小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

どうらくオルガン・カーニバルとマルシェを覗く:

2013年10月21日 | イベント 祭 催し
どうらくオルガン・カーニバルとマルシェを覗く:
「茶房、読書の森」でのマルシェと、音楽会である。それにしても、随分と多数のユニークな出展者の皆様達である。アート作家、「100階建ての家」のいわいとしお&田中清代ら絵本作家による読み聞かせとウクレレ演奏と歌、お絵かき、お面づくり、版画家、イラストレーター、アート作家、海外料理シェフ、カフェ出店、有機栽培野菜、果物、工芸品、陶器、等々、あれもこれもと、一寸、欲しくなるような代物ばかりである。おまけに、山羊とロバとドングリ拾いに、雄大な浅間山を眺めつつと、、、、、、、。午後の3時過ぎからは、「ロバの音楽座、梅津和時、おおたか静流によるカーニバルと田島征三、コラボ朗読」である。それにしても、野外だから、雨が降らなくて良かった。曇りであるなら、万々歳であろう。別に小さな子供がいるから、特に、精通しているわけではない。むしろ、後付けである。松本雅隆によるカテリーナ古楽合奏団なるものの現代風な音色というものは、実に、何処かで、昔聞いたことのあるような錯覚に陥るような音色である。せいぜいが、バグパイプくらいしか、楽器の名前が分からぬが、古楽ではなく、むしろ、一番新しい音楽であるそうである。松本雅隆:クルムホルン、上野哲生:リュート、サントゥール、サズ、冨田りぐま:ポルタティーヴ、足踏みオルガン、大宮まふみ:リコーダー、フルート、長井和明:セルパン、ブンパカパッパ、名前の分からぬ楽器ばかりであるが、、、、、。子供も、大人も、一緒に楽しめるような中世欧州の音色を彷彿とさせるような楽曲である。詞もなかなか、宜しいではないか、もっとも、全て、日本語によるオリジなる楽曲なのであろうか、、、、、興味深いものである。前半の第二部は、おおたか静流とサックス奏者の梅津和時によるでんでらりゅうばや花、over the rainbowなどの曲目や子供達との踊りも含めて、これも又、乙姫様のような衣装で、一段と曇り空の下、冷え切ってきた夕方に掛けて、熱唱、熱演奏であった。後半は、田島征三、絵本作家によるスクリーンに、映し出された「どうらくじん様」の絵本に、ロバの音楽座による音響効果とおおたか静流、梅津和時による、贅沢なナレーションの競演であった。子供というものは、「音楽と踊りと絵本と想像力と」を、野外の空間でも、本の中でも、十分に、自分のものとして、昇華してしまうものであることが、改めて、納得できる。大人達も、そんな小さな子供達を見ていて、自分たちも嘗ては、きっと、あんな風であったことを想い起こすのであろうか?そして、心の片隅で、あんな風に、年齢を重ねても、自由奔放に、子供の心が分かるアーティスト達のように、成れれば、最高なのだがなぁと思うのであろうか?そして、あんな風に、自由な精神を、アートの心を持って、毎日を過ごすことが出来たら、自分も、やりたいなぁとも、思うのであろうか?非日常の空間を、短い時間でも体験して、ふっと、そんなことを感じる。自分たちの子供の頃には、或いは、親たちの時代にも、勿論、こんな体験をすることは、まず、なかったことに、改めて、残念だったと言う気持を禁じ得ない。これからの子供達は、どんな大人に、育ってゆくのであろうか?そして、今回参加のアーティスト達は、将来に向かって、どんな新たな音楽を、絵本を、アートを創り出して行くのであろうか?そして、何よりも、自分は、この体験をどのように、生活の中に、いかせてゆけるのかを問われているようにも思える、そんな空間と時間である。

おおたか静流HP:
http://sizzle-ohtaka.com/category/liveinfo
ロバの音楽座HP:松本雅隆、森のオト
http://www.roba-house.com/morinooto.html



小諸、ほんまち藏出し市、商家ギャラリーめぐり:

2013年10月08日 | イベント 祭 催し
小諸、ほんまち藏出し市、商家ギャラリーめぐり:
ほんまち蔵出し市と称する歴史的な建物の公開も兼ねたギャラリー巡りである。江戸時代の建物や、大正時代に建てられた旅館、明治期に建てられた銀行、軒やうだつや、随分とこだわりが見てとれる。豪商の白壁の藏や、豪商邸宅の中庭の景観、商家の当時の趣を漂わせる雰囲気など、なかなか、普段、車では、見過ごしてしまうような建物を、こうして、各分野での工芸品を展示するギャラリー形式で、ゆっくり、歩きながら、のんびりと、見て回れるのは、なかなか、貴重な機会である。信州小諸ふ~どまつり・骨董蚤の市との同時開催ではあるが、歴史的な建物の保存とその具体的な活用事例の提案は、これからの地方都市の観光も含めて、おおいに、検討に値するものであろう。それにしても、駐車場の確保と一休みする場所の、お茶でもできる瀟洒な場所の確保も、重要な配慮であろうか?こういうきめ細かな観光客への配慮も、大切なことであろう。四季折々に、異なる作品を今後とも見てみたいものである。それにしても、どのように保存と公開と日常生活への取り込みを行ったら良いのかは、なかなか、難しい問題であることは事実であろう。



