小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

反日・靖国という麻薬と新しい価値観:

2013年12月30日 | 社会戯評
反日・靖国という麻薬と新しい価値観:
もう40年以上も前の友人の祥月命日に、安倍首相が、靖国参拝を強行したというニュースが入ってきた。米国ですら、失望という強い声明を出さざるを得ないほど、況んや、中国や韓国の反応をやであるが、、、、、、、。それにしても、当然事前に詳細な反応に対する計算と準備をシミュレーションしていたのであろうが、とりわけ、米国からは、千鳥ヶ淵の無名戦没者墓地への献花の提案を否定されたと思ったのかどうかは、わからぬが、靖国神社に祀られているA級戦犯の合祀の問題を解決することなく、戦勝国秩序への挑戦として、受け止められてしまうのであろうか?それにしても、中国・韓国による自国の国内政治的経済的な矛盾を、相変わらず、愛国主義やら、反日教育で、狭小な排外主義へと目をそらすようなやり方には、それぞれの国のマスコミも含めて、困ったものであるが、日本でも、度重なる謝罪とお詫びの声明にも拘わらず、一向に、埒が明かず、結局、個人的な信念と支持者へのリップ・サービスから、「ナショナリズムという同じ土俵」の上で、闘うことを選んだことは、誠に遺憾なことであろう。相手が焦れて、矛盾が爆発するのを待っているのであれば、或いは、これ以上に悪化しないとたかをくくっているのであれば、徹底的に、持久戦に訴えるしか他に手はなかろう。そうではなくて、チャイナ+の戦略を徹底的に推し進めるのであれば、中国は、ユニクロだけ(?)に任せて、後は、みんな撤退すれば宜しいのではないだろうか?仮に、そうしたことが、短期的に可能であればであるが、、、、、。投下した資本も回収されず、それこそ、日本人駐在員、従業員も、出国できずに、人質に取られて、、、、、、。それにしても、どの国にとっても、全く、メリットが全くない戦略・戦術であろう。知恵がなさ過ぎる!戦争で尊い命を捧げた人の霊を追悼することを、これも又、日本軍国主義への礼賛としてまで、かの国々は、反対するのであろうか?もし、そうであるとするならば、それこそ、永遠に、千年経っても、歴史認識は、お互いに、語ることは出来ないであろう。草の根の民間外交である「観光・食文化」を通じて、日本へ滞在したり、或いは逆に、こちらが、彼の地へ旅行しても、互いに、戦争したがる気持ちがあるわけがないことは、納得しようが、、、、、。反日が、彼の地で、ポピュリズムに、容易に、高揚しやすいのと同じく、日本でも、今や、嫌中・嫌韓感情が、大衆受けしやすい素地が醸成されつつある。戦後60年余経過しても、中国・韓国・日本には、インドのガンジーや、マンデラのような思想的・哲学的な指導者が現れないのであろうか?私は、最近、歴史の中で、現れては、消えていったアジア主義の系譜が、不幸にして、今日、全く、裁ち切られ、新左翼も新右翼も、ましてや、新保守主義者の中にすら、新しい価値観を確立し得てないのは、何故であろうかと思い巡らさざるを得ない。何故出来得ないのであろうか?戦後民主主義を否定し、止揚しようとした我が世代も、残念乍ら、若い時にも「憂鬱な世代」として、新しい価値観を創出しようと戦い続けたものであるが、残念乍ら、新しい地平を切り開くような国際的にも共有出来るような日本の価値観を樹立することなく、齢を重ねて来てしまったのが実情であろう。一体いつになれば、この混迷する現代に新しい時代をリードするような価値観の創出とうねりが芽生えるのであろうか?年末年始をゆっくりと、休みながら、一寸、考察でもしてみることにしましょうか?年明けには、ベトナムで、旧い友人達に、招待旅行で、再会出来そうであるので、しばし、異国から、日本を眺めることにしてみます。しばし、一休みします。



三谷幸喜、「清須会議」を観る:

