には被害を受けた者もあったのでは。先ほど散髪帰りに益田小学校付近を散策したが、今では強靭な土手となっており、上流には益田ダムも出来ているから一安心です。

大阪雀名もこれを最後とし、今後は新ネームで益田近況を投稿します。管理人さん宜しく。


大阪の灯よいつまでも

2011年06月16日 | 野良雀

雨の外周(万博) 夜霧の新地 今日もこの目に やさしく浮かぶ

18歳で上阪し、爾来45年間京都、大阪の幾つかの地を転々とし、雀の学校(国鉄・JR貨物)を卒業するにあたり、故郷の益田へ帰省し、卒寿の母を農作業の師として家内との3人で新たな人生のスタートをきることとしました。 6月26日大阪を出立します。

5月末には、この齢になって始めて田植えをした、しかも手植えで。母方の伯父、叔母と私達3人の計5人で、朝の6時から夕方の6時まで好天気の下延々と。翌日から約10日間は足腰が完全にダウンしてしまった。しかし、あの細い4~5本の苗が秋にはたわわに稲穂をつけることの凄さを思い知ったのは収穫である。

大阪から発信するのもこれが最後になるが、益田でも投稿できるよう段取りは予定しているので、落ち着いたら帰省報告をします。

大阪、東京、松江地区の皆さん、長い間お世話になりました。沢山の想い出を持って帰ります。皆さんの帰益時は是非に一報ください。益田で歓待します。

益田地区の皆さん、今後とも交誼宜しくお願いします。

 


クエスチョン

2010年10月04日 | 野良雀
管理人さん 「東京益田会」開催に伴う同窓のご尽力に他所ながら敬意を表します。
盛大裡に開催されることを祈念します。

ところで、今夕の通勤電車の中に蠅が一匹飛び交っていました。煩わしいけど、早い飛行に手も出なく残念ながら放置したけど、そのことを先程愚妻と「あの蠅は電車が時速100kで走っているのに車内を4~5㌔で飛び交っているが、本当は何キロで飛んでいるのだろう? 昔何とかの法則というのを記憶するけど、覚えているかい?」
「ごめん、知らない」

この老夫妻の会話に誰か回答を願いたい。

今週末から数日また帰益。今度は「稲こぎ」 20数日間 晴・曇・雨にさらされたハゼの稲も早く実を収めたく願っている頃合いだそうな。

この「稲こぎ」も還暦過ぎて始めてのことであり、はてさてどこまでやれるやら。

帰益した時は益田在の同窓と懇親したい思いは山々なれど、帰れば結構何かと忙しくつい逢わず゜じまいで帰阪している。
まあいいか、来春以降の楽しみにしておこうと。


お知らせ

2010年06月08日 | 野良雀
昨日、「近畿益田会」から会報着信。10年前ぐらいから入会しており、益高同窓の何人かにも加入を勧めたりした時はあったものの、時たま総会等へ参加はしていたのだが、あまり熱心ではなかった
その近畿益田会がホームページを立ち上げたと連絡あったものだから、早速に開いたところ結構楽しめる内容だったので、益田出身の皆さんにもお知らせする。
アドレスは別にして、ヤフー画面で「近畿益田会」を開いてください。開けたら「お気に入りに」登録しておいたら便利。
色々な故郷の香りがすると思うよ。

そのことを在阪の友にメールしたら、何と日本の裏側「ノルウェー」から「了解 帰国したら開くは」との返事。フィヨルドの写真を添付していた。
よもや、そんな処へ行っているとは思わずに連絡したのだが。
あきれるやら、驚くやら
メールって、そんなに簡単に外国へ飛ぶの

今、目の前見えないけれど無数のメールが飛び交っているんだろうか。
アナログ雀には理解不能
雀の目には飛蚊しか見えないが。

レチさん「ネコマタギ」になってしまったな。
雀より哀悼の意を捧げる。

歓迎会

2010年05月09日 | 野良雀
仙と寺の歓迎会
9名、5名参集。男3名は病気、私事で不参加となる。
13時より吹田の「寿し店」にて。裏町で狭苦しくはあるが、通の客には評判の店。
きっとというより全員満足したはず。
寿しで腹ごしらえした後最寄りのラウンジへ。

男3名が早帰りしたいというので、順序は逆になったが「校歌と応援歌」で再団結を図る。
彼らが帰った後はお決まりのコース。
仙の江戸でうならした歌と思いきや、誰も知らない「黄金の歌」がスタート。皆うっとり。
仲間内でうまいへたは関係ないやという蛮勇を奮っての雀が続けば、後は我も・もという次第。
3時間もあっという間。
また秋の再会を期して散会。
だんしゃくいもさん 了解。

