★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイのワクチン事情(日本とベトナム)

2021-08-05 12:33:35 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイのワクチン事情(日本とベトナム)

 ベトナム人友人のご厚意で昨日1回目のワクチン接種を完了した。

ベトナムでは、相変わらず対応の遅い「日本政府と、その取り巻き」が

接種希望アンケートなるものを取り始めたところだ。

しかもその中に相変わらず「あなたの会社は日本商工会議所会員ですか?」とか

「JETRO会員ですか?」などの同じ税金を払っている日本国民を所属組織で区別(差別)

する項目が(毎度であるが)含まれていた。

 自分は何度となくこの差別に翻弄され「日本からベトナムに帰国する際にも、ベトナム行きの仲間にさえ

入れてもらいない状況を何度も経験した」だから驚きはしなかったが、まだこんなことをやっている

日本政府(日本大使館)に呆れた。

 したがって、アンケートや申し込みを行ったが、どうせ「お仲間優先」終わったら仕方がないやってやるか?ぐらいのノリだろうな?

という体質が変わりようがないことは承知している。

 危機的状態のインドネシアでも同様の差別が行われた。大手企業の社員と家族は真っ先に帰ってこれたが

例えばインドネシア企業で働く日本人や、個人小さなで飲食店(商工会議所などには入らず)の店主などは

これらの人が帰るまで、ほっとかれるのである。そういう事実は表に出てこない。

(いかにも特別便を運航・・などと言っているが、あれは「お仲間優先」の飛行機である)

同じ日本国民でありながら、平気で「差別」されている事実をここで声を大にして言いたい。

 少しエキサイトしたが、今回は「1回目ワクチン接種」完了の報告である。

これも「日本のおかげではない」、ベトナムの友人のおかげである。

弊社は開業当初からこの「ベトナムの専門学校」の生徒さんを採用させていただいてきた。85%の社員が

この学校出身である。この優秀な生徒を輩出している学校の「学長さんとは、友人関係にある」

 フエ出身で「東京大学」で数学科で10年以上学び帰国後、ベトナムで最初の私立大学(現在のタンロン大学)

を設立された方である。(何やら数学の理論の提唱、発見者らしい?)

 この先生とはたまに世間話をするが、その中で「**サンはワクチンは打ったの?

一緒に打ちましょうよ」というお誘いを受けたのである。(いやいや、ベトナム人の方々が未だ打っていないですから

と断ったが、病気をして手術した身だから打ちなさいと勧められた)

 自分は2年前に「肺がんを患い、1/4肺がない」したがってコロナにかかったら危ないと医者にも言われていたし

常々自分自身でも焦りの思いはあった。しかし日本では未だに案内も来ていないようだった。そんな中

ありがたいお誘いであり、これをありがたく受けることにしたのである。

 その後は早かった、「明後日、ここに何時に行って、ここに電話すれば、私の友人が面倒見てくれるから」という

事で、昨日行ってみると、Lienさんという英語のしゃべれるコーディネーターが待っていてくれた。

(日本語はしゃべれないが、英語でのやり取りができたので何とかなった)

 外国人向けの?ということだったが、手違いでベトナム人に交じっての接種だったが、これは仕方がない。

体力的にはすごく過酷であったが、お年寄りも同条件で頑張っている姿を見ると、「自分だけ」というわけにいかなかったのは

仕方がないと思う。(それでも途中から病院スタッフが便宜を図ってくれた。この学長のおかげかもしれない)

無事に「モデルナ製ワクチン」を注射して頂いた。(もちろん無償である)

 言っておくが、この先生とは「利益関係は全く無い」、「私の専門である自動車用プレス金型の3D Cデータ活用」

に関する思いが一致し先生の学校内に「弊社専門のクラス」を作ってくださり、

そこに「自分の元の勤務していた3D CADをその会社のご厚意で寄贈」し、

学校のカリキュラムとして「この3D CAD」で技術者を育成、その技術者を希望する企業が見に来て

面接し「企業が確保してベトナムで運用する」というBPOビジネスを行っていている。その縁で友人になったのである。

 ダメな「日本政府や商工会議所、JETRO」のために、ベトナムに戻れなかった時も「この学長」が友人に掛け合い

そのころ非常に難しかった「労働省」「入国管理」などの書類をそろえてくださり、そのおかげで「無事に帰国できた」

そのような非常に感謝すべき「ベトナムの友人」なのである。

 今回も一緒に行動を共にするコーディネータまで準備してくださり、本当に感謝である。

私は日本人だが、日本という国は「組織や利得やお仲間意識」で動いている国である。コネでもない限り何もしてくれない。

外務省にも相談した。一応は聞いてくれたが、結局現場を仕切ってるのはこれらの団体であり、

現状を訴えたが、結局何もしてくれなかった。

 しかしベトナムという国は「私の状況や、やっている仕事への影響」まで考えてくれて

今回も含めた「便宜」を図ってくれた国である。(決してお金を使って、上の人を動かくような手段ではない)