2013年12月29日 | 映画・テレビ批評
三谷幸喜、「清須会議」を観る:
映画、「利休にたずねよ」が、秀吉の権力者になった後での「欲」を一つのテーマにしているのに対して、この映画は、若干、三谷幸喜によるひねくれた喜劇っぽいストーリーかと勝手に思い込み、余り期待せずに観たが、良い意味で、期待を裏切る結果になったかと思われる。羽柴秀吉役の大泉洋は、なかなか、若手中堅の喜劇役者の中では、実力も演技も面白いし、阿部サダヲの向こうを張れるような気がする。むろん、柴田勝家役の役所広司は、喜劇風演技でも実に、別格である。むしろ、そんな主役の役所を凌ぐような存在感があったのではないか?池田恒興役の佐藤浩市は、三谷とのインタービューの中で、奇しくも、本人自らが言っているように、マキャベリストとしての立ち位置が、確かに、難しい役柄だったのではないだろうか?むしろ、その中で、三谷が言っているように、彼の保持する未だ見せていない未知の引き出しを引きずりだすような部分があったのかも知れない。今後の役どころに期待したいものである。丹羽長秀役の小日向文世は、うってつけの役だったのかも知れない。生き残るためには、優柔不断も、勝ち馬を見つけるのも、才に長けたモノに取り込まれるのも、マキャベリストと呼ばれようが、兎に角「生き残るため」には、何でも構わないのであるのかも知れないし、又、それを一寸でも間違えれば、そこには、死と共に、滅亡が、待ち受けているのであることを本人自身が一番良く知っていたのかも知れない。逆説的に言えば、それを知っていても、それがどうしても出来ないということが、既に外堀が埋まってしまっていては、逃れる術がなく、むなしく、滅びる以外になかったことは、歴史が物語っているのであろう。前田利家も、そんな中で、描かれていようか?妻のマツは、どう思っていたのであろうか?現代では、殺す意思がないと言うことになれば、それだけで生き延びることが可能になるのに対して、この時代は、闘う意思がなくても、攻め滅ぼされたりする現実と理不尽が、不条理が、「勝った者の歴史」となってしまうのであろうか、歴史の裏に、女有りとは、謂われているが、その流れでは、お市の方(鈴木京香):寧々(中谷美紀):松姫(剛力彩芽)という3人の系譜の中で、やがて、それは、暗示的に、後の豊臣秀頼(茶々=淀殿)の滅亡という歴史の皮肉へと完結して行く訳であるが、誰も、この清須会議の時点では、黒田官兵衛ですら、想像もしてはいなかっただろうか、、、、、。歴史の中では、実は、勝者も敗者も、結局ないのかも知れない。あるのは、その時々での生き残りを懸けた生き様だけなのかも知れない。その意味では、この映画の主題である清須会議が、秀吉の「権力へのターニング・ポイント」であると云うのであれば、私達は、歴史を観るときには、いつでも、時間の歯車を逆廻しに論じてしまうものの、現在進行形の時に、現に、その時が、後から考えてみれば、ターニング・ポイントだったと、どれ程、自覚しうるのであろうか?自分の人生の中で、いつが、そして、何が、ターニング・ポイントだったのかと果たして、認識しているであろうか?秀吉関連の2本の映画を観ていて、そんな風に、感じたが、、、、、、、。
スター千一夜2013と題する宣伝HP:これは、後で観るとなかなか面白い!
http://www.kiyosukaigi.com/trailer.html


映画、「利休にたずねよ」に思う:

2013年12月28日 | 映画・テレビ批評
映画、「利休にたずねよ」に思う:
これまでの利休と秀吉の関係を描いた映画は、いくつかあったと記憶しているが、利休400年遠忌の1989年には、野上彌生子原作の本を三國連太郎(66歳)、山﨑努(53歳)で、映画化され、更には、井上靖の原作である、「利休、本覚坊遺文」で、本覚坊を奥田瑛二(39歳)、秀吉を三船一郎(69歳)、そして、今回、「利休にたずねよ」で、市川海老蔵(36歳)が、利休役を、大森南明(41歳)が、秀吉役と、それぞれの映画が上映されたときの年齢を一寸調べてみることにした。映画では、三國連太郎と今回の海老蔵の2作を観たものの、残念乍ら、奥田瑛二の映画は、原作の井上靖の「本覚坊遺文」著作のみの読書だけで、映画は、観ていない。別の機会に、改めて、DVDで観ることにするか?それにしても、映画であるから、多少の原作との齟齬は致し方ないとは思うが、若い時の利休が、朝鮮語を多少でも理解出来ていたのか、どうかは、定かではないし、それを衒って、韓国との政治的な対立の融和や茶道の由来を、朝鮮半島にまで、及ぼすという議論には、どうも、納得しないのは、何故だろうか?(広い意味合いでは、文化自体が、中国・朝鮮半島経由か、琉球から伝来していることを否定するモノではないが)高麗からの身分の高いであろうと思われる女性の話は、確かに、利休の「美とは何か」を体系化する上で、ある程度、内面的に、或いは、私的な夫婦生活の上でも、影響があったことは、想像に難くないものであろうが、それが、映像として、或いは、やや断定的に、描かれてしまうとなると、如何なものであろうかとも、思ってしまうのは、私一人だけであろうか?映画的に評価するとなると、やはり、三國連太郎と山﨑努の演技上でのやり取りの方が、記憶が定かではないが、やはり、迫力があったのではなかろうかと、軍配は、そちらの方に上げたいところである。本来は、この3作比較の中で、利休の妻の役者、娘役などをも、それぞれ、比較して総合的に検討して見たら、面白いかも知れないが、、、、、、、それらを差し引いても、映像として、美とは、何か?生と死とは何かを、一輪の椿の花の生け方、蕾に対する哲学的な印象、木槿の花(朝鮮の国花)にも、そして、各種の茶器、香炉、燭台、蝋燭の炎に揺らぐ和紙に透けた雀の羽音まで、或いは、故意に、欠けさせて初めて、その土器の本来有するところの美を演じさせる場面、或いは、水盤の上に、満月を桜の花びらをあしらう計らい、障子を開け放って、室内に風を呼び込み、桜の花びらを落とす風情とかの各場面、美意識とは何か、趣き・風情とは何を指すのか、わび・さびとは、何かと、、、、、、、日本人の美意識とは何か?、、、、、、、、、。映像として、描き出して初めて知ることもあろうか?そして、それが、日常生活の中で感じられることこそ、芸術美というモノであることを知ることにもなるようである。その意味では、常に、映像というモノは優れて、著作上での想像とは、又、異なる感じられ方があるものでろうか。それにしても、最期に、彼女が朝鮮語で言い残した意味を、「あなたは、生き抜いて下さい」であるという事実を、琉球の人から、告げられるのは、いかにも、現代の沖縄・朝鮮・日本という構図を、琉球・李朝の女性・(秀吉)利休という構図で、考えてしまうのは、少々、考えすぎでしょうか?美しいモノを決めるのは、自分であると云う自負心は、もはや、権力者を超越したところに、自らをその高みに置くことになるのであろうが、それが「死」という「最高の美学」に誘ってしまったというものは、やはり、生きているものが言う戯言でもあろうか?最初で最後となってしまった父との共演は、どうやら、息子、海老蔵の方が、良かったような気がしてならないが、、、、、、、。褒めすぎであろうか?それはさておいても、時代劇で、存在感を表すことの出来る若手俳優が、何やら、NHKの朝ドラ出身者や、仮面ライダー出身者だけでは、日本の時代劇も、情けないように思うが、それは、私達の世代は、やはり、中村錦之助や、大川橋蔵、大友柳太郎、とか、時代劇全盛期を、子供の頃に、経験した世代だからなのであろうか?ヤンチャな海老蔵も、そろそろ、歌舞伎もさることながら、時代劇でも、存在感を示して貰いたいところであるが、ライバルの役者が、早く出てきて貰いたいところである。引き立て役とは言わぬが、竜虎相撃つと言うようなそんな役者が、出てきてもらいたいものである。そんな感慨を感じた。井上靖の「本覚坊遺文」を再読してみることにするか?