益田にて

2010年05月03日 | 野良雀
母の元気な姿を見たくなり、急遽帰省した。さすが宝塚辺りで渋滞にあったが、そこを抜けるとスイスイ
中国道から美都街道の新緑に目を奪われ続けた。
昨夜はふきやぜんまいといった地産を堪能
今日は昼から地元愛宕神社の祭礼で神楽と餅まきがあり、母らと出かけた。
あまりにも非日常的なデキゴトロジーに感激
何枚かスナップを投稿します。
明日は渋滞覚悟で、ゆっくり帰阪する。
貨物列車の写真はおまけ。山口線から山陰線を走っているのを知らない友へ

     

  

近畿「師走」号

2008年12月21日 | 野良雀
大阪七尾会忘年会速報。
好日好天の20日13時から大阪Y会館にて開催。
 荒、稲、岩、大、大、岡、杉、寺、豊、伏、松、真、村
 赤、安、鴨、坂、坂、塩、中、三、安、宮   計23名
この年になっての同窓忘年会だと、減ることはあっても増えることはないのが普通かもしれない中、何故かこの七尾会は前年よりも6~7名増えていた
改めてお互いの出席と健康を喜び合い、年齢に相応しい和食を食した。
5つのテーブル共話は尽きず、途中誰が言い出したのか「来年はもっと美味しいものを食べに出歩こうよ」との発案に、それならあれがいい、これがいい、あそこがいい、こちらがいいの幾つかの案から、満場一致で次のように決定。
来年の忘年会  日 時   11月28日(土) 9時大阪出発
           場 所   山陰海岸
           メニュー  付きカニフルコース三昧
           行 程   チャーター
                  ビンゴ、景品多数付き
一時会の圧巻は、今日が連れ合いとの結婚記念日だというが、オカリナを習っているとのことで、「アメイジング・グレイス」と「涙そうそう」を
奏でてくれたのには、皆の心が癒された。そして母校の校歌を肩組み合いながら斉唱した。

二次会は、まさに大阪そのものといえる場末の繁華街の一角へご案内。
連れ歩くからは「こんな所が大阪にあったの? あれが客引きというの?」我が同窓でなければ今生足を踏み込む地ではないのかも。
にとっては楽天地なんだけど。
11名、9名で立錐の余地も無くなったが、お互いテーブルを挟んでのご対面・お見合い式になって皆ご満悦。

程なく、A嬢が何と「野風僧」を熱唱した。あの可憐なイメージから誰がそんな歌を歌うと想像しよう、皆ど胆を抜かれた
最初からこんな歌が出たら後が続かないやと思いきや、救いの神が一人おった。M.S君である。
北島三郎の名曲を、勝手に変詩・変曲し、皆は一応画面下の歌詞をみるのだが、彼が口ずさむ言葉は全く彼自身の作り歌なものだからまともに聞くこともできないし、さらには顔表情と手のしぐさが厭らしく、見るも聞くも皆腹を抱えて笑い転げる始末。あれは、天才肌だ
さあ、次の歌い手は誰だと思いきや、大丈夫、役者はちゃんと控えていた。
例の「きんのたま」を東海林太郎風に平然と歌いまくるすごい奴。
これからが、高齢・恒例の紅白歌合戦の始まり始まり。歌の上手いものがトリになるんだぜとの司会の脅迫に、我も私もと出席者全員が持ち歌1曲以上歌うこととなった。絶唱、壮絶歌、狂歌、演歌、唱歌何でもありの世界に突入。
特筆すべきは、ブログを覗いているが、EブロックのS君に負けじと「吾亦紅」に挑戦した。上手いのやら下手なのやら判らないが、やや風邪気味のカスレダミ声とアルコール酔いが程良く手伝って最後まで歌いきったのには、一応皆から拍手

最後は、「明日があるさ」で長い長い輪唱をさせられ、「学園広場」から定番の「高校3年生」を又もや肩を組み合い熱唱・合唱し20時に終了。延々7時間の忘年会となった。

追記 男性の大半は真っ直ぐ駅方向に向うも、女性全員は「腹が減ったわ、何か食べて帰りたいな」とのたまうではないか
近くの「寿司店」へご案内。もうこれでいいだろ、雀はお宿へと足を転じるも、あの軍団は何とまた「私たち、もっと話をしたいからを飲んで帰るわ」とのこと。きっと彼女ら23時頃になったのでは。
恐るべし。孔子「女子と小人は養い難し」
島カケス君、大阪に来ていたの。千鳥足跡残したのでは。又の機会に誘うから。




