いつのことであったろうか、忘れてしまったが、未だ、子供達が小さい頃だったであろう、雨上がりの夕方になると、蝉の幼虫は、土が、柔らかくなるのを知っているのであろうか、老犬と夕方の散歩から、戻ると、蝉の抜け殻らしきものを発見したので、近づいてよく、見ると、未だ、背中が割れていない。ひょっとしてと思って、慎重につまむと、小さい手足を動かした。潰さぬように、観察する為に、室内へと持ち込み、巻いたすだれに、そっと置くと、ちょこちょこと、登りはじめ、暫くして、じっとし始めた。すわ、羽化の準備かと思い、身構えるも、一向に、変わった様子が見えない。じっと、手持ちぶさたで、観察するわけにもいかないので、料理をし始めると、暫くして、何やら、白い緑色がかったものが、明らかに、黒い目をもったその生命体は、背中をのけ反らしながら、90度の角度で、殻を突き破り、更に、弓なりに、背筋をそらせ始めたではないか!羽は、未だ、鳥の雛のように、縮こまったままである。6本の手足のうち、前足が、まず、伸び始め、血が循環し始めた。長いくちばしも、いつの間にか、完全に、一直線に、伸びきっている。全体的に、おしりの付け根を除いて、上半身以上は、もう、殻の外である。ここまでで、約1時間である。暫くして、気がつくと、もう、6本の足は、既に、長く伸びて、殻の上をしっかりと捕まえる形で、全体が、羽を除いて、殻の外に、出た。羽は、未だ、白っぽい、緑色で、透明感がある。まだ、血液が、十分、廻っていないのであろう、4枚の羽には見えない。盛んに、羽を、開こうとする仕草をする。やがて、長い方の羽が、すっくと、伸び始め、徐々に、背中の後ろで、合わさり始める。成程、4枚ある。未だ、白い透明というよりは、やや、薄緑がかった色で、文様が、透き通っている。血の循環が、未だ、羽の先々まで、行き渡ってはいないのであろう。ゆっくりと、蝉らしくなりつつある。胴体部分も、薄緑色から、徐々に、肩の辺りが、茶色味がかってきた。最終的には、茶色い黒っぽい蝉、アブラ蝉の雌に、なった。体制を調えてから、約3時間後の生命誕生のドラマであった。
クレープが、そこそこ、出来たのに味をしめて、次に、もう少し付加価値が付けられないかと、思っていたら、テレビで、ミルクレープが、手作業で、作られているのをみて、挑戦したくなった。まずは、生クリーム作りだが、氷水で、十分、冷やしながら、一生懸命、手で、攪拌しても、生クリームにならず、結局、一度は、挫折する。次に、温度よりも、攪拌スピードが問題ではないかという仮説を立て、余り使用していなかったハンド・ミキサーを、探しだし、挑戦してみると、暫くして、ミルクが、ねっとりとしてきて、最終的には、無事、生クリームになった。クレープは、前回の経験もあり、順調であるが、何故か、最初の一枚が、空気が入ったり、焦げた色目が、ブチになりやすい。中火の火加減か、投入量との関係か?なかなか、難しい!2枚目からは、徐々に、均一に、焼きムラもなく、綺麗に、仕上がるようになる。まあまあの出来である。余熱を冷まし、冷やした後、1枚づつ、間に、生クリームを、塗り込んでゆくが、その量とバランスが、結構、難しく、なかなか、均一にならない。そこは、男の料理だと、自己満足して、仕上げに入る。
「一寸、左がかった京大生」をもじったと謂われているペンネームだが、今や、若い人達には、円遠いものになってしまった「山村工作対」への参加や、敗戦による「廃墟空間」を、常に、原点として、「国家の滅亡後の日本人のあり方」を、ライフワークにしてきた作品は、我々、団塊の世代には、どちらかというと後半に、映画化された作品(日本沈没)・(首都消失)・(復活の日)等よりも、初期作品の(ご先祖様万歳)・(地には平和を)・(日本アパッチ族)・(果てしなき流れの果てに)等の方が、個人的には、面白く、その発想も、後の作品に、連なっていく原点を感じる。