すくらっぷ・ブックを持って、小諸に行こう!:

2013年12月27日 | 社会戯評
すくらっぷ・ブックを持って、小諸に行こう!:
FBの繋がりから、このサイトが紹介されていたので、一寸立ち寄って見た。スクラップ・ブックを持って、小諸に行こうというので、さぞや、写生の好きな人かと想像していたら、どうやらそうではないらしい。私は、今日の漫画世代でも、ましてや、アニメの世代でもないから、成る程、説明をしっかりされないと、その歴史的な背景が理解しきれないのは事実である。実際、「夏まち」と言われても、例の話題になった喫茶店に行っても、そこに備えられている映写機の意味も、分からない位であるし、その場面、場面の意味もとんと、分からないのが現実である。まして、何が、聖地なのかもとんと、分からない、どちらかと言えば、やはり、昔風の藤村や虚子、牧水、文学や小山敬三などの画家に準拠する古いタイプの観光認知派であろうか?それはさておき、それしても、なかなか、この作者の波なみならぬ力作ではないだろうか?とりわけ、地図と、写真をうまく、組み合わせて、とても、分かりやすく、痒いところまで、手が届くような作品である。本来、こうしたものは、公的な観光ガイドにも、もっともっと、反映されて然るべきものであろう。バスでの行き方とかは、今や、廃線になってしまったり、運行回数が少なくなっている以上、なかなか、微妙なモノがあろうが、レンタ・電動サイクリングとか、鉄道とのタイアップでのルート、或いは、トレール・ルートの企画化を図ってもらいたいものである。御牧ヶ原台地や糠地などのカフェ巡りではないが、神社仏閣とか、温泉とか、仏像巡りとか、古戦場巡りとか、個別の観光となるべき素材・課題をもっと知恵を出し合いながら、バージョン・アップしてゆけば、とても、面白いものになってくるのではないだろうか?これを更に、外国人向けに、英語やその他の外国語で、翻訳してFBでも、HPにでも、UP出来れば、どんどん、観光客が宣伝してくれるのであろうから、その価値たるや、もっと、独自に、利用させて貰い、付加価値をつけて加工すべきでしょうね。
一度、立ち寄ってみて下さい!

すくらっぷ・ブックを持って、小諸に行こう!HP:最後の一番下の不毛食品館も面白い
http://www.magame.jp/scrap_book/



スマホ騒動の続編:カスタマー・フレンドリーの実感

2013年12月26日 | 社会戯評
スマホ騒動の続編:カスタマー・フレンドリーの実感
一つが解決されれば、ついでにとは言っては何であるが、メールの設定が、スマホ上で、一部のプロバイダーで、可能であったのにも拘わらず、又、一部が出来ないので、甘えついでに、こちらも、解決して貰うことにした。こちらは、webメールでは、メールが確認出来るにも拘わらず、どうやら、PC上での大昔のアプリをそのまま、スマホに、移行しているので、どうやら、設定が、うまく行かなかったのが理由であったらしい。何とも、タダでさえ、PC設定の情報を控えておくのも、煩雑なのに、これが又、移行させる方のスマホの進歩とにより、うまく、機能しないという全く、複雑なものである。結局、プロバイダーへ、裏のデスクから、電話して貰い、POPではなくて、IMAPでの再設定を成功させて貰った。全く、久しぶりのカスタマー・フレンドリー万歳、実感である。これまで、こんなカスタマー・フレンドリーは、経験した試しがなかったのも事実である。全く、au上田東店の若い店員さんの挨拶する姿に後光が射しているかのようである。こういう事象も、結局、ビッグ・データとして、一種のノウ・ハウとして蓄積されてくるのであろう。やはり、紙やファイルのマニュアルだけでは駄目で、どうしても、マン・ツー・マンでの対話形式が必要なのであろうか?これで、サクサクと、使えそうである。有り難う御座いました。いよいよ、次なる挑戦は、消費税の値上げ前に(?)タブレット型PCの購入検討で、一連の仕上げになるのであろうか?IT知的情報モバイル武装作戦作業も完了間近かな?もっとも、昔ほどには、もはや、メールもあんなに頻繁に、多数は来ないのであるが、、、、、、、。知的好奇心という奴は、困ったものである。これも、親譲りなのかな?ふと、70歳にして、PCを勉強して使い始めた父を想いだした。



