★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「ハノイの師走」

2024-01-17 09:58:27 | ベトナム・ハノイ

ベトナムは「旧暦国家」である。今年のテトは新暦の2月10日が元旦になっている。

国は「一応8日から14日まで」を正月休みに指定している。(公務員や公立学校は

これに準じている)しかし一般企業や個人商店などはこの限りではない。

つまりベトナム正月(テト)まで1か月を切ったことになる。日本と同じこのテト前になると

ベトナムの人々は「ソワソワし始める」町には「テト関連商品」(テトのお土産、テトグッズ)が並び始める。

ベトナムでのテトの位置づけは「日本の3丁目の夕日の時代の感じだ」つまり、都会に働きに出ていても

テトだけは「故郷に帰り家族と過ごす」鉄則である。従って「田舎者だらけのハノイ」はテト時期になると

「急に人口が減るのである」、元日の朝などは普段バイクや車でごった返する町も、ほぼバイクも車も居ない状態になる。

1年に一度「静かなハノイを満喫できる」

それまでのハノイも「いかにも年末」と言う雰囲気が「これから色濃くなっていく」

もう少しすると「街ではモモの花の枝や、鉢植え、キンカンやザボンの実がたわわになった鉢植え」などが

売られ始める。どういうわけか「そのための鉢や花瓶、食器(ほとんどは近隣のバッチャン焼き)」が道端で

売られ始める。そして「日本で言えば正月飾り」の屋台もそこかしこに林立する。

こうなると「仕事どころでなない」(特に公務員は、この時期は機能がマヒする)

最近になって「大手のショッピングセンター(AEONなど)」は元日から営業しているが、つい数年前には

ほんの一部の「食堂」しか開いておらず、私のようなハノイで過ごさなければならない外国人にとっては

過酷な環境であった。(テト期間中の食料を確保しなければならないからだ)

この時期「働いている人などほぼない」、そんな中「日本企業相手の当社」は仕事である。

もう11年「社員には申し訳ないが、仕事をせざるを得ない」この時期は「社員が持ち寄った弁当?をみんなでよく

食べたことを思い出す」(お店はやっていないので必然的にこうなった)そしてこの時期の賃金は300%

会社としては「利益などなく、お客さんの要求に従ってやるしかないのである」この実情は現在でも変わっていない。

12年目のテト、「コロナや円安で大きく被害を受けた会社は、年末のボーナスも出せず、社員には本当に申し訳ない」

もちろん自分の「役員報酬などもう3年間以上皆無である」

来年(旧暦で)こそ、以前の「仕事状況や為替状況」に戻ることを期待してやまない。

「オーバーに言えば為替差損だけで会社がつぶれてしまいそうなのだ」・・・これを機会に

「どんな外圧が有っても耐えられる会社を作らなければならない」と遅ればせながら対応したつもりだが?

来年こそ「良い年になってほしい」、いつも通りの時間に出社して、誰もいない会社で相棒のミッと「そんなことを考えた」

 

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