「憂鬱世代」の我々には、京大時代の友人である「高橋和巳」との60年代後半の交流や、開高健、三島由紀夫、との化学反応等、今にして思うと、淡路神戸の震災や、今回の東日本大震災も、日本・日本人は、どこへ、行くのか?コスモポリタニズムに向かって、まるで、ユダヤ人のように、なっていくのか?(日本アパッチ族)のエピローグに、同氏は、こう記している、「いささかも回顧、復古的見地からでなく、滅び去った日本という古い,優れた国の、文化、伝統、政治情勢、風習などを、できるだけ詳しく研究し,公にするつもりのものである。・・・・(略)・・・・いうまでもなく、目下、我々は、それを創造中であるが、しかし、それを比較すべきものをもたなければ、過去より優れ、独自なものであることを証明しうるか?我々は、一部の反動的復古主義者や、又一部に現れた人間への逆行現象を気にする余り、過去を恐れてはならない。それに蓋をし、現代の優越のみを誇示するのは、甚だ。妥当性を欠くのではないか?我々は、アパッチ族(注:新種の鉄を食べる種族)の知性を信頼すべきである。」 10代後半から、20代前半にかけて、影響を受けたこれらの作家達も、今や、鬼籍に、皆、入ってしまった。もう一度、読み返す中で、我々の世代としての責任は、本当に、果たしてきたのであろうかと、自問自答せざるを得ない。焼跡闇市派が、又、一人、作品だけを残して、逝ってしまった。急激な円高の中で、溶けてゆく日本経済と、壊れかけてい行く政治体制の中で、日本は、どこへ、向かってい行くのだろうか?
ジムで、筋トレをしているので、それなりに、初級コースでも、大丈夫であろうとたかをくくっていた。ところが、豈図らんや、10分のクールを4回、水分を取りながら、(とにかく、汗がしたたり落ちるのである。)基本的に、日常余り、使っていない筋肉を、ストレッチしたり、呼吸法で、曲げ伸ばしし、ももを上げて、歩くのも、結構大変だということがよく分かった。ストレッチは、何とか、ついて行けるが、意外と、リズム感、手と足、或いは、指が、右手と左足等が、交互に、絡んでくると、もう、ほとんど、大脳が、指令しても、各パーツは、言うことをきいてくれない。これに、リズムとステップが、加わると、自分でありながら、自分の手足ではないかのように、全く、コントロール不能、ダッチ・ロールである。とりわけ、バランスは、鬼門で、ブルブル、グラグラ、しっかりと、止まっていられない。困ったものである。あっという間に、40分が終了してしまった。先生に、「次のシンプリー・ステップというのは、如何なものですか?」と、尋ねたら、「より緊張感が、強まりますね」と言われたので、当分、初級コースで、頑張ろうかと思い直しました。筋トレの方が、正直言って、楽である。健康維持も、成程、楽ではない。
東京で散歩していても、せいぜい、舗道の上にみつけるものは、捨てられた吸い殻か、コンビニのポリ袋だが、信州の田舎では、毛虫、ミミズ、ダンゴムシ、蝶蝶、蛾や、スズメバチ、バッタ、トカゲ、カエル、時には、蛇までも、車に、轢かれて、無残にも、ペシャンコに、体型が残されているのに、遭遇する。或いは、リスが食したであろう松ぼっくりの笠の食べ残しやら、蟻が、糸トンボを引きずっていたり、舗装の割れ目からキノコがひょっこり、顔を出していたり、又、時として、目の前に、突然、野鳥が、舞い降り、アッという間に、緑色のバッタをつまんで、飛び去ることもある。成程、こうして、「生態系」は維持されているのかと思わず、自然と、気づかされ、感心してしまう。ミミズを見る度に、干からびる前に、小枝で、土の上に、戻してあげている。