家族の中での一人仲間はずれからやっと解放されるの巻:

2013年12月25日 | 社会戯評
家族の中での一人仲間はずれからやっと解放されるの巻:
家族割りとかで、結局、ドコモから、au光家族割りに、乗り換えることになり、家族間での通信費がゼロになると言うことで、しかも、その上、スマホが、0円で番号を変更せずに、乗り換えられるというこれ以上にないメリットを享受できるはずであった。しかしながら、どういう訳か、私のスマホの携帯電話から発信されるメッセージが、あるときは、通じ、だが、大半は、通じないという障害事象が生じるので、やむなく、メールでの通信これでは、せっかくの家族間無料の割引の効果が全く、あがらず、意味がないに頼っていたところ、とうとう、お上から、「」というきつ~いお達しが下されました。よくよく、ネットで、設定方法を調べると、まずは、登録それ自体をしていなかったこと、又、それを設定しても、症状が改善されないこと。テスト通信時は、通じるが、又、トライすると繋がらない。結局auの上田東店へ行き、事情を説明して、色々と、いじってもらい、アップルにも電話して、更には、IC カードを新しいモノにしても、同じ症状で、再度、アップルに電話して貰い、結局、題名の欄に、メッセージを入れており、太字になっていて、いくらメッセージを流そうとしても、繋がらなかったのであると、たまたま、テストで、流したモノは、題名を入れないで、メッセージを書き込んでいたモノであったことが判明した。結局、若い店員さんに、解決して貰い、やっと、家族割りのメリットの享受と、「一人仲間はずれ」は、やっと、これにて、解放されました。いやはや、大騒動でした!親切に解決して戴いた店員さん有り難う御座いました!それにしても、いつも、便利と不便利とは、紙一重で、裏腹である。怖い怖い!



フランス人杜氏研修準備完了す:

2013年12月24日 | 社会戯評
フランス人杜氏研修準備完了す:
何やら、事前に、諏訪の方で、何軒かの蔵元を見学して、醸造学もしっかり勉強してきて、真澄の宮坂醸造では、古式な吊し絞りや山廃仕込みも勉強してきたようである。又、携帯電話に、日本語を手書きで書いて認識して、それを英語に翻訳してくれるアプリケーションをダウンロードしたとも言っていた。なかなか、熱心な研究心旺盛な好青年である。しかも、お爺さんが、なんと、チュニジアの大統領に選出されたとかで、ニュースを知って、電話したけれども、なかなか、繋がらなかったと興奮気味に語ってくれた。食泊するところは、蔵元の所有するアパートの一室で、東京に較べると恐ろしいくらい、広い間取りである。6畳二間に、広いダイニング・キッチン、バス、トイレ、洗濯機置き場、である。部屋をシェアーすることになった日本人のスタッフは、海外にも、バックパッカーで出掛けた経験があるから、日常での英会話も問題なく、すぐに、打ち解けて、話し相手になってくれた。今週の27日は、従業員、家族も含めて、又、ロータリークラブの女性会員を含めて、更には、信州大学の留学しているフランス人女学生も参加予定で、ウェルカム・パーティーを開いてくれるそうである。おおいに、日本酒を通じて、草の根の国際文化交流が、図られることは、実に宜しいことではないだろうか?こういうことを通じて、異文化交流や、食文化や歴史や、言語を学ぼうとする気持が、小さなこども達にも芽生えてくれば、それに越したことはない。全く、ヒョンなきっかけから、瓢箪から駒ではないが、どんな結果になるやら、楽しみでもある。信州大学に学んでいるFBの友達などにも、上田滞在中の3月中旬頃までには、色々な友達が出来ることであろう。従業員の休憩室で、待っている間、生産計画表が張り出されていたが、説明をすると、純米酒や純米吟醸などは、いつ頃作られるのだろうかなどと、日程表を見ながら、期待に胸を膨らませていたのが、印象的だった。折りたたみ自転車を貸して上げたので、上田の銭湯ででも、チュニジア人顔のフランス人を見かけたら、声を掛けて励ましてあげて下さい。宜しくお願いします。味噌汁もカレーも、作れるそうです。勿論、フランスのレモン・ケーキやフランス料理もですが、、、、、、、。この28歳の青年は、どういう一生を送るのだろうかと想像するだけでも楽しくなりますね。こういう青年が日本人の中にも、どんどん、輩出されて貰いものであると願うのは、年寄りの冷や水であろうか?人生一番のクリスマス・プレゼントだと興奮して喜んでいました。



80歳になる天皇におもう:

