歳の瀬に思う:
友人達の言ではないが、毎日サンデーだから、『今日、用事を作り、今日、行くところがある』という、何とも、教養と教育を有した老人たらんと欲すれば、歳の瀬は、所詮、365日の僅か、1日にしかすぎないのではないか?それでも、毎年、年賀状には、健康に充分留意されて、良いお年をお迎え下さい、等としたためてしまう。一体、『時の区切り』というモノは、何を以て、決定するのであろうか?いつも、1月1日から、始まり、12月31日で、終了して、カレンダーを新しく取り替えてて、それで、『人生も新しくなる』のであろうか?それとも、決算期に合わせて、3月31日を以て、締めが終了して、4月1日から、リセットすることを、40余年も繰り返して行くのであろうか?毎年、誰かが逝き、世界の何処かで、戦争が起こり、テロがあって、多くの人が犠牲になり、そして、不幸な災害が、大きな事故が起き、誰かが、結婚をし、誰かが、離婚をして、そんな事柄の永遠の繰り返しが、来年も、間違いなく、理不尽なことが、たくさん、起こるのであろうか?今年一年、お疲れ様でしたと挨拶をした、その数時間後にも、またそろ、今年一年も、又、増収・増益、頑張りましょうと、エイ、エイ、オーと非正規社員達も、一緒に、拳を振り上げるのであろうか?そして、又、ひと月も経てば、やはり、12分の1の時間が、あっという間に、経過して、日常の中に、毎日サンデーの中に、埋没してしまうのであろうか?一体、来年は、どんな良い歳になるのかなどと、1937年頃や、1940年頃に、人々は、本当に、その翌年、自分の身に、降りかかるであろう火の粉を、薄々、実感、思わなかったのであろうか?それでも、明るく、だからこそ、逆に、敢えて、健康で、お幸せに、ご無事で、良いお年を迎え下さいとでも、年賀状に書いたのであろうか?今や、PCの中に、年賀状も保存出来るから、子供達が、自分の歳になった頃にでも、ブログや年賀状を読んでもらったら、どんな感慨を抱くであろうか?残念乍ら、私の両親達が、昔、書き送った年賀状は、もう、何処かへ、処分されてしまったが、一度は、読んでみたかったものである。お正月は、ゆっくり休んで、呑んではいけないリストの筆頭の美味しい日本酒を、少々、戴くとしようか!