晩年の愛犬の声を再び聴く:
子供達が未だ小さい頃には、よく、ビデオを撮影したものであるが、未だその頃は、せいぜいが、テレビ画面に撮影した動画を再生したり、その後に出てきたビデオデッキで、DVDに焼き付けて、コピーしたりというくらいであった。もっとも、その後、デジタル化がが、進行するに連れて、我が家の機器は、対応に乗り遅れて、PC中心に移行してしまい、考えてみれば、デジカメで、撮影したものも、我が愛犬などは、子供の頃にカメラで撮影したものを、改めて、スキャン・デジタル化したものを、PCの中に、保存しておいたり、再び、写真に焼き直したりという具合であり、途中の成長過程が、空白で空いてしまったものである。もっとも、この間は、こちらも現役で、忙しかったし、愛犬も若かったから、写真や動画も、それ程、とっておくような必要性も感じなかったのかも知れないのが、実情であろうか?もう、我が愛犬も亡くなってから、3年弱ほどが、経過してしまったが、部屋のあちらこちらに、家族の想い出として、写真や絵が飾られている。たまたま、息子が、携帯で撮影した、晩年の短い30秒から1分程度の動画が、PCの中~、整理をしていたら、見つかったというので、早速、USBにコピーさせて貰った。もう、眼も耳もほとんど、見えない状態の中で、私が、何かを料理している時に、お座りをして、『私にも、頂戴よ!』とばかりに、一声、大きな声で、ワン!とおねだりの催促の一声が、記録されている。又、水飲み台の所で、ペロペロと必死になって、お水を飲んでいるところだったり、涎を垂らしながら、嬉しそうに、ペロペロといつまでも飽きずに、息子の手を舐め回しているところだったりと、この数ヶ月後には、18歳と4ヶ月の天寿を全うして、息を引き取ってしまうのであるが、最後の生命を一生懸命に燃焼しているさまが、短い動画の画面からも、伝わってくる。又、桜の季節がやってくるが、一緒に、よく花見にも家族と云ったものである。散りゆく花びらが、君の鼻先に、くっついたことを懐かしく、想い起こす。もっと、ビデオを撮っておけばよかったと、今更ながら、思う。