2013年12月23日 | 社会戯評
80歳になる天皇におもう:
私の家は、父方の叔父が、タラワ島嶼で、海軍陸戦隊の一員として、(今で言えば、海兵隊に相当するものであろうか、遺骨も全くない)玉砕(?)戦死し、母方の叔父は、将校で、戦闘中に、大腿部貫通銃創を負い、戦闘指揮中に、自決している。従って、両親らの靖国神社への想いとは別にして、基本的に、私の戦争に対する考え方や皇室観というモノは全く、異なるものがある。しかしながら、今年、80歳になる天皇は、個人的には、皇太子時代からも、その「平和国家建設」や、「昭和天皇の負の遺産」を背負いながらの旅、とりわけ、75年の沖縄、91年の東南アジア諸国、92年の中国、95年のヒロシマ・ナガサキ、98年、00年の英国・オランダ、05年のサイパン島、あるときは、戦争捕虜への処遇への謝罪、アジア諸国民への加害の立場への哀しみを自ら表明するとか、象徴天皇制の下でも、一歩踏み込んだ、昭和天皇の名の下に、開始された戦争の惨禍を、自ら、平和国家の建設という、11歳の時に、焼け野原で感じ取った想いを、そのまま、表明したことは、おおいに評価されて然るべきではないだろうか?それは、日本国政府の威勢の良い。何処かの国による国内矛盾から目を背けさせるような狭小な反日・排外主義に対して、単純なこれまでのナショナリズムの高揚とは、一線を画するようなまるで、鏡の裏と表のような様相である。米国人バイニンガム婦人と小泉信三という家庭教師による戦後教育というモノも、天皇に対して、自らの行動は、自らが決めて初めて行動することこそが、人間の本質であるということを自覚させ、自分の結婚も、或いは、国内外に対する皇室の開かれたイメージの変化努力にも、これまで尽力したことにも、それは、現れているのかも知れない。それにしても、平成という時代も、いつまで、続くのかは分からぬが、自らの崩御を想定したようなエンディング・ノートも、既に、準備されているようであるし、これからの象徴天皇制は、現在の皇太子は、別にしても、その後は、どのように、継承されてい行くのであろうか、とりわけ、「負の遺産の旅」の想いは、どのように、これからの新しい世代の中で、発展的に、継承されて行くのであろうか?それとも、、、、、、負の遺産から、豊かなプラスの財産にするのには、どのような価値観と思想性が、皇室には、というよりも、国民の意識の中には、必要なのであろうか?




Phan Boi Chauファン・ボイ・チャウの東遊運動と日本のアジア主義:

2013年12月22日 | 映画・テレビ批評
Phan Boi Chauファン・ボイ・チャウの東遊運動と日本のアジア主義:
一体、日本は、いつ頃から、アジア主義を棄てて、結局、帝国主義国の仲間入りを目指さざるを得なかったのであろうか?それは、歴史の必然であったのか、それとも、ある種のどこかで、間違った方向へと結局、向かい、やがて、敗戦、今日の状況へと向かってしまったのであろうか?一体、どこから、その分岐点は、始まってしまったのであろうか?ベトナム独立運動前史を語るときに、そのホー・チ-・ミンへと連なる思想的な源流を追うときに、日本に於けるアジア主義支援の限界と蹉跌の歴史が、まるで、歴史の鏡の表と裏のように、透けて見えてくる。残念乍ら、ドキュメンタリーは、ベトナム独立前史としての思想性の系譜であるから、当然、日本の側のそれは、取り扱われていないが、別の機会には、是非、もう一つの主題を取り扱うことで、今日の日本の課題も何か見えてくるような気がしてならないが、、、、、、、。それは、ともかくとして、まずは、簡単に、ファン・ボイ・チャウの思想を追ってみることにしよう。ほぼ、明治維新と同じ頃に生を受けているわけだから、日本による近代化には少なからず、幼少期から、青年期に掛けて、影響を受けていることは間違いなさそうである。マレーシアのマハティールによるLook Eastは有名なキャッチフレーズではあるものの、当時の「東遊運動」というものは、もっと、歴史的にも、大きく評価されて然るべきであろうし、又、これに対する大隈重信や犬養毅らの日本側の対応にも、それ相当の当時としての限界もあろう。本来のベトナム人としての名前を、中国人名に変名いなければならなかった「維新会」による日本留学やその後の(1908年には)200人余にも及ぶ東亜同文会へのベトナム人留学生の無念さや、更には、その後の日仏協約による植民地利権の相互黙認などの頃になると、もはや、日本のアジア主義の系譜は、宮崎滔天らによる辛亥革命との関わり、その後の孫文、蒋介石らへの支援運動と挫折、朝鮮での金玉均らへの連携支援とか、日本のアジア主義の系譜の歴史と蹉跌が、同じく、ファン・ボイ・チャウの思想性の中にもみてとれよう。小村寿太郎への3mにも及ぶ抗議文からは、その日本のアジア主義に対する期待の反面となった大いなる失望、やがて、その絶望は、ベトナム光復会での同じく、海外留学組のホー・チー・ミンとの巡り兄繋がって行くのである。逮捕・終身刑後のフエでの「岸辺のじいさん」という愛称は、まるで、「ホーおじさん」いうニック・ネームを彷彿とさせる。因みに、救国の英雄と称えられた今年亡くなったグエン・ザップも、若い時に、この「岸辺のじいさん」の熱い民族独立の想いを感じ取ったそうである。ク・オン・デ(皮肉にも、日本の仏印進駐に期待したにも拘わらず)の立憲君主制思想に対して、独自の共和制の主張は、このような歴史的な蹉跌の中で、やがて、反帝国主義・民族解放闘争VS大東亜共栄圏、対仏独立闘争へと、収斂されてゆくことになるが、これは、ベトナム正史として、表舞台に立って行くことになるが、日本では、逆に、アジア主義の系譜は、日本では、歴史の表舞台から、裏舞台へと役回りが変質して行き、東山満らの玄洋社、内田良平らの黒龍会、満鉄調査部や、汪兆銘、東亜協同体論、或いは、北一輝、大川周明、へとつながってゆくことになるが、もっと、中国・朝鮮・ベトナム・インド等との思想的な系譜の中で、もう一度、光を当てても良いのではないかと思われる。何故ならば、今日のアジアの状況を、とりわけ、中国・朝鮮・東南アジア・インド、などとの関係性の中で、これまでの竹内好や松本健一の業績の延長線上で、今一度、若い人による解明が待たれるし、そこにこそ、新しい外交戦略、新しい躍動するアジアの思想性が、問われているのではないかと、果たして排外主義的なナショナリズムに対して、日本も、それに呼応するような狭小な新保守主義やナショナリズムで、対抗しても、意味はなく、新たな日本独自の価値観をもって、対応しなければ意味がないのではないかと、このドキュメンタリーを見ていて、思ってしまったが、、、、、、、、。



