ベトナムハノイのワクチン事情(日本とベトナム)
ベトナム人友人のご厚意で昨日1回目のワクチン接種を完了した。
ベトナムでは、相変わらず対応の遅い「日本政府と、その取り巻き」が
接種希望アンケートなるものを取り始めたところだ。
しかもその中に相変わらず「あなたの会社は日本商工会議所会員ですか?」とか
「JETRO会員ですか?」などの同じ税金を払っている日本国民を所属組織で区別(差別)
する項目が(毎度であるが)含まれていた。
自分は何度となくこの差別に翻弄され「日本からベトナムに帰国する際にも、ベトナム行きの仲間にさえ
入れてもらいない状況を何度も経験した」だから驚きはしなかったが、まだこんなことをやっている
日本政府(日本大使館)に呆れた。
したがって、アンケートや申し込みを行ったが、どうせ「お仲間優先」終わったら仕方がないやってやるか?ぐらいのノリだろうな?
という体質が変わりようがないことは承知している。
危機的状態のインドネシアでも同様の差別が行われた。大手企業の社員と家族は真っ先に帰ってこれたが
例えばインドネシア企業で働く日本人や、個人小さなで飲食店(商工会議所などには入らず)の店主などは
これらの人が帰るまで、ほっとかれるのである。そういう事実は表に出てこない。
(いかにも特別便を運航・・などと言っているが、あれは「お仲間優先」の飛行機である)
同じ日本国民でありながら、平気で「差別」されている事実をここで声を大にして言いたい。
少しエキサイトしたが、今回は「1回目ワクチン接種」完了の報告である。
これも「日本のおかげではない」、ベトナムの友人のおかげである。
弊社は開業当初からこの「ベトナムの専門学校」の生徒さんを採用させていただいてきた。85%の社員が
この学校出身である。この優秀な生徒を輩出している学校の「学長さんとは、友人関係にある」
フエ出身で「東京大学」で数学科で10年以上学び帰国後、ベトナムで最初の私立大学(現在のタンロン大学)
を設立された方である。(何やら数学の理論の提唱、発見者らしい?)
この先生とはたまに世間話をするが、その中で「**サンはワクチンは打ったの?
一緒に打ちましょうよ」というお誘いを受けたのである。(いやいや、ベトナム人の方々が未だ打っていないですから
と断ったが、病気をして手術した身だから打ちなさいと勧められた)
自分は2年前に「肺がんを患い、1/4肺がない」したがってコロナにかかったら危ないと医者にも言われていたし
常々自分自身でも焦りの思いはあった。しかし日本では未だに案内も来ていないようだった。そんな中
ありがたいお誘いであり、これをありがたく受けることにしたのである。
その後は早かった、「明後日、ここに何時に行って、ここに電話すれば、私の友人が面倒見てくれるから」という
事で、昨日行ってみると、Lienさんという英語のしゃべれるコーディネーターが待っていてくれた。
(日本語はしゃべれないが、英語でのやり取りができたので何とかなった)
外国人向けの?ということだったが、手違いでベトナム人に交じっての接種だったが、これは仕方がない。
体力的にはすごく過酷であったが、お年寄りも同条件で頑張っている姿を見ると、「自分だけ」というわけにいかなかったのは
仕方がないと思う。(それでも途中から病院スタッフが便宜を図ってくれた。この学長のおかげかもしれない)
無事に「モデルナ製ワクチン」を注射して頂いた。(もちろん無償である)
言っておくが、この先生とは「利益関係は全く無い」、「私の専門である自動車用プレス金型の3D Cデータ活用」
に関する思いが一致し先生の学校内に「弊社専門のクラス」を作ってくださり、
そこに「自分の元の勤務していた3D CADをその会社のご厚意で寄贈」し、
学校のカリキュラムとして「この3D CAD」で技術者を育成、その技術者を希望する企業が見に来て
面接し「企業が確保してベトナムで運用する」というBPOビジネスを行っていている。その縁で友人になったのである。
ダメな「日本政府や商工会議所、JETRO」のために、ベトナムに戻れなかった時も「この学長」が友人に掛け合い
そのころ非常に難しかった「労働省」「入国管理」などの書類をそろえてくださり、そのおかげで「無事に帰国できた」
そのような非常に感謝すべき「ベトナムの友人」なのである。
今回も一緒に行動を共にするコーディネータまで準備してくださり、本当に感謝である。
私は日本人だが、日本という国は「組織や利得やお仲間意識」で動いている国である。コネでもない限り何もしてくれない。
外務省にも相談した。一応は聞いてくれたが、結局現場を仕切ってるのはこれらの団体であり、
現状を訴えたが、結局何もしてくれなかった。
しかしベトナムという国は「私の状況や、やっている仕事への影響」まで考えてくれて
今回も含めた「便宜」を図ってくれた国である。(決してお金を使って、上の人を動かくような手段ではない)
この学長は、そういう人物なのである。もちろんそれなりのリレーションは持っているが
それを利得のために使うような人でない。(彼自身も創立した私立大学が大きくなりすぎ、政府からにらまれ
これを人にゆずって、現在の小さな「技術学院」を設立したような人なのだ。しかし日本語教育をしっかりするため
日本の自動車会社N社がこれに目をつけ、現在ではその100%子会社、社員2500人の会社へ、述べ5000人を送り出すほどの
実績の学校なのである。現在ではこの学長がN社のやり方に疑問を持ち人員の供給を断っていると聞いた、
その中こんな小さな弊社には大きな便宜を図っていただいている)
自分は本当にラッキーである。学長はインターネットで私の経歴を調べ上げ、ベトナムには「金型産業」が必要だ
という判断で、何も知らない私にこのような支援をずっと続けてくださっているのだ。
長くなったが、このような事情で、ベトナムで「ワクチンを打つことができた」 持つべきものは「良き友人」そしてそれを
認めてくれる「組織(国)」である。私はこれに恩返ししなければならない。
生きている限り、ベトナム人に自分の学んだ技術を全て教えるつもりだ。
そしていつかこの技術者たちが「ベトナム(自分の国)で、日本から得た知識で、これをベトナムの国産技術として
マスターし、国産自動車の生産に寄与してほしい」それが夢である。
最初は「外国人向けのスペシャル」と言われたが、手違いでベトナム人と一緒に
並ぶことになった(むしろこのほうが引け目を感じることなくてよかった気がする)
並ぶことに大変さが分かった。15:30に行って結局打てたのは20:30だった。
ここは病院の近くの「競技場」まずはこの写真右手の体育館で1回目の確認(申し込みと持参書類)
その後、左の列に並ぶ(すごい列ができている)
ここから病院まで20名単位で移動していく。
これが「一番疲れた長い列」 ボランティアが水を無償で配っていた。
昨日は曇りだったがもし晴れていたら大変だ。でも昨日もこの時間でも気温は37℃あった。
(体感温度は46℃)
日本人(外国人)は誰にも会わなかった。(何度か何人?と聞かれたが、好意的にだった)