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在宅療養生活で見たこと、思ったこと、を伝えます。

日記 2547 家族にのしかかる「親の延命」の判断「多死社会」に必要な医療とは

2023年05月26日 | 日記
< 避けて通れない >


この問題は避けて通る事ができません。


昨年死去した母の場合は、施設の人と最低でも1年に1回は話し合いと、その覚書みたいなのを交わしていました。それでも、これはいつでも変更出来ますよと言われました。


医師や看護師が常駐しており、施設の様々な経験ある方々の話は非常に参考になります。


何がなんでも延命というのであればそれも可能ですが、当人が結構苦しがっている様子を見てきたと。胃瘻は大変とも。それは加えて費用(医療費)がそれなりにかかる。つまり金銭的負担も結構かかる。


これは高齢者施設ではなくて、病院に入院という意味かも。


ウチの場合なら、自然に任せた方が本人にとっても最良なのではと。


そして日が過ぎ、納棺の日。納棺師が「これは安らかな顔ですね」と。「大往生ですよ」。とも言いました。


それを聞いて自然に任せてよかったと思ったのです。世の中の人の延命を否定しているのではなくて、ウチの場合はこれで良かった。


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