=女芸人、吉住:異種格闘技のお笑い
R1とか、M1とか、お笑い芸人達は、人生を懸けた過酷な戦いを、今年も展開する訳だが、考えてみれば、国際バレーコンクールや、何やらかがしの著名な国際的なピアノコンクールのように、そこで、入賞したり、優勝したりすることで、プリマになれたり、いきなりコンサートに箔がついて、それで、これからの生活が保障されて、スプリング・ボードになれるというものとは、異なり、お笑い芸人のそれは、何とも、不安定そのものである。尤も、その賞金で、これまでの下隅生活での借金を返済したり、アルバイトを辞めて、ある程度保障された演芸場や寄席やテレビのバラエティー番組のひな壇へと並ぶことを許される、きっかけを手に入れることになるのかもしれないが、決して、お偉いさん達のエスタブリシュメントから、勲位を授けられるものでないことは確かである。その意味では、優勝したからと言っても、否、逆に、準優勝や、優勝できなくても、敗者復活戦で最終決戦に生き残りを懸けて、戦いに挑んだものの、惜しくも撃沈した者の方が、逆に、視聴者からの応援や評価が、著名な大御所と評される審査員達よりも、ずっと高くて、結果として、その舞台で優勝をしなかったことの方が、その後の飛躍のきっかけになると言うことも、決して、過言ではなさそうであるのが、このお笑いという世界の一種の面白い掟でもあるのかもしれない。又、お笑いのカテゴリーというものも、昨今は、多様化してきて、典型的な上方の漫才や、3人構成でのコントや、一人話芸とか、これまでの古典的なやり方や、話芸という範疇だけでは、語り尽くせない、ある種のルールを超えた<一種の異種格闘技>のような様相を呈し始めているような気がしてならない。更に言えば、そのお笑いのジャンルが、異なることからくる、ある種の感動のようなものが、或いは、大受けした後の観客の反応のどよめきのような、津波のような波動が、果たして、コロナ禍での無観客試合という、観客による笑いの渦が生じる予知のない状況下で、まるで、一切のお笑いの応援がない中で、果たして、どれほどの+アルファを引き起こしうるのであろうか?更に言えば、くじ引きでの出演する順番でも、確かに、反応は異なり、無観客とは言え、その場の雰囲気が、妙に荒れた後から、出てきて、演じるのと、その場が、ある種の静謐な感じのなかで、やるのとでは、確かに、その場の雰囲気が大きく異なり、そうした条件も、本来、点数には、加味されなければ、<公平ではないのではないか>とも、感じられる。そんな採点方式は、人間では無理であり、AIでなければ、公平には評価は出来ないであろう。だからこそ、そういう<不平等な、或いは、予想もつかぬような、不測の事態>を織り込んだ、謂わば、<不平等も運のうち>という条件を、幸運にも、味方につけた者のみが、優勝や、準優勝、或いは、優勝できなくても、大きな爪痕を残して、その後の飛躍へと繋がるチャンスを掴むのかも知れない。
翻って考えてみれば、古典的な、或いは、典型的な上方漫才の<話芸中心のカテゴリー>は、既に、ある程度の戦前での予想の中では、前評判が高くて、逆に、それは、必ずしも、プラス要因になるものでは、決してなかろう。謂わば、覇者の王道を極めるような当たり前のやり方なのかも知れない。それは決して、必ずしも、優勝や栄冠を得るという手法ではなかったのかも知れない。それは、<一種のビジネス・モデルのようなもの>で、これまでの延長線上での<話芸中心か、話芸本位での上方スタンダード>だったのかもしれない。それは、微妙に、大御所審査員の出身構成からも見て取れない訳でもない。その意味で、闘う前から、事前の評価は高くても、必ずしも、<視聴者や時代が求めるような斬新な、且つ、新しい殻を破るような、新しきを渇望するニーズ>には、合致しなかったのかも知れない。
ユリアンによる明らかな一種の挑戦的というよりも、挑発的・意図的な斬新な試みにより、大きく、その場の雰囲気が、まるで、時空の壁が破壊された如き大きな波動が治まらないなかで、ほぼ、無名に近い、但し、YouTubeや人力舎の地道な手作りライブでコツコツと一部のマニアックなファンを獲得していた<吉住>が、見事に、<一人芝居コント>で、<女審判>を通じて、独自の世界観を表現したことは、おおいに、評価されて然るべきであろう。一歩間違えれば、大津波の爪痕が残るその場の雰囲気に、呑み込まれてもおかしくないところを、奇抜な設定と、ストリー性でまとめ上げたうえに、一人芝居という演技力で、お笑いとある種のペーソスとを織り交ぜて、観客の共感を得たことは、明らかに、<自分の陣地で独自の世界観>を演出し、<自身のグラウンドで異種格闘技に持ち込んだ>勝利ではないだろうか?
映画監督が、脚本家とともに、或いは、著名な、或いは無名な俳優を使って、その世界観を映画という作品の中で、表現するのと同じように、一人芝居コントで、脚本・演出・監督・俳優という何役も、自らこなし、更には、他のお笑い芸人にまで、作品を提供することは、もはや、一人の女芸人の域を超えているとも思われる。何も、これからの時代は、テレビのバラエティー番組や寄席や演芸場で売れることが、必ずしも、主流では無くして、YouTubeやコロナ禍での主流になるかも知れないオンライン・ライブとか、動画配信サービス、更には、TVerやNHK+のようなリアルタイムの放映を気にすることなく、後でゆっくり時間を無駄にせず、自分の空き時間に愉しめるツールが、主流になってくるのかも知れないし、又、その裏はなしを改めて、ネット動画で、ネタばらし同然に、愉しむ時代に突入してゆくことになるのかもしれない。そういう事前・事後の楽しみが期待できそうである。優勝者の吉住のみならず、惜しくも優勝できなかったお笑い芸人達も、今後、何かのきっかけ、大ブレイクし、何十年か先には大御所として、審査員になっていることを愉しみにしたいものである。既に、戦いの前から、優勝賞金を狙っていた先輩芸人もいたらしい裏話も、YouTubeに、明らかにされているので、そちらも視聴してみて下さい。参加者の今後の活躍に期待したいモノである。