あんなに、初夏を告げるように、うるさかった春ゼミのグェ、グェという声は、今や、その天下を、ニイニイ蝉と蜩に、取って代わられてしまったようである。子供の頃、蜩のカナカナという声を聴くと、居ても立ってもおられず、その透明な羽と、オレンジ色したお腹の昆虫を、探しに、近所の庭へ、早速、お邪魔したものである。行く夏を惜しむかのようなその声は、その人生の場面、場面で、聴いても、なかなか、趣のある音色である。昔の人も、夕暮れ時、人生の夕暮れ時に、差し掛かったときに、そういう風に、なぞらえながら、聴いたのであろうか?いつまでも、そのカナカナという音色とニイニイという声が、交互に、薄暮れの中から、今日も、聞こえてくる。
晴天だったので、安心して、洗濯物を干したままにして、外出してきてしまったが、駐車場へ、出ようとした時、若い母親が、幼い娘に向かって、「あっ、雨の臭いがする」と口走ったら、幼い娘も、「雨の臭いだ」と応えた。確かに、風に乗って、カビ臭のような臭いが、辺りに、漂っていた。海老を扱っていたときに、スコールが、海老の養殖池の中で、巻き起こすジオスミンという物質が、このカビ臭の原因ではなかろうかと、謂われている。都会で育った私は、「雨の臭い」も、排気ガスの臭いも、五感が退化してしまい、なかなか、区別がつかないが、五感が研ぎ澄まされると、成程、「雨の臭い」も、分かるものなのか?確かに、天気雨というか、通り雨が、降っていた。しまい忘れた洗濯物を取りに、急いで、家へ帰ると、北御牧の大地の上と下とでは、全く天気が違っていた。
小学校高学年から、いよいよ、英語教育が、始まるらしい。アメリカに駐在しているときに、その表現で、面白いなと感じることが、幾たびか、あったが、その時、学校英語と言うものは、もっと、身近に、応用できる英語を教えて貰いたかったと、感じたものである。その一例が、エレベーターに、乗り合わせたときに、降りる際に、一人ではなく、幾人かの場合に、Excuse me ではなくて、確かに、Excuse us であると、はたと、気づかされた。成程 !「失礼」とか、意訳されてしまうが、成程、複数形は、教わった記憶がない。それとも、居眠りしていたか?Excuseは、動詞なのである。パターン化された暗記英語は、やはり、駄目であろう。もう一つ、余談、飛行機に、乗り合わせた時に、「何か、要りますか?」と尋ねられたときに、品の良さそうな初老のご婦人が、「No Fine Thank You」 と、唯、一字、「Fine」 を入れただけで、私の耳心地が、良くなったのは、空耳だろうか(?)それからは、必ず、No Thank You ではなくて、「No Fine Thank You」 とか、 「I ‘m Fine Thank You」と、「Fine」 を「潤滑油」のように、入れるようにしている。日本語も難しいが、外国語は、成程、難しいものである。
もう、四半世紀前のことになるだろうか、震災で被災した仙台の近郊の小牛田、栗駒山にあった廃校を利用した縫製工場で、「ストーン・ウォッシュ・ジーンズ」の対米向けの生産・輸出を手がけていた頃、品質の良い、本物、付加価値のある商品は、必ずや、消費者に、受け入れられると確信を持ち、シアトルで、Brittania Jeansと商談に、望んだものである。(その頃は、未だ、あのGAPも、創設者達も若く、小さな会社だったが、、、)順調に数量が伸び始めた矢先に、メキシコ製、香港製の所謂、まがい物、外側の見てくれだけで、要するに、素材の善し悪しではなくて、外見のみで、「一発勝負」する商品が、出回り始めていたことが、商談を通じて、分かった。我々は、「王道」で、Basic, Authentic に、「本物志向」で、勝負するんだと、息巻いていたものである。未だ、円のレートが、305円の時代であった。それがアッという間に、250円、210円、終いには、180円にまで、急激な円高に、見舞われた。これに、反比例するかのように、海外生産品は、勢いを増し、結局、今で謂う「Fast Fashion」が、市場を席捲し、我々の商品は、窮地に、追い込まれた。