一寸気になるCM: ガスの仮面

2013年12月21日 | 映画・テレビ批評
一寸気になるCM: ガスの仮面
クラシック・バレーの「白鳥の湖」を容易に、想像出来るものの、どういう女優やどんなスタッフの背景で、このCMが、製作されたのかは、その道の人間ではないから、よく分からないし、そのCMコンセプトを理解するだけの能力も、残念乍ら、有していない。ただ、検索が可能であるから、騙されたと思って、検索して見ることにした。成る程、面白そうな布陣である。門脇麦というバレリーナ役の女優さん、そして、竹野内豊演じる謎の男性役、パーフュームの振り付けを担当している人間も絡んでいるのか、成る程ね!更には、メディア・アーティスト、ディレクターと、相当、しっかりとした並々ならぬ手の込んだ演出であることが改めて、実感される。女優の発する言葉のギャップも、想像以上に、インパクトがありそうである。逆に、何故なんだと、もっと、真相を知りたくなる手法は、分かっていても、正直言って、素人には、つい、ハマってしまいそうである。もはや、単独でのTVコマーシャルというモノは、成立し得ないようなそんなWEB上での公演であるのか?それも、現実の話なのか?それにしても、仮想空間でのメディア・クリエーターとか、メディア・アーティストの仕事というモノは、面白そうなものであるが、同時に、短い時間に凝縮された濃密な仕事には、恐らく、膨大なそれを支えている並々ならぬ時間と苦労が、水面下で、切り捨てられていることが、容易に想像出来る。それを短い濃縮された時間のCM後に、改めて、知ると言うことは、それだけでも、スタッフ陣の苦労が、報われるような気がするが、、、、、如何なものであろうか?作品としてのCMも、確かに面白いけれども、連続性とか、製作現場での暴露というモノも、今や、この業界での常識手法となりつつあるのであろうか?それとも、その行き着く先には、又、どんな新しい手法が、待ち受けているのであろうか?いずれにせよ、大変な仕事であることが読み取れる。続編とともに、また、新手の手法がオン・エアーされることを期待するのは、酷でしょうか?しかし、そうしないと、倒れてしまうのが、この業界の残念乍ら、宿命であることは、間違いであろう。
東京ガス:赤い仮面
http://cp.tokyo-gas.co.jp/swanlake/


映画、アラビアのローレンス:

2013年12月20日 | 映画・テレビ批評
映画、アラビアのローレンス:
映画というモノは、歌と同様、その見た時の情景や想い出を一緒に、想い起こさせるものである。この映画は、1963年の日本での公開だから、確か、中学生の頃だろうか、渋谷の今で謂う所の渋谷ヒカエリの前身である東急系の大きな映画観で、この映画を見たくて、両親と一緒に、観に行ったことを想い出す。英国の舞台では既に有名であったが、当時、未だ、日本では無名だったピーター・オトゥールと言う俳優の演技やまだ、見知らぬアラブのシナイ半島の砂漠を想像して、227分にも及ぶ映画を、そのサントラ盤の音楽と共に、こども乍らに、愉しんだ。しかも、やたら、画面が大きくて、そのデヴィッド・リーン監督の撮影方法や、音楽を担当したモーリス・ジャールのバック・グランド音楽には、全く、感動したモノであることを想い出す。未だ、ステレオ音楽自体が、珍しかった頃のことで、早速、レコード店で、お小遣いをはたいて、サントラ盤のLPレコードを購入してきて、よく聞いたものである。後年、この映画は、編集されていたモノで、未編集版というモノが公開されたらしいが、私は、残念乍ら、見る機会を逸してしまったが、いつの日にか、又、完全版を見比べてみたいものである。何はともあれ、良きにつけ、悪しきにつけ、映画は、子供心に、「未知なるアラブ」への誘いを抱かせる結果になり、片っ端から、アラブ関連の著作、第一次世界大戦時のトルコ・アラブ半島の歴史に関する本を、随分と読んだものである。勿論その時は、あのサントラ盤のLPレコードを聴きながらであったが、、、、、、、、。それにしても、もっと小さなこどもの頃には、「青い大陸」とか、「クストー海洋探検隊の冒険」、「兼高薫の世界旅」などの映画やTV番組で、未知の世界への想像と憧れなどを抱き、それを読書で、後付け、再確認する作業を自分で、行ったものであるが、、、、、、。歳をとってくると、もう、映画は観るものの、なかなか、本もというわけには、行かなくなるのは、どうしたものであろうか?名優の死亡記事を見ながら、ふとそんな感慨を抱いてしまった。