村の風景カフェ巡りに参加する:

2013年09月23日 | イベント 祭 催し
村の風景カフェ巡りに参加する:
信州こもろ風景遍路のマップのルート2.御牧ヶ原(空と丘と森の詩)を散策する森と丘のコース、1周約3.7キロ、約90分)のコースを、東京からの参加者も含めて、老若男女20余名ほどのグループで、茶房、読書の森を出発点として、大小様々な溜め池や遠く、浅間山や佐久平の景色を眺めながら、細い農道の畦道をテクテク歩き、途中で、別荘地内の佐々木さん宅の林の中で、前日から時間をかけてじっくり煮込んだお手製のビーフ・カレーと各種ハーブ・ティーとピクルスを、昼食で戴き、御牧ヶ原の風景とカ フェ巡りを堪能した。「丘の上のブランコ」を吊した松は、残念乍ら、松食い虫で茶色く枯れ果ててしまい、10月初めには、切り倒されてしまうらしいとのことである。誠に、この浅間山を望む、小さな溜め池のほとりの「丘の上のブランコ」の情景は、まるで、風景という絵画の一部を切り取ったような趣きである。既に、田んぼでは、黄金色に輝き始めた稲穂が、刈り取り始められようとしている。栗の大きな実が、道端に転がっていたり、そして、子ぎつね天文台の脇を通り抜け、白土馬鈴薯に適した粘土質の白土の道を、進んで行く。まるで、拳大の大きさのこぶしの赤い実が、森の小径のなかに、みつけられる。それにしても、丘の上の大きな一本の樹といい、馬鈴薯畑の茶色の肌合いや白い道と謂い、まるで、台地と空が、一体となるかのような北海道の風景を彷彿とさせるような雄大な情景である。四季に応じて、変化する御牧ヶ原の情景を、今後とも、歩きながら、実感してみたいものである。




上田合戦、「真田幸村公出陣ねぷた祭り」を観る:

2013年09月10日 | イベント 祭 催し
上田合戦、「真田幸村公出陣ねぷた祭り」を観る:
私が、まだ、小学生だった頃に、自宅に下宿していた青森出身の大学生さんが、地元に戻って実家の旅館を継いだので、後年、学生時代に、「青森のねぶた祭り」を亡き父と一緒に、観に行ったことがあることを想い出す。「ねぶた」と「ねぷた」の違いは、前者が、戦勝時と大型の立体型で、人形型に対して、後者は、出陣時で、扇型、鏡絵と見送り絵(正面と裏面)であるそうです。青森のねぶたが、伝統的な専門的な匠によって製作されているのに対して、どうやら、真田のそれは、中学生の美術部が描いたり、絵師が、製作したりと、まだまだ、その歴史は、これからではあるものの、少年スポーツ団や地域の自治会やら、職場単位であったり、相当な組織的な底辺の拡がりと可能性があるように思われる。春の上田城千本桜祭りや秋のケヤキ紅葉祭りに加えて、夏祭りと位置づけられるのであろうか?とりわけ、若い人達の参加が多く、真田祭りとは、やや、趣を異にするものの、歴史的な伝統を有する真田鉄砲隊の実演やら、真田陣太鼓など、更には、甲冑武者行列や大名行列を模したものや、真田おもてなし隊やその他の地域のおもてなし隊なども、併せて、参加するなどの工夫が凝らされていた。やや、大河ドラマの誘致を意識しての街をあげての署名活動など、若干鼻持ちならないところも感じられないことはないが、まぁ、それもよしとしようではないか?上田という街は、やはり、真田一族の栄光と歴史の厳しい処断を、今日でも、観光資源を重要な中核要素として、季節に応じて、徹底的に活用して行こうとする戦略であることに間違いなさそうである。真田幸隆・昌隆・幸村(信幸)という真田一族の三代の系譜が、脈々と連綿として、今日まで、地域・郷土の誇りとして、会津のような「敗者の誇り」としてではなく、むしろ、徳川という「勝者を斥けたという誇り」として、受け継がれていることは、驚くべきことである。それにしても、パフォーマンス広場でも、次々に、繰り広げられた踊りやダンス、とりわけ、青木村の「壁塗り踊り」(これは、実にユーモラスで、面白い)や、地元ローカル・アイドルグループのダンス(めじゃーでなくても、ちゃんと、それとおぼしきオタクの応援団が最前列で応援してくれているのは実に在りがたいものである。)や、外国のヒップ・ホップばりの曲に、盆踊りさながらのニュー・ウェーブな着物を着飾った女性グループによる踊りには、何とも、驚かされた。うまく、曲のイメージとリズムに、三味線をアレンジして、しかも、これに、着物でも踊れるようなスローな振り付けを施して、曲に合わせて踊るとは???こんな風なことが可能であれば、外国へ、もっと、売り込んでみたら宜しいのではないだろうか?きっと、人気を博すことは間違いないのではなかろうかとも思われるが、、、、、、。大変驚くと共に、一体、これを主宰している振り付け師は、どんな経歴なのであろうか?こんな所にも、真田の心意気が受け継がれているのだろうか?午前中の雨も何とかあがり、今にも降りそうな雲り空ではあったものの、ひどい雨にならず、良かったですね。なかなか、上田市の祭りのノウハウは、大したものである。今後に、期待が持てそうである。