成程、世の中の動きを、見ると、昨今の世界的な有名ブランドによる「Fast Fashion」の進出は、確かに、うなずけるものがある。(昔に較べると、品質、縫製技術も、格段に、向上している)、レナウンが、中国企業の軍門に降り、当時、大枚をはたいて買ったアクアスキュータムのコートも、今や、タンスの肥やしになり果てている。透明のビニール傘が、打ち捨てられているのを見る度に、往事のことが、偲ばれる。未だに,私は、ビニール傘を買うことに、抵抗を覚えてしまう。とうとう、円は、80円を割り込んだようだ。そして、工場で働いていた人達は、震災に、見舞われていないだろうか、雇用は大丈夫だろうかと、思わずにはいられない。
東京で仕事をしていると、全国紙である日経新聞と朝日新聞の二紙を購読しているが、最近では、これに加えて、インターネット版も加わり、どこに居ても、海外ですら、購読できるようになっている。しかし、小諸に来るときは、「地消地産」ではないが、地元に密着した地方紙の信濃毎日新聞を、購読することにしている。なかでも、「山ろく清談」は楽しみである。意見を主張するよりも他人の気持ちを察するという日本人特有の美意識、敗者への共感であり、卑怯を憎む、「惻隠(そくいん)」の情を、論じている文章があった。これまで、現れては、消え、消えては現れる、「忘れかけていた懐かしい日本語」、「清貧の思想」、「品格」とか、こうした「惻隠(そくいん)」の情とか、日本人が失ってしまったと思われる嘗ての美しい日本語が、この地方紙の編集の中に、見いだされて、思わず、嬉しくなる。信州地方特有の歴史・伝統・文化・芸術・音楽・芝居・福祉・学芸・催事、等の各分野、並びに、10代の次世代の若い人達や、高齢者の投書欄等、きめ細かく、編集されている。こうした地道な努力を、もっと広く、都会の読者にも、知って貰いたいものである。全国紙とは、視点がことなる独自の「地方紙の良心」を見てとれる。
信濃国分寺跡の「カバンの藤棚」は、母が、亡くなる少し前に、初めて、見に行ったが、信濃毎日新聞で、寺の北側の休耕田を利用して、10年程前に、住職が、ハスの花を植え、市民有志が、支援して、育ててきたと報じていたので、是非、一度、見たいと思い立ち、女房殿と出掛けた。ベトナムやタイで、突然、車窓から、ピンクの花が、一面に、咲き誇る様は、南国の陽の光の下、神々しく、輝いていたのを覚えている。西方浄土の彼方に、咲くと謂われているハスの花は、朝早く、咲くときに、ポンという音を立てるそうだが、人生、一度は、聴いてみたいと思わずにいられないくらい、見事な花の出来映えである。又、葉の上に、溜まった一粒の雨粒は、自然の造形の賜ものである。境内の室町中期の創建とされる三重の塔も、なかなか、趣があり、この地方の花の観賞が好きな人には、5月の藤棚と7月のハスの花は、見逃せないものであろう。
台風のせいであろう、雨が、少し、降り始めた。ジムで、身体をシェープ・アップした後、温泉と泡風呂とサウナで、たっぷり、汗を流す。そして、火照った体を、露天風呂(といっても、ここの風呂は、景色が眺められるわけではないが、、、、しなの鉄道の田中という駅のすぐ側なので、仕方ないか、)で、少し、降り始めた雨に、41℃に、設定された湯に、半身浴で、ゆったりと、浸かりながら、水面を眺めると、雨のしずくが、落ちる度に、気泡が生じ、しばらく、消えずにいる。それが、消えると、又、新しい気泡が、生じる。雨粒は、まるで、写真のコマをゆっくり廻すスローモーションのように、まるで針のように、水面に突き刺さる。と同時に、小さな波紋を起こしては、又、その小さな波紋同士が,互いに、ぶつかり合い、大きくなり、まるで、魚の鱗のような表情を、醸し出してゆく。光は、曇りのせいか、反射せず、唯、露天風呂の底石を、やや薄茶黄色の透明なお湯を通して、キャンバスに、その模様を映し出している。黒い御影石でできた壁面を、温泉が流れ落ちるかすかな音と、石風呂の縁から、あふれ、こぼれ落ちる音に、聞き入りながら、つかぬ間の静寂の中で、この波紋の模様を眺めていると、若いときにパリのオランジュリー美術館で鑑賞したクロード・モネの「睡蓮の間」を想い起こす。何とも、小雨の中での露天風呂とは、全く、極上の過ごし方である。
