< 時折 >
時折、思いがけずに「回顧録 13」が読まれています。実感としては一番多い。
苦い経験なのですが、母も死去による除籍となって気持ちの整理がついてきたので少しづつ明かしていこうかなと。
そのDV男は暴れると手がつけられない。
ある時は母の顔を殴り痣(あざ)なりました。それでも母は勤めに行くのでサングラスをして目の周辺を隠して仕事に。
暴れ出すきっかけは全然分からない。ちょっとした言葉だったり、行動が関係していたりで。
今マスコミではエホバの証人の児童虐待が俎上に上がっています。これはこれで実の親なのでまた面倒なんでしょうが、私の身に起きたことは赤の他人にやられた点が違います。
刑事訴訟法に照らし合わせれば起訴可能な事案です。公判も維持できるでしょう。
毎日が戦々恐々とした日々。なので怒らせまいと心にもない言動をしていたのです。
なんといっても徴兵で満州・ハルピンに出征、シベリア抑留帰りですから怖いものなし。
ある時は私が頭に来て、5mmくらいの金属片を幾つか投げた事があります。
その男そんなものは怖くない。敵(支那軍・ソ連軍)の銃弾を掻い潜って来たので屁でもないと言う。
以来、物で勝負は出来ないと決めました。