この学長は、そういう人物なのである。もちろんそれなりのリレーションは持っているが

それを利得のために使うような人でない。(彼自身も創立した私立大学が大きくなりすぎ、政府からにらまれ

これを人にゆずって、現在の小さな「技術学院」を設立したような人なのだ。しかし日本語教育をしっかりするため

日本の自動車会社N社がこれに目をつけ、現在ではその100%子会社、社員2500人の会社へ、述べ5000人を送り出すほどの

実績の学校なのである。現在ではこの学長がN社のやり方に疑問を持ち人員の供給を断っていると聞いた、

その中こんな小さな弊社には大きな便宜を図っていただいている)

 自分は本当にラッキーである。学長はインターネットで私の経歴を調べ上げ、ベトナムには「金型産業」が必要だ

という判断で、何も知らない私にこのような支援をずっと続けてくださっているのだ。

 

 長くなったが、このような事情で、ベトナムで「ワクチンを打つことができた」 持つべきものは「良き友人」そしてそれを

認めてくれる「組織(国)」である。私はこれに恩返ししなければならない。

 生きている限り、ベトナム人に自分の学んだ技術を全て教えるつもりだ。

そしていつかこの技術者たちが「ベトナム(自分の国)で、日本から得た知識で、これをベトナムの国産技術として

マスターし、国産自動車の生産に寄与してほしい」それが夢である。

最初は「外国人向けのスペシャル」と言われたが、手違いでベトナム人と一緒に

並ぶことになった(むしろこのほうが引け目を感じることなくてよかった気がする)

並ぶことに大変さが分かった。15:30に行って結局打てたのは20:30だった。

ここは病院の近くの「競技場」まずはこの写真右手の体育館で1回目の確認(申し込みと持参書類)

その後、左の列に並ぶ(すごい列ができている)

ここから病院まで20名単位で移動していく。

これが「一番疲れた長い列」 ボランティアが水を無償で配っていた。

昨日は曇りだったがもし晴れていたら大変だ。でも昨日もこの時間でも気温は37℃あった。

(体感温度は46℃)

日本人(外国人)は誰にも会わなかった。(何度か何人?と聞かれたが、好意的にだった)

 

 

 

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ベトナムハノイの「コロナ禍工場事情」

2021-08-03 10:10:14 | ベトナム・ハノイ

 

 ベトナムでは、あんなに強固だった守りがデルタ株

により、これが容易に破られてしまった。

 今までが「強固だった」だけに、破られた後は一気に広がった。

特に南部のホーチミンを中心とした地域ではそれが顕著である。

 知り合いの「ホーチミン在住」のベトナム人からは

生々しい「状況が知らされた」

 この知り合いは「日本企業にで遣社員として働いている」が

もちろん在宅である。ルームシェアしているほかの4名は

「工場へ泊まり込み」で働いているということだ。

 外出には「許可証」が必要で、もう1か月卵を食べていないということだ。

日本では考えられないような環境で働いている。

 ベトナムでは、生活(特に食品)を生産している工場は閉鎖はしてないが

そこに通勤することは認めていない。つまり

「会社に泊まり込みで勤務するなら、稼働を許す措置をしている」のだ

今は夏、暑い中、そして雨季である中、このように頑張っているのだ。

 日本では全く想像もつかない環境で働いている。

これも国の貧しさが関係しているが、先進国になるときに

必ず通る道なのかもしれない。いずれにしろ、頑張っていることは確かだ。

工場の空きスペースや庭にテントや蚊帳を張り、ここで寝泊まりし、工場で働いている。

通勤が許されない中、こうして生産活動を確保している。

 オフィス業務でも「会社で寝泊まり」して仕事をしている。

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ベトナムハノイの「今伝えるべきこと」(コロナ禍におけるベトナムの現状)

2021-08-01 14:22:59 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「今伝えるべきこと」(コロナ禍におけるベトナムの現状)