 

近畿4号 閑話休題

2008年05月27日 | 野良雀
今いったい我が家には何冊の本があるのだろう。本棚は幾つかあるのだが、2~3列になっていたり、積み重ねてあったりで、数えきれていない
今現在は第二の人生を元気でやっているが、第三の人生をスタートさせる時に、それらの本をどうしようか、やや悩んでいる
今居住している家は息子等に委ねる予定であるが、彼等からは「全部持って帰ってよ」と言われている
私自身が読みたい或いは読まなければならないと自ら選んで購入した本だけに、全部読みきってはいないものの、読んだ本の一つ一つには愛着を感じており、さしずめ我が子同然に身近であり捨て難い。
とはいえ、全部益田へ持って帰るにしても、それなりのスペースを確保しなければならず、家内からは「持って帰っても本当に読むの」と呆れ果てられている
もう一つ悩ましいのは、最近富に読書ピッチが落ちてきたこと。特に文庫本は字が小さく、読むのに疲れすぐに瞼が閉じられてしまう
松本清張、司馬遼太郎、池波正太郎シリーズは何としても持ち続けようと思っているが、他の本はどうしよう。中里介山の大菩薩峠全20巻もとうてい読みきれないだろう
益田のどこかへ寄贈なりできるのだろうか
皆さん方はどんな事情。何かいい智恵があれば教えて下さい

疲れたけど満足のGW

2008年05月06日 | 野良雀
今朝1時過ぎに帰阪した。益田を出たのが昨夕5時頃。8時間の長距離ドライブとなった。俄に思い立って帰省したのだが、3日の朝5時に大阪を出立、途中事故渋滞等あちこちで発生しており、大島に着いたのは午後3時過ぎ。確かに大きな島である。海が見えない所を走っていると、これが本当に島とは思えなかったくらい。
髭の山羊さんもいたって元気にしていた。作務衣が完全に身についている。大きな旧家を買い取って居住している。時には庭の通りを雉が徘徊するそうな。海とはやや離れているが、多少小高いところに建っているので、日のいい時は四国もかすかに見えるそうな。毎日何をしているのか尋ねると、村童らと遊び回っているそうな。さしずめ、平成の良寛気取り。但し、漢詩や和歌に優れているかは不明だが。
やはり、あの家も奥さんあってのもの。帰り時は、奥さん手作りの蜜柑缶詰を十数個頂く。島を約半周して益田へ向かったが、風情を言葉で表すには、蕪村の「春の海 ひねもすのたり のたり哉」であろう。いつまでも元気で長生きしてもらいたいもの。六日市~日原経由で益田へ帰った。前のブログに記述されていた洞門の名前をメモしてきた。国道187号で日原から青原方へ、「池村第一、第二、第三」洞門、「富田洞門」「小瀬洞門」そして「木原トンネル」とあった。
4日は、益高を見に行った。校門前で写真を撮ったりしたが、想い出に残るのは、体育館と図書館の建物ぐらい。校庭の山裾は、運動会でクラス別応援合戦をした時の風情と変わっていなかった。
その夜は、ミニ同窓会となった。研、建(無事退職、今は地元の世話役)、明(投薬でひと安心状態)、鶴、良、政(円満退職、暫く何もしたくないとの談)と「亀治」にて、二次会には嘉、賢も駆けつけてきた。何を話したやら記憶には残らないが、昨年秋の大同窓会よりはもっともっと楽しく談笑できた。やはり「持つべきものは友」である。
島男の奥さんからもらった土産も皆にお裾分けしあった。その缶詰は今朝食べたのだが実に美味しかった。町でうっているような甘さとは違う味付けで、身も太くて食べ代がたっぷり。友と分けたことは連絡済。
5日の夕方には三隅の良がまた土産を持たしてくれ、感激
長々と記述したが、この3日間はあちこちと忙しく動き回った。
又の再会と、大阪での交友には必ず呼ぶからと約して帰阪。