省エネも兼ねて、LED電球に、スタンドを替えたのを機に、2002年に、紅葉の葉や、木の葉を、新聞紙に挟んで、押し葉に、していたものを、活用して、懸案であった和風スタンドを、DIYしてみようかと、思い立った。東急ハンズで、バルサ材と、すき和紙を購入してきた。成る程、後から思えば、障子紙を張り替える原理で、うすい糊を活用すれば、良かったかも知れない。毎度のことで、工程管理が、実に、いい加減である。その分、紅葉の葉の何とも形容できない位のグラデュレーション、日光の当たり具合で、重なったりする陰影、色合いの個性、が、図らずも、LED電球を通して、すき和紙の趣を更に、引き立てる、幽玄の趣が、漂ってくる。こんな安い原材料費で、いとも簡単に、和風の幽玄の美が、身近に、楽しめるとは、思いもよらなかった。この楽しみ方は、やみつきになりそうである。
その昔、台湾へ、初めて出張したときに、鳥の骨を綺麗に、皿の上に並べていたら、中華料理は、「食べ散らかす」のが、料理を作ってくれた人に対する礼儀だと、教わったものである。日本の家庭では、私の小さな頃もそうであるように、「綺麗に、食べこぼしがないように」と、しつけられたものである。ロス・アンゼルスに、駐在していた時も、日本人家族同士で、中華料理を食べに行ったときも、子供達は、大概、この鉄則を守ったものである。物事には、両極端があるもので、小諸のベランダで、未だ、子供達が小さかった頃は、思いっきり、汚く、そこら中に、(もっとも、ベランダだから、木の中に、向かってだが、)スイカの種を、ペッペ、ペッペとばかりに、吐き捨てたものである。(種飛ばし大会の開催である。)普段、食べこぼしがないようにというしつけは忘れて、顔中、スイカの汁と、種まみれになって、思いの限り、「食べ散らかした」ものである。子供達は、それは、それは、楽しそうに、ペッペ、ペッペと満足そうであった。たまには、こうした真逆のことを、子供には、やらせるべきでしょう。そのせいかは、分からないが、お陰で、子供達は、テーブルの上では、綺麗に食べるようになった。一度、試してみてください。
父は、私の子供の頃、仕事の関係上、新しく発売されたまだ、当時は、ものめずらしかった家電商品を買ってきては、(取引先・社員割引の優待特典でも、あったのだろうか?)まだ、横文字崩しの東芝のテレビ、洗濯機、 SONYのHi-Fi ステレオ(Wi-Fiではない)、ナショナルの冷蔵庫、等を、色々と、その性能を比較・評価していた。今から、四半世紀が、既に、経過したであろうか(?)ISDN(Integrated Service Digital Networkの略)という通信速度が格段に、速く、しかも、FAXも、同時に、使えることが可能な高速電話回線を、NTTは、推奨し初め、これを信じて、取り入れた。しかしながら、その後のコンピューター、デジタル技術の進歩は、想像を遙かに超えた速度で、進化し、アッと言う間に、ADSLに抜かれてしまった。驚いたことに、このISDN回線を、元に戻すときには、再び、工事代金が必要であった。何とも、顧客に、アンフレンドリーな会社である。臆面もなく、光ケーブルの販売促進の電話の時に、このことを言うと、以後、ピタリと、販促の電話は来なくなった。先進的な顧客は、意外にも、先端技術開発の一翼を何らかの形で、このように、担っていたのかも知れない。私は、ネット・ブックに、騙されて、未だに、スマホに、手を出せないでいる。半歩遅れの技術の機種でも、ネット・アクセス出来れば、まあ、良しとしようか(?)そんな慰めを、もって、昨今の宣伝に、見入っている。