お昼は1時がちょうど良い

在宅療養生活で見たこと、思ったこと、を伝えます。

日記 2548

2023年05月27日 | 日記
< 思い出したので >


昨日、人の息の引き取り方について投稿し、後で思い出した事を。


高齢者施設の人はとてもよく面倒を見てくれるし、対応も良い。


今回の施設ではなく、その前の施設で、母は「こんなに良くしてもらって、涙が出る。」と言っていました。


そして今般、息を引き取った施設での打ち合わせの中で、職員の方々から息の引き取り方は人それぞれですと。


・入浴が済みベッドで一息していたらそのまま他界。というケース。


・夜間、就寝前の点検ではなんともなかったのですが、翌朝になっても起きない。つまり、寝ている間にそのままあの世に。というケース。


上げればキリがないのですが、施設の管理として月に1度の健康診断があります。


私の母親の場合は亡くなる1週間ほど前の検診で体重減少が確認されており、食欲減退。老人食は受け付けない、スプーンに水を与えると啜る(すする)。


そこで施設の人は、臨終が近い兆候と判断し私を呼び出して、今後の策を練ったという訳。


これは以前に見た映画の一場面。ある老人が自宅で床に臥している。季節は夏。障子は開け放されいて、そばにいる親族が蝉の声が賑やかだねと言う。


少しすると、その老人は蝉が静かになったなと言う。親族の人は?まだ鳴いているのに。


え?息をしていない。亡くなった!。と言う場面が思い出されます。


と言った具合で、病死・事故死でなく老衰による死去はこう言うものなんだなと。


ある時、亡妻の母つまり義母に私の母の臨終の様子を話したら、「ああ、私もそういう苦しまないで逝くのが良いな」と言ってました。
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