東京オリンピックがあっけなく終わった。
1964年のオリンピックの時は4歳だった、唯一覚えているのは
群馬県の田舎の街にも「聖火が巡ってきて」それを見に行く母を
熱を出した「兄」と一緒に家で待っていた記憶だ。
あの頃でも現在よりももっと「国を挙げての大イベントだったのかもしれない」
そして、そう多くはいない「自国でのオリンピックを2回経験した年代」になった。
まさか自分は「2度目のオリンピック開催時」ベトナムでこれを見るとは全く予想していなかった。
コロナ対応と自分の会社の対応に追われ「オリンピックを気にするどころではなかったが」
昨晩は「ハノイの夜間外出禁止」もあり、VTV6(ベトナムテレビ局)が閉会式を放送しており
それを見る機会にあずかった。ぼーっとこれを見ながらこんなことを考えた。
*マスコミとは「どんな手段」を使っても「間違った報道の自由」をひけらかしながら、「話題性のみ」を追い続け
「人の感情」や「陰で地味な活動をしている人」など全く気にせず「やりたい放題」だな?と感じた。
*「コロナ渦の状況で、よくやったな」と正直思った。
(無論、いろんな感じ方をすることは仕方がない。これはどうしようもない。だからこそ「いろんな考え方を批判するのでなく
そいう感じ方もあるんだ」、という落ち着きも必要なのだろう)そして、国として決められたイベントを自主的に無償で
協力した人たちを批判する権利は誰にもないと感じる)
*批判や、文句は「いうのは簡単だ」自分も感じることだが、「限られた条件の中で頑張った人に対しては、まずは認める、
ほめる勇気を持つべきだと、この年になってようやくわかったような気がする」
*外から見た今回のオリンピックは、ある意味「日本の国民性だからこそ、この程度のほころびでできたのでないだろうか?
日本が特別だとは思わないが、我慢する文化、決めたことをきっちり守る文化が良い方向に機能したような気がする」
*しかし、イベントスタッフの経歴の問題など「なあなあ」の悪い文化や、「古い慣習で企業を選ぶ」など確かに問題もたくさん
浮き彫りにされた。
★ こんなことを記すと、何かマスコミと同じ目線になるので怖い
‘まぎれもなく庶民であり、ベトナムに住んでいる「一、日本国民」として「こんな状況でもよくやったな」ということが総括である。
ベトナムでは、あんなに硬かった守りが崩れ、外にあまり報道はされないが
既に「医療崩壊」が起きている。死者を焼く施設にも「行列ができている」し「感染地域からの逃避」も起きている。そんな状況でも
総感染者、死者も日本の1/5なのだ、あの状況で、「国家イベントを行ったことは、評価しても良いのではないかと思う」
もう少しシンプルに安価であればもっとよかったのなのかもしれないが?
とにかく「お疲れさまでした」と感じた「昨夜」であった。