 ベトナムと関わるものとしてぜひ日本の皆さんに知っていただきたいことがある。

現在のコロナの状況である。自分に住む北部のハノイはロックダウンはされているが

一日の市中感染者は30-80 名程度である。

しかし南部の中心都市ホーチミンに至っては毎日4000-8000人の感染者が出ている。

無論都市が封鎖されている。ということは、経済状況も最悪の状態だ。

*しっかりした雇用形態を持たないベトナム会社では「簡単に従業員を解雇」している。

このような人たちは、ホーチミン郊外、あるいは南部、中部の地方都市から

出稼ぎのような形で家を借りてホーチミンで暮らしている。

しかし、コロナで、職を失い、どうにもならなくなり、多くの人が故郷に帰る決断をした。

 しかしベトナムのロックダウンはそんなに生易しい物ではない。

出るのも入るのもできないのである。しかし職を失い、収入を失い、どうにもならなくなった

人々は「故郷に帰る以外、生きるすべはないのである」そこで

いわば脱走のようなことが横行し始めた。いかにロックダウンでもホーチミンから出る道を

全て抑えるわけにはいかない。又、これら帰郷を希望する人と、それを抑える人たちの間で

日々争いがエスカレートし「暴動一歩手前」の状態が続いた。

 そこで政府は決断し「帰郷希望者の要求を受け入れ、政府としてサポートすることを

決めた」そして、その様子がこの写真である。(ベトナムで見るTik Tokにはこの種の動画が

数多くUPされている、その一瞬をキャプシャーに取ったもの((私もこれを見るまで

さすがにこんな状態だとは知らなかった。日々のニュースではほんの一部しか扱われていない)

 現状ベトナム南部はここまで追い込まれているのである。

どうか遠い国の問題と思わないでほしい。こんな状態でもたくましく生きなければならない人々がいることを

分かってほしい。

 確かに経済的な損失は計り知れないだろう、しかしどれも命には代えられないだろう。

そんなことを考えた。用もないのに「つまらないからと言って路上でお酒を飲む若者たち」

その実情に「何も方策を出せないかの国の政府」。自分自身で何が一番重要なのか?

考えてみる必要があるのかもしれない。

まずは「正式に帰郷を許され、警察車両の先導で故郷に向かって帰る人々の群れである」

乳飲み子やたくさんの子供を連れて、たくさんの荷物をもって「200-400km」の

道のりを帰ってゆく、普通の帰郷ではない「いつまた出稼ぎに来れるかどうかわからない」

お金もない、中には手持ちのお金もなく、帰る人も多いそうである。

(高速もないベトナムで子ずれで荷物を抱え、土砂降りの雨の中を200-400kmの道を帰るのが

どれほど大変なのかわかるだろうか? 自分も1日で400km走ったことがあるが、過酷である。)

南部は今は「雨季」である、午後になると必ずと言っていいほど土砂降りの雨になる中を

警察先導者に導かれ、これから出発する「帰郷せざるを得ない集団である」

送り出す側(事情で帰れない親族との別れの時でもある、

涙を流す人も多い。本当に残酷な状況である。

こうして送り出す

彼らは、しかしそれを「力に変えている、ここがすごいと思った」

決して「コロナに負けて逃げて故郷に帰るだけではない、必ず

又帰ってくるというようなコメントや、BGMも多い」

ベトナム人はたくましい(ベトナム戦争から見たら、まだまだ大丈夫と

お年寄りが力ずよく語っていたのが印象的だった)

そうだ、あのアメリカに買った国民である。必ず帰ってくるだろう。

*送り出す側も、できる限りのことをしていることがわかる、PCR検査や、せめてもの

食料や水を手渡している。信号待ちで100000VND札を配っている「おばちゃんも見た」

「頑張ってね」と言いながら、黙々とお金を渡していた。

(又、政府系かどうかはわからないが500000ドン札を、主に子ずれの人に

渡している光景もあった、おそらく私財を当てていたのだろうと思う。

 

 

*ここからの画像は、その厳しい状態の人々に対して、それをサポートする人々の

画像である。これを見て「本当に心が震えた」確かにベトナムはまだ貧しい、しかし

この助け合いの心がある限り「彼らはコロナには負けないであろう」

現在、本日、こういうことがベトナムで行われていることを「ベトナムに興味がある人々に

知ってほしい」是非知ってほしいのである。

これは、帰郷の道すがら、人々やその地域の人たちが自主的に

提供している「食事」「飲み物」などである。

「傷心の状況での道すがら、彼らはこうして助け合うのである。自分たちも

決して楽な状況でないのに、こうして助け合うのである」

 他の画像で、バイクもなく「自転車や徒歩で帰ろうとしている人もいた」

を見つけては「食べ物と飲み物、そしていくばくかのお金」を渡している

そんな人たちがたくさんいた。

バイクで帰る人たちには必須のガソリン。それを買えない人たちもいる。

そのためにガソリンスタンドでは「ペットボトルにガソリンを詰めて、道端で無償で

帰郷する人々に提供している」(日本だったら、危険だとか、で絶対にやらせてもらえないだろう?)

妙に先進国になってしまった日本では何が大事なのか?根本的な考え方が違うように思える。)

 ここでは紹介しきれないが、この逆境の中、たくましくそして優しく助け合っている

ベトナムに触れて、ますますベトナムが好きになった。

 多少でもベトナムという言葉に興味をもってブログを見て頂いた人々に

どうか、遠く離れた貧しい国で、現実このような事が起きていることを

知ってほしい。ただそれだけである。あとは自分の心のままに...

 

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