モーニング娘’14改名に思う:

2013年12月19日 | 社会戯評
モーニング娘’14改名に思う:
別に、オタクのアイドル好きや、追っかけではない。そんな年でもあるまいし、、、、、。たまたま、モーニング娘の八代目リーダーである道重さゆみの「老舗の流儀」というコラムが目にとまったからである。89年生まれであるから、未だ、20代であるにも拘わらず、アイドルグループでは、他の若い10代のもう、立派なお姉さんリーダー格なのである。あの道重がと、思うのであるが、まぁ、それは、年功序列なのであろうか?それとも、真のリーダーシップたる能力を備えた立派なリーダーなのであろうか?もっとも、芸能界のことだから、何処かの国のように、親子三代王朝の跡継ぎや、権力闘争の果ての粛正を経たわけではなさそうである。つんくの政治的なメッセージが、ハッキリとしたその後継者指名に、色濃く出ているのであろうか?1998年のメジャーデビューだから、現在のメンバーの中には、もう、その後に生まれてきた人間も居るそうで、そうなると、「企業の寿命」30年説ではないが、「芸能界の賞味期限」というモノも、どのくらいのモノなのであろうか?それにしても、これまでは、作詞家や作曲家等の陰のプロデューサーが、その歌手の良さを前面に引き出し、逆に、歌手は、その天佑にも近いと思われるワン・チャンスを捉えて、更に、そこに、自分の個性を最大限に生かして、芸に磨きを掛けて、その固有の歌手ブランドを確立してきたモノだが、最近では、どちらかというと、光り輝いていた歌手の方が、しょぼくれてきて、(実力が所詮は、ないのであろうか?)逆に、舞台裏の裏方の方が、光り輝いていて、一種のビジネス・モデルを確立して、その繰り人形が、歌手やパーフォーマーになっているような気がしてならない。何故か、モーニング娘の今回の改名(もっとも、それすら知らなかったが、、、、、)にも、何やら、つんくの一種、モーニング娘というビジネス・モデルへの危機感、日夜、アップ・デートを普段に繰り返して行かないと倒れかねないそんな老舗の危機感が表れているような気がしてならない。それは、広い意味での秋本康とのアイドル界での代理戦争の様相を呈しているかの如くであろう。いつの時代でも、永遠のリーダーの継続はあり得ず、世代交代、リーダーの交代、たゆまぬバージョン・アップ・デートを繰り返して行かなければならないという一種の「組織の宿命」のようなモノが根底にあるのであろうか?その思想性と当初の創業のオリジナリティーは、如何なモノなのであろうか?歌手なるパフォーマーという媒体を体して、どのように、バージョン・アップを繰り返して行くのであろうか?そして、その陰のプロデューサーからの本当の司令とは、何で、何を死守すべきで、何をアップ・デートしようとしているのであろうか?そして、それは、モーニング娘’14が、果たして、モーニング娘’20とか、モーニング娘 ‘30になるまで、果てしなく、生き残りに成功し、継続できるのであろうか?それとも、AKB48も、やがて、将来は、淘汰されて、総選挙の結果、AKBベスト10とかにでもなるときが来るのであろうか?組織の在り方、リーダーの在り方は、ビジネス専門書を読むより、こちらの方を注視していた方が、実際には、役に立つのではないだろうか?「恋チュン」の踊りでも、ひとつ、身体を動かすべく、勉強してみることにするか?誰か、U-tubeにでも、無料版をアップして貰えないでしょうか?ひとつ、検索して見るか、、、、、。どっこいしょと!