昔懐かしい話

2008年02月06日 | 野良雀
広島の恐羅漢スキー場での遭難・救出事件でよもや益田市の名前が出ようとは。
確かに、何年前か匹見、都茂と合併したので広域になったからなのだろう。
年に何回か十河内経由で帰省する時は、あの付近を通っているのであろうが、界隈の山岳風情は運転する者にとって癒しになっていた。
ところで、関西では今「歌声喫茶」がブーム再来になっているのだとか。
3月2日京都ホテルオークラでそのイベントに参加者が殺到し、話題になっています。客層は、ほとんど我ら同年近くとのこと。
そう言えば、私自身の苦学生時代、京都の四条河原町に確か「炎」という歌声喫茶があり、ロシア民謡とか反戦歌を何回か歌った記憶がある。
と同時に、今こちらで仲の良い同窓の「稲」とは、その付近でばったり出会ったのが付き合いの始まりであった。爾来40数年になる。彼は覚えているだろうか。
こう記述しても、所詮PC音痴の彼のこと、見てはくれないだろうが。
当世風のカラオケよりは、アコーディオンやピアノの演奏に合わせて男も女も全員で歌いあったスタイルが何故か懐かしい。甘酸っぱいノスタルジアなのかも。
意外と、東京や益田でもこれから話題となることかもしれないよ。とりあえず一報を。



近畿3号

2008年01月28日 | 野良雀
寒いねー。列島全体冷蔵庫の中とか。
近畿になじみの深い「桂川」姓名で盛り上がっていますね。
姓名で面白い記事を見たので、少し紹介します。
全国では、10万を超える姓名の世帯があるそうな。読み方を替えると倍増とか。
1位は佐藤(481900世帯)、2位は鈴木(426800)、3位は高橋(353900)
ここまでは数は別にして誰しも聞いたことはあると思うが。
そこで、暇つぶしに、在阪の同窓の何人かについて調べてみました。
 金(55位 70100世帯)、岩(173位 30600)、坂(240位 22900)
 稲(304位 18200)、 大(766位 6300)、 赤(1075位 4200) 荒(2758位 1200)
他の地区の何人かでは、りん(19位 134600)、中(28位 102200)、溝(420位 11900)、管理人さんは(4478位 600)

今週末は在阪東中の新年同窓会。益高の何人かとはまた一緒になりますが、飲んで・食って・歌って・踊って楽しんできます。
益田でも有志の一杯飲みが計画されているとか。東京の人、島の人 ご苦労さん。

  

近畿2号

2007年12月10日 | 野良雀
Dブロック忘年会も盛大裡に終了。
一次会は8日14時から17時半頃まで 天満六丁目割烹料理屋で河豚料理一式。
加えて、大トロ、甘エビ他の刺身が山盛りとあってはほとんど食べきらず、美味しく覚えるのは、最後の「おじや」だったかな。
それにしても何の話題であれほど笑い転げたのだろう。ほとんど記憶が無いのだが。そうそう、EブロックのM君、N君と出席者数の賭けをしたのは覚えている。
男9・女6で、こちらが負けたのであろう。2人だけがそちらのほうに賭けていたが、いつの間にやらご破産となりました。
二次会は、北新地へ。途中からSさんも駆けつけ、21時半過ぎまでいたのだろうか。私の孫娘と同名の歌手の「大空と大地の中で」からスタートしたものの、カラオケが旧式なのか、完全に音程と合わず、昨日のヘリコプター事故と同じく失速し失笑をかいました。日曜日のNHKのど自慢で中年男性が同じ歌を歌っていましたが、鐘1つきりで聞いていても聞き苦しかったのですが、多分彼のほうが上手かったかも。
ものは考えようで、以降全員が歌え易くなり、とりわけ女性軍は7名とも上手かった。同窓の女性軍には何かと負ける。歌にせよゴルフにせよ私どもの同窓女性は強い。このブログを覗いているSさん、貴女もその一人ですよ。
22時頃か、もう飲み疲れて帰ろうと思いきや、袖を捕まえる悪友が待ち伏せており、またそのまま3人で、どこか判らない彼の店へ。中へ入ると奇妙に思い出す。2~3回は来ていた店だった。隣に座ったメグちゃんの何と可愛かったこと。もっと遅く生まれていたら何とか縁を持ちたいと思わすほどの可憐さがあった。とはいえ、再会するためにわざわざ新地まで出ようとは思わないが。家内だけで辛抱します。
帰宅したのは23時半ごろ。疲れました、完全に。日曜日は昼までダウン。しかし、兵はいるもので、同じように遅く帰ったT君は、日曜朝から仕事に出かけていた。個人経営者の意気込み・タフネスには負ける。
「大阪燕」結局判らずじまい。大阪燕に対抗してこれから「大阪雀」で近畿号を発信します。旧名Freewayは卒業します。有福温泉での話題の者は遠方で来れず。Eブロックの忘年会に参加したK君には声をかけずのまま。N君申し訳ない。
(順不動で参加者の一字だけ記しておく。荒、稲、岩、大、大、大、岡、豊、伏、赤、安、坂、清、三、安、黒、坂)判りますか。簡単過ぎたかな。