あるウィグル族の名前を想い出す:

2013年12月18日 | 社会戯評
あるウィグル族の名前を想い出す:
新疆ウィグル自治区での反漢民族意識の高まりが、新聞紙上でもおおいに報道されているが、そう言えば、天安門事件の時の学生指導者の一人で、ウーアルカイシという名前が、出ていたことを想い起こす。何故、漢字ではなかったのか、思えば、当時から、辺境のウィグル自治区出身だったから、ウィグル族出身だったから、そういう名前だったのかと、当時は、それ程、気にもしなかったが、最近の一連のウィグル族や、チベット族に対する漢民族による抑圧政策のなかで、この人物の行動も、単に、民主化運動というだけではなく、その東京での中国大使館への侵入試みとか、老母への面会という大義名分での台湾から、香港への入境の試みと言い、未だ、政治的な試みが消え去られていないことも事実であろう。ましてや、その漢民族ではない、ウィグル族出身という特殊の立場も、今日、改めて、その価値が、民主活動家であり、ノーベル平和賞の劉暁波や、同じく天安門事件時との学生指導者で、後に、フランスに亡命した柴玲らも、同じ北京師範大学の出身であることは、単なる偶然の一致だけなのであろうか?それにしても、消そうと思っても消し去ることの出来ない歴史の汚点である天安門事件の記憶は、不死鳥の如く、何回でも、蘇ってくるものであろうか、とても、小さな記事で、人々の記憶の中にすら、いまや、忘れ去られようとしているこのウィグル族出身の名前を見るときに、様々な歴史的な史実を想い起こさせるものである。それに比べると何とも、つい先頃の記憶も、亡き妻の「死人に口なし」のせいにしてしまうような政治家の臆面もない行為や秘密保護法なるもので、ある種の政治的な事件を封印し、歴史的な検証すら出来なくしてしまうことは、明らかに、対極をなすところのものである。四半世紀にも今や、及ぼうとする歴史の闇の中に、来年は、その6月4日の記念日には、どのような行動をとるのであろうか?小さな名前であるが、新聞記事の片隅で、躍動しているように思えてならない。



年寄りは、教養と教育だそうである:

2013年12月17日 | 社会戯評
年寄りは、教養と教育だそうである:
小学校のクラスメートが、先日、面白いことを言っていた。年寄りは、教養と教育だそうであると、もっとも、教養を積めとか、教育が大切であるという意味ではなくて、どうやら、「今日、行くところがある、きょうよう」であり、「今日、用事があるという、きょうよう」だそうである。成る程、今日は、何処へ行ったら良いとか、今日は、何をしたら良いかを考えるとかではないらしい。実は、よく考えてみれば、居場所がないと言うことも、問題だし、何をすべきかが分からないのでは、確かに、困ってしまうわけである。その意味で、この言葉の意味を考え直すことは必要なのかもしえない。果てさて、明日は、何処へ行き、何をすべきなのか、、、、、、、。常に、考えておかなければいけないのかな?居場所がないなんて、言ってはいられない、、、、、、。成る程、納得してしまった。



Wi-Fi フリーに思う:

2013年12月16日 | 社会戯評
Wi-Fi フリーに思う:
昔、海外出張と言えば、未だ、メールが普及する以前は、テレックスだったり、電報だったり、或いは、FAXだったり、そう言えば、ベトナムのホテルには、各部屋に、FAXの機械が、インストールされていたことがあったことを想い出す。メールが、普及した頃でもまだ、外線国際回線にダイアル・アップで、接続して、PCの設定をし直して、おまけに、LANカードが、熱くなってしまったり、或いは、ホテルからのPC発信設定変更に、手間取ったりと、散々であった。おまけに、長いことPCを作動していると、カードが熱くなってしまい、通信がうまくいかなかったり、相手が、話し中で、繋がらなかったりと、とにかく、大変な思いをしたことを思い出す。しかも、時差があったりすると、なかなか、接続されずに、イライラして、夜中まで、大事な報告書が届けられないことがあったものである。しかも、持参するラップ・トップは、重くて、まるで、筋肉トレーニングの鉄アレーをぶら下げて、持ち歩いているようなものであった。そんな時代もあったことを今の若い人達は、知らないであろう。何処に行くのにも、もう、そんな苦労は必要ない。ラップ・トップPCも、今や、スマホや、タブレット端末で、持ち運び自由で、しかも、Wi-Fi フリーである。携帯電話すら、きちんと設定さえしていれば、現地でも自動的に、ローミングされて、時差までも補正・修正してくれていて、これでは、もはや、腕時計も持って行く必要は無いし、又、折り畳み式の目覚まし時計も要らないし、更には、懐中電灯の役割までもしてくれるとは、、、、、、、、全く、便利な世の中になってしまったものである。おまけに、デジカメもビデオも、録音機すら要らず、、、、、、一体全体、今後どうなってしまうのであろうか?地下鉄も列車の中も、空港内のターミナルもいざ知らず、あらゆるところで、Wi-Fiフリーで、メールの確認も、メッセージも、受発信可能な状況であることに、改めて、驚いてしまう。昔は、電話ケーブルの延長コードとLANケーブルのプラグとが、兼用になった器具を持参したものであるが、今や、そんなものすらも必要ではなくなってしまった。充電用のコネクターだけのことである。それすらも、電池寿命が長くなり、夜寝テ要る間に充電すれば済むことになってしまった。随分と持って行く荷物も激減したものである。国際電話の通話までも、無料アプリを使い倒せば、ビデオ・チャットまで可能な世の中である。タクシーや車で移動中にでも、車中で、メールをチェックすれば、一通りの連絡は完了してしまうのには、全く、驚いてしまう。逆説的に言えば、海外から来る外国の観光客も、同じことなのであろう。ビジネスの世界も、観光の世界も、同じプラット・フォームの上に、乗っかっているわけであることを再認識せざるを得ない。通信インフラも、今や、日常の米や道路と同じことなのであろう。